「ソレル氏の退任は、時代に合わない経営戦略が原因だ」:とあるWPPグループ代理店幹部の告白

マーチン・ソレルCEO退任のニュースは、日本でも大きな衝撃を与えた。同氏が率いる世界最大の広告代理店グループWPPには、ジェイ・ウォルター・トンプソン・ジャパン(JWT)、オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパン、電通ヤング・アンド・ルビカムなど、傘下の日本法人も多数存在するからだ。昨年、20年に渡り資本提携関係にあった、アサツーディ・ケイ(ADK)との関係解消のニュースが、業界で大きな話題を呼んだことも記憶に新しい。

「売上不振と株価暴落が、今回の辞任に繋がった。ソレル氏の戦略が時代に合わなかったのだ」と、とあるWPPグループ代理店幹部は語る。「日本市場は、WPPにとって切り捨てられたようなもの。そのペネトレーションは非現実的だった」。

匿名であることを引き換えに、業界の裏側を赤裸々に語ってもらう「告白」シリーズ。今回は、このとあるWPPグループ代理店幹部に、ソレル氏辞任の内部事情について語ってもらう。なお、本記事は可読性を重視し、少し編集してある。

――ソレル氏辞任の理由は、不正行為が原因と報道されている。社内の人間は、どのように捉えているか?

ソレル氏が会社の資金に手を出す必要などないはずだ。側近や彼を個人的に知る人物からの人望はとても厚い。私は彼が故意に不正を行なったとは思えない。少なくとも悪質性はないはずだ。彼に近しい人からは、この数年、「我々がやっていることは、果たして正しいのか?」というような自問自答を繰り返していたという話が聞こえてくる。

――「やっていること」というのは、企業戦略のことか?

彼の周りには、1950年〜1960年のアメリカの広告黄金時代を共に築いてきた著名なクリエイティブディレクターが多い。WPPのイベントや、コーポレートメッセージからは、クリエイティブの力を重視する企業の姿勢が見える。才能豊かなクリエイターにビジネスの場を提供することが、ソレル氏の個人的なミッションだったのかもしれない。今回の件は、その破綻を表しているのではないだろうか。

昨今、クリエイティブエージェンシーは、さまざまな競合との激しい競争にさらされている。プランニング機能を持つプロダクションや、クリエイティブスタジオを抱えるメディア企業、インフルエンサーなども広告主に優れたクリエイティブを安価で提供している。また、主戦場がテレビからソーシャルになったものの、WPPエージェンシーの多くは、それに対応したクリエイティブをいまだ提供できずにいる。そのような環境では、アメリカをはじめとした成熟市場で勝ち続けることは難しい。

いま、エージェンシーのビジネスにはデータの活用が欠かせない。その反面、クリエイティブの価値は下がりつつある。多くの純粋なクリエイティブエージェンシーを抱え、互いに競わせるWPPの方針はいささか虚しく聞こえる。データが優位性となる時代において、クリエイティブエージェンシーを単独で戦わせることは、市場の力学を無視している。今回の件は、クリエイティブエージェンシーというWPPの資産が、負債になったことを意味するのではないか。

――しかし、2009年から2016年まで、WPPは順調に成長を続けていたように見える。

それはおそらく、M&Aによる成長だ。事業会社の自律的な成長によるものではないだろう。周りからは、数年前からグループの大半が大した利益も出しておらず、成長もしていないという話が聞こえてくる。その原因は、グループ企業間の戦略的な連携が進んでいなかったことにもある。

――なるほど。だが、その一方、WPPでもデジタル投資も盛んに行なっていたようだが?

