日本経済新聞社(以下「日経」)は11月6日、iOS・Android向け「日本経済新聞 電子版アプリ」を刷新した。2017年度グッドデザイン賞に選ばれるほど高く評価されているアプリの操作性は、いかにして実現されたのか? DIGIDAY[日本版]は10月16日、担当幹部とチームリーダーに話を聞いた。
日本経済新聞社(以下「日経」)は11月6日、日経電子版全体の刷新にともない、スマートフォン向け「日本経済新聞 電子版アプリ」をiOS・Androidの両方で刷新した。ユーザーの使い勝手にかかわるインターフェースにとどまらない今回の変更の規模は、2015年4月の全面リニューアル以来だ。
オンラインニュース業界では、きわめて熾烈な競争が繰り広げられている。そのなかで媒体社が自社メディアの収益化を図るには、ニュース配信プラットフォームで他社メディアよりもよく読まれるコンテンツを作るだけではなく、自社メディアに直接アクセスしてもらうための経路を用意する必要もある。日本におけるスマホの個人普及率が55%を超えた現在、メディア独自のスマホ向けニュースアプリはその意味で重要であり、会員制サービスを提供する日経がここに力を注ぐのはなおさら当然だ。
そうした努力もあってか、日経電子版アプリと「紙面ビューアーアプリ」は、本紙でも紹介した「日経ビジュアルデータ」と同時に、2017年度グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」に選ばれた。審査委員から「シンプルだが使いやすい」と評価された操作性は、どのようにして実現されたのか。DIGIDAY[日本版]は、同社常務執行役員・デジタル事業担当の渡辺洋之氏と、デジタル事業BtoCユニット・サービス開発グループのアプリ開発プロダクトリーダー、武市大志氏にこれまでの経緯と今後の方向性について話を聞いた。
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徹底したユーザー指向
「とにかく、お客さんと向き合うこと」と、渡辺氏は取材中、何度も繰り返した。2010年3月の電子版創刊に続くスマホアプリのリリースも、そうした想いからはじまったという。「当時はまだガラケーの時代だったが、通信速度が上がってお客さんがスマホを使うようになるから、これからはスマホだと考えた」。
日経電子版は同年10月にiPhoneアプリを、さらに2011年4月にAndroidアプリをはじめてリリース。これは、記者の調べによると、いわゆる「5大紙」(朝日、産経、日経、毎日、読売)のスマホアプリ単体リリースとしては、産経新聞のiPhoneアプリ(2008年12月)と毎日新聞のAndroidアプリ(2010年4月)に次いで3番目。ただし、iPhoneとAndroidの両方を揃えたのは、朝日新聞(2011年7月)や産経新聞(2011年11月)に先んじてもっとも早かった。
しかしスマホアプリ開発はアップデートを重ねていくうちに、あるとき壁に突き当たる。「誰でも最初は、想いがあってモノを作る。しかし想いが実現したあとは、作り上げたモノに愛着が湧く代わりに、問題意識がなくなってしまう」と渡辺氏。そこで有料会員を対象として5段階評価の満足度調査を実施しながら改善を続けたが、ある時点からほとんどの項目で「5」(満足)ばかりが付くようになったという。
「その方法では次のステージに行くための答えが出せなくなったので、直接、大勢のユーザーから深く聞くことにした」。だが、いくら利用者から生の声を聞いても、反映に時間がかかるようでは、変化にはついていけない。「外部リソースに頼る体制では、どうしても即座の対応が困難。だからまずはお客さんが触る部分をすべて担う開発チームを、内部に置いた」。
異端児と相談役
とはいえ内製化は、ディレクションと資金があれば簡単に実現できるわけではない。それまで外部リソースに任せていた仕事を社内でやろうとしても、ノウハウを備えた人材が社内にいないからだ。日経電子版では、この問題をどうやって解決したのか。
最初は社内の「異端児」と社外の「相談役」がキーになったと語ったのは、2014年、リニューアルプロジェクト立ち上げのころに入社し、現在プロダクトマネージャーとしてモバイルアプリ開発チームを率いている武市氏だ。「実験的にいろいろなものを作っていた人が開発部門のなかに数人いた。正式にプロジェクト化された段階で、熟練のプロを顧問として外部から呼んできた」。あふれる若々しい力には、確かな制御が必要だったのだ。
2015年5月のリニューアル版リリース後は、各種イベントへの参加を通じて頼れる仲間を増やしたという。「ハッカソンで一緒にチームを組むと、相手のスキルがはっきりわかる。優秀な人であればメンバーが声をかける」と渡辺氏。また武市氏は「メンバーが内製化のプロセスをカンファレンスで話したところ、スライドがSNSで広くシェアされるほど大きな反響があった。それで興味を抱いた人もいた」と語った。
ユーザー体験を追求したデザイン
では、よりユーザーと向き合うために内製化を実現したことで、デザインはどう変わったのか。2015年4月のリニューアル前後の画面を比較すると、一見なんでもない部分に、グッドデザイン賞の審査員評価にもあった「シンプルだが使いやすい」操作性の秘密があることがわかる。たとえば、現在のマーケットの動向をチェックする場合の操作を考えてみよう。

2015年4月のリニューアル前後の画面比較(iPhoneアプリ)。
