「Vox.com」を運営するVox Media社にとって2015年の7月は、大きなターニングポイントとなった。メリッサ・ベルが成長戦略・分析担当バイスプレジデントに就任したからだ。
36歳のベルは、ジャーナリストから「テクノロジスト」に転向したという業界では珍しい経歴を持っている。しかし、デジタルパブリッシングではコンテンツ内容とディストリビューション方法が密接に関係するため、彼女のような人材は今後ますます重宝されるようになるだろう。技術と編集、この2つの分野は、異なる視点を与えてくれるだけでなく、それぞれに違う文化や優先事項があり、働く時間帯までも異なるからだ。
彼女はいま、デジタル時代の記者として、生きるべき姿を体現している1人といえる。
デジタル時代において、雑誌全盛期のプレミアムな感覚を呼び起こすニュースサイトとして、若年層のミドルアッパークラスに人気の「Vox.com」。有象無象なWebメディアとは一線を画し、同サイトが与えてくれるハイセンスかつ快適なWebメディア体験は、特筆ものだ。
特に、いま話題のキーワードをカード形式でわかりやすくまとめてある「Card Stacks(カードスタックス)」コーナーは、「Vox.com」の人気を決定づけるものとなっている。それをジャーナリストながら開発し、大ヒットさせたのがメリッサ・ベルだ。彼女はいま、デジタル時代の記者として、生きるべき姿を体現している1人といえる。
「Vox.com」を運営するVox Media社にとって2015年の7月は、大きなターニングポイントとなった。メリッサ・ベルが成長戦略・分析担当バイスプレジデントに就任したからだ。フィラデルフィアの中心街で行われた会議には90人以上の社員が集まり、VRアプリやインタラクティブビデオなど、会社の次なる革新に向けての話し合いが行われた。そこで、新たにバイスプレジデントとして任命されたメリッサ・ベルは、各テーブルで、ハグやハイファイブで感謝を社員に伝えた。
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技術と編集、この2つの異なる視点
「この仕事が大好き」とベルは話した。「この仕事以上に楽しい仕事はほかにない。まるで子どもの頃に、大きなレゴセットで遊んでいるかのよう」。
36歳のベルは、ジャーナリストから「テクノロジスト」に転向したという業界では珍しい経歴を持っている。しかし、デジタルパブリッシングではコンテンツ内容とディストリビューション方法が密接に関係するため、彼女のような人材は今後ますます重宝されるようになるだろう。技術と編集、この2つの分野は、異なる視点を与えてくれるだけでなく、それぞれに違う文化や優先事項があり、働く時間帯までも異なるからだ。
Vox Mediaの成長戦略・分析担当バイスプレジデント メリッサ・ベル(photo by Sonya Doctorian)
「Wonkblog」のブロガーから編集者に転向し、「ワシントンポスト」に勤務しているとき、ベルはジャーナリストにとって、いかにテクノロジーが重要かを知った。ブロガー時代の同僚であるエズラ・クラインとは、彼のサイトのデザインを見直している最中に出会ったそうだ。
クラインはベルについて、「優れた才能を驚くほど持っている」と説明する。その才能のひとつが「編集とテクノロジーを掛け合わせ、質を高める才能」。「誰も彼女抜きで会議をしようとは思わない。どんな会議でも彼女が中心となる。彼女は編集とプロダクトデザインに関するニーズや、そこへたどり着く方法が分かる、数少ないマネージャーだ」。その最たる例が「Vox.com」の「Card Stacks」だ。
その後、「ワシントンポスト」を離れたクラインとベルは「Vox.com」の立ち上げに参加。「Vox.com」は、Vox Mediaの報道部門で、ニュース解説を主とするジャーナリズムを開拓した。彼女は編集とプロダクト開発、ふたつの責任を背負うことになる。立ち上げ当初は、主にクラインが注目されていたが、「Vox.com」の中心的な機能である「Card Stacks」の開発は、ベルが行ったとクラインは語った。
「Vox.com」を象徴する「Card Stacks」