グループ・エム(GroupM)は間違いなくWPPの要だ。だが、その傘下にあるトレーディングデスク企業ザクシス(Xaxis)は広告在庫を安く仕入れ、高く売るためだけのブラックボックスだとも言われている。顧客のためではなく、自分たちの利益のために設計されていたのではないかと。

グループ全体がデータ資産を共有・活用できるように、データアライアンス(The Data Alliance)という組織も作られたが、数千人規模の代理店ネットワークを連携させるほどの規模には見えない。所詮、グループ内の巨大ネットワークごとに異なる方針には逆らえないのだろう。

――とはいえグループ・エムには、オーディエンスベースのプランニングを行うためのプラットフォームもある。

エムプラットフォーム([m]Platform)の考え方は、グループ内外からも少し時代遅れであると言われている。このままではより優れたテクノロジーを持ち、予測分析などを可能にする競合企業に追い越されるのは時間の問題だと思う。

――では、グループ企業間のネットワーク化がうまく進んでいない理由は?

同じような事業形態の会社を「ホリゾンタリティ」という戦略のもとに、無理矢理連携させようとしていたことが問題だ。この戦略も実は顧客価値を目的としておらず、重要顧客のアカウントから、グループ外のエージェンシーを排除することを目的に考えられたのだと思う。

WPPのエージェンシーの多くは労働集約型のビジネスが多く、労働以外から収益を生むことができていないように見える。そのため、利益率はとても低く、経営は人件費に圧迫される。競合のホールディングカンパニーはデータから戦略、メディア、クリエイティブと異なる領域同士で連携する新しいエージェンシーモデルをすでに確立している。大きなコンペに負け、世界的に競争力を失いはじめていることは紛れもない事実だ。

ソレル氏は傘下企業間の関係を「キス・アンド・パンチ(Kiss and Punch:時には協力し、時には競い合う)」と称し、あえて競争環境を創ってきた。しかし、キス・アンド・パンチの文化は、傘下企業間の協力や連携を阻む。グループ内で同じ業態の会社が、限られた顧客の予算の奪い合っていては成長できないのは当たり前だ。

――昨年のADK騒動については、どう見ているか?

WPPはすでに、日本市場における成長を諦めているいるように思う。ADKを通じて日本市場に浸透するという目論見は、随分前に失敗したと認識していたはずだ。ただ、活用する戦略も、他エージェンシーとの協力体制も見出せなかった。

いまではADKを失い、ネットワークが持つグローバル契約にしがみつき、細々と食いつないでいるエージェンシーがほとんどのように見える。そのような状態で優秀な人材もグループ内に留まることはない。

エージェンシーはキーパーソンが去れば、一瞬にして廃れる。何百億という金額で買収したAKQAもスターが去ってしまえば、それまでの強い力を発揮できなくなる。ブランド力だけでクリエイティブエージェンシーを買収しても、成功が続くとは限らない。

――日本のWPPグループ企業は今後、どうなる思う?

日本にはWPP全体で800人ほどしかいない。全社合わせても電通デジタルの規模にも及ばないのに、互いに競い合っていて勝てるわけがない。WPPの地域担当役員からも競争に勝つための戦略は示していないのではないか。

このままでは、いくつかの会社を除き、弱体化を理由とした合併をせざるを得なくなるのではないか。そうならないためにも、誰かをリーダーとし、日本市場における戦略を真剣に考えるべきだ。

――WPPは今後、全体的にどうしていくべきと考えるか?

分断され、互いに戦わされることで、WPPはすべてが後手に回っている。それはWPPの内情だけでなく、報道にも現れている。保有するPR会社を上手く活用すれば、株価の暴落や、ADKの問題、マーチンの辞任はここまで大きな問題にならなかったはずだ。世界一の広告代理店グループとして、自らのストーリーを描き、報道を導くべきだった。なぜここまで自分たちのPRが下手なのか。ニュースでWPPの話を見るたびに愕然としてしまう。

これは、実はWPPというホールディングカンパニーが、大した執行力を持たないことを表しているのではないか。豊富な資金があったとしても、果たして戦略はあるのか? グループ内に宛てられたソレル氏の手紙は「さあ、未来の話に戻ろう」という言葉で締めくくられていた。しかし、正直、いまのWPPから未来は見えづらい。毎日、真剣に仕事を進めるグループ社員全員のためにも、しっかりと未来を語れる人を次のトップに据えてほしい。

Written by 長田真