変更前のバージョン(写真左)では、まず画面左下のハンバーガーメニューをタップし、続いて左端から引き出されるドロワーメニューで「市況」を選択する。とくにiPhone 6以降を片手で持っている場合、持ち手の親指が目的の項目に届きづらいため、もう一方の手を使う必要がある。
一方、変更後のバージョン(写真右)では、最下部の2段メニューのうち、上段のスライダーを横方向にスワイプして、「マーケット」をタップする。これは持ち手の親指で楽に届く範囲にあるので、片手だけで操作が可能だ。両手での操作が必要な場面は、たとえば画面左上のメニューボタンをタップして「設定」を変更するときのように、ユーザーがニュースを読む行為を自らやめる瞬間に限られる。

2014年なかばにペーパープロトタイピングで作成されたデザイン案(クリックで拡大)。この段階では、ちょうど、NewsPicksのアプリのようにカテゴリメニューを上部に配置する案や、SmartNewsのアプリのように画面を格子状に分割するグリッドレイアウトの案もあったことがわかる。これらのデザイン案はアンケート調査でふるいにかけられ、現行の画面下部2段メニューと、視線の流れが一定になるラインレイアウトが採用された。
このように、ニュースを探して読むときは常に片手で操作できるというデザインは、些細に思えるかもしれないが、ユーザー体験を考えるうえでは実はとても重要だ。ビジネスパーソンには思い当たるふしがあるだろうが、たとえば朝晩の通勤電車のなかで、ビジネスニュースをスマホからチェックしているとき、片手のみでは操作しづらいせいでわざわざ吊り革からもう一方の手を離さなければならないとしたら、バランスを崩さないかどうかが気になって、ニュースの内容に集中しにくいだろう。だが日経電子版アプリでは、読む行為がアプリのデザインによって邪魔されることはない。
自然に、ユーザーが欲する目的の行為に集中できるデザイン。これが、日経電子版アプリが目指したところであり、またその醍醐味なのではないか。「ニュース体験に没頭できるように、デザインを細かいところまで突き詰めた。それを内製でスピーディにやっていったことが、グッドデザイン賞では評価されたのかもしれない」と武市氏は語った。
進取の精神
渡辺氏によると、現在、日経電子版の開発・デザインには社内全体で約40人が携わっている。そのなかで電子版アプリ・紙面ビューアーアプリのチームには、プロダクトマネージャー1人、iOSエンジニア3人、Androidエンジニア3人、デザイナー2人が所属。チームは、新しいことを自ら進んで試してみる気風にあふれているようだ。
たとえばタブレット向け紙面ビューアーアプリのリニューアル(2016年3月)の背景には、新人の活躍があったという。武市氏は「紙面の画像をスマホやタブレットで美麗かつすばやく表示するために、画質は下げずにデータ容量を小さくする必要があった。そこで画像フォーマットを従来のJPEG(ジェイペグ)から高圧縮率の新形式WebP(ウェッピー)に変える際に、入社1年目のエンジニアが大きく貢献した」と語った。
「2017年6月に開かれたAppleの年次開発者会議『WWDC2017』で、iOS11が新しい画像フォーマットHEIF(ヒーフ)に対応することが発表されたときも、そのエンジニアは指示される前から新形式をすぐに試していた。性能以外の面でハードルがあるため近日中の実用化は難しいが、それもやってみて初めてわかることだ」と武市氏。内製化の効果は、組織の若返りという形でも現れているのかもしれない。
言葉にならない願いを聞くこと
2017年11月6日の全面刷新では、何が変わるのか? 「全体としては、紙ファーストではなく、デジタルファーストにシフトする。出稿体制が、朝刊・夕刊という区分から、マーケットが動くなかでみんなが仕事をしているあいだに、ニュースが出てくるという形に変わる」と渡辺氏は説明した。
アプリ単体については、刷新後の画面を見る限り、まず、画面最下部のスライドメニューの項目が「経済・政治」「ビジネス」「マーケット」など紙面の分類に近づいている。また、トップニュースの直下(やはり片手親指が届く画面中央やや下寄り)に「神鋼不正」「働き方改革」などホットトピックのスライダーが追加されている。これにより、片手操作の利便性はそのままで、慣れ親しんだ分類に沿って記事を探しやすくなるとともに、いま注目の話題を追いかけやすくなるだろう。
「電子版は、従来、紙の新聞と比べて電子版にしかないメリットを質と量の両面で強調するように設計されていた。だが電子版の有料会員が50万人を超えたいま、ひとつの区切りがついた。これからは、デジタルファーストという次の時代に適合するベストなデザインをめざす」と渡辺氏は意気込む。
日経電子版の有料会員数は、今年7月時点で約55万人。世界の新聞社の有料報道サイトのなかでは、米ニューヨーク・タイムズ(7月時点230万人)、米ウォール・ストリート・ジャーナル(7月時点127万人)、米ワシントン・ポスト(7月時点100万人超)、英フィナンシャル・タイムズ(4月時点65万人)に続く第5位の規模だ。この群雄割拠のオンラインニュース分野でさらなる成長をめざすにあたり、「ユーザー指向」とは日経にとって何を意味するのか?
「言葉になっていないものを探ること」と渡辺氏は語った。「それを、『そのとおり、自分が欲しかったのはこれなんだ』と思ってもらえる形に仕上げられるかどうかが、一番大事なのではないか」。
Written by 原口 昇平
Interview by 長田 真
Image courtesy of 日本経済新聞社