「オバマケア(民間より安価な公的医療保険への加入を国民に義務付ける制度)のときに、その詳細について、なにか通常の記事とは違う方法で伝えられないかと考えていた。私のアイデアは、まだぼんやりとしたものだったが、それを『Card Stacks』という形にまとめたのが彼女だ。その新しい製品を実現するために、何が必要かを理解していて、プロダクト開発部のスタッフとともに検討を重ねてくれた。彼女は私たちが編集面で何がしたいのかをとても良く理解しており、それと同時にユーザーエクスペリエンスやユーザーデザインの設計も行える、器用さがあったのだ」。
もともとは記事のバックグラウンド情報を補足するコーナーとして開発された「Card Stacks」。読者が最新情報に追いつくための魅力的な機能となり、「Vox.com」が差別化を図るための主軸となった。この「Card Stacks」は、同サイトのオーディエンス開拓を手助けするだけではなく(最近では埋め込み可能になり、外部のメディアサイトでもエンベットできるようになった)、Vox Media内の6つの兄弟サイトでもテンプレートとして活用されている。デジタル市場分析を行うサービス「comScore」によると、2014年4月のサイトローンチから翌年7月までに、「Vox.com」には1200万人以上ものユニークビジターが訪問したという。
「ニュースをどう説明するかのアイデアは、エズラ、マット・イグレシアス(『Vox.com』編集長)とメリッサが出した」と、プロダクト開発部の主任で、ベルの上司でもあるトレイ・ブルンドレットは話す。「今後私たちがこれを行っていくのだと、すぐに分かった」。
Vox Mediaの急成長に、ベルが果たしたこと
同時に(今もだが)、ベルは「Vox.com」の編集面にも携わっており、ニュースアプリ、グラフィックス、動画、解析、短文記事や契約などの部門を監督していた。編集に携わることで、プロダクト開発にも良い変化が起こると信じているからだ。「彼女は数百にも及ぶコンテンツの編集を行った」と、クラインは語る。「彼女抜きで、どのようにVox Mediaを運営したら良いかわからない」。
数年前と比べて、Vox Mediaはまったく異なる会社へと変貌した。1億ドルほどの資金を元に、代表のジム・バンコフは、「CURBED」のグループサイト(「CURBED」「EATER」「racked」)を買収。それで、Vox Mediaの有名サイト「SB Nation」「The Verge」の足りない部分を補った。そして、「Vox.com」を立ち上げたのだ。さらに、2015年初頭には「re/code」を獲得している。しかし、つい最近まで、プロダクト開発はそれぞれの部門で行っていたという。そこでVox Mediaは、この急成長を支えるため、他部門で共有できる運営方法とプロダクトを開発する必要があったのだ。
その仕事は、7つのサイトすべてに携わっているベルに任せられた。「メリッサの役割が象徴していることは、我々は1000もの花を開花させようとしているのではなく、7つの花を開花させようとしていることだ」と、ブルンドレットは語る。
ジャーナリスト、メリッサ・ベル
ベルがジャーナリストとしての道を歩むことになったのは偶然だった。彼女の家系は弁護士一家で、ジョージタウン大学を卒業後、法学校に進学する計画だったという。ニューヨークに移り住み、法律事務所でアシスタントとして働いていた。
そこで、9.11が起きた。ベルはその悲劇に打ちひしがれ、何も手助けができない自分に無力感を感じた。その記憶にベルは、いまだに涙が溢れるという。「まだ自分のなかでは解決していない。自分がとても無力だと感じた。何の役にも立たなかった」。その1年後、彼女は仕事を辞め、アルバイトや臨時の仕事のためニューヨークを離れた。レース場のレストランやバーで働いたり、東ヨーロッパをバックパッカーとして旅行したりした。
これをあまり良く思っていなかったベルの両親は、彼女にジャーナリズムを薦め、名門のノースウェスタン大学へ願書を出した。そこで、人と個人的に繋がる仕事に就いて、人との繋がり方を教える記事を書きたいと思ったそうだ。ノースウェスタン大学では勉学に没頭。「勉強がとても面白く、大好きだった」と彼女は話す。「私には強い好奇心があった」。
学校のグローバル・ジャーナリズム・プログラムを通じ、ベルはインドに辿り着く。そこで彼女はラジュー・ナリセッティに雇われる。彼はウォールストリートジャーナルのベテランで、現在はNews Corpのシニア・バイスプレジデントとなっている。インドで彼女は、「Mint」というデリーで発行されている経済誌に携わることになった。
そして、テクノロジストになる
家主との交渉や日々の通勤、デリーでの生活は困難を極めたという。ほかのスタッフと同様に、ベルにも多くの困難があったとナリセッティは語る。「デリーでの仕事と生活の調和はとても厳しかった。涙を拭くのに、ティッシュ箱が役立ったことも多かった」。
しかし、ベルには「陽気なカリフォルニア気質」があり、新たなことに挑戦する熱意ももち合わせていたため、ナリセッティは彼女をミラノへ送った。これは「メソッド(Méthode)」という「Mint」の新たなコンテンツマネジメントシステム(CMS)を試すためだった。「2006年に彼女が新たなCMSを取り入れる様子と、それでもなおジャーナリズムへの熱意を失わずにいた様子を見ていたので、彼女がVox Mediaの技術的中心人物になっていることに何ら不思議は感じなかった」と、ナリセッティは話す。後にふたりは「ワシントンポスト」でともに働くことになる。
「ワシントンポスト」が業績低迷からやっと脱出したことや、新たに紙面とデジタル面での融合を図っていたことによる過酷なストレスのなかで、ベルは一層成長した。そうしたなか、ボクシングのサンドバッグを叩くことでストレスを発散することを覚え、現在も続けている。
ジェンダー、そしてダイバーシティ
「Vox.com」でベルが裏方として働くようになったとき、そのローンチで世間の注目を集めたのは有名ブロガーのクラインだった。当時、メディア評論家のエミリー・ベルは「ガーディアンポスト」に寄稿し、「Vox.com」を含む、急増するデジタルジャーナリズムについて「『白人の男たち』に率いられている」と酷評した。
ベルは「裏方」となることを好んでいたが、この出来事でメディアにおける性差別を考えるようになったという。過去の会議で無視されたことを思い出したのだ。それは自分が女性であったから無視されたのか、それともアイデアが良くなかったから無視されたのか? そもそも大勢の人の前で話すのが苦手であったことも要因かもしれないと思い悩んだ。「性差別はとても繊細な問題です」と、彼女は言う。「皆が注意を注がなくてはいけない」。
また人材の多様性についても、より多く話題にするようになった。現在、彼女はVox Mediaを、多様性を快く受け入れる場所にしたいと考えている。それには性別だけではなく、人種、年齢や思想も含まれるという。「私は一緒に働く女性たちだけではなく、すべての女性に対して責任があると気付いた」。
メリッサ・ベルが考えるメディアの未来
さらに、彼女は会社が成長するためのコネクション作りにも勤しんでいる。従来のメディア会社は、それぞれが独自に活動を行っていたが、現在のデジタルパブリッシング業界において多くのオーディエンスを取り込むためには、会社同士が協力しあう必要があると考えていたのだ。Vox Mediaは、このような過去の概念にとらわれずに、事業を始められた利点はある。でも、実際の「挑戦」は難しい。
多くのメディアが他社のプラットフォームで展開する取り組みが急増するなか、Vox Mediaが成功するためにはデジタル技術を生かした記事が鍵となるとベルは考えた。成長戦略・分析担当バイスプレジデントという役割のなか、彼女はプロダクト開発部の人材も報道部門に編入させる。これと同様に、成長戦略部門の人材も編入させ、読者を開拓していった。
「オーディエンス、人材や収益の観点から見て、私たちは大きく成長した」と、彼女は振り返る。「最大の危険は、私たちが同じゴールに向けて歩まないことです。もし同じゴールに向けて歩んでいなければ、読者やお金をみすみす逃してしまうことになる」。
少なくとも今のところ、彼らは正しい道を歩んでいる。ホワイトボードには現在編集とプロダクト開発の2つに時間を割いている野球ブロガーのエリック・サイモンがいる。今週の会合では、彼は新たなるデータのプレゼン方法について考えていた。ベルはサイモンのような人材に、編集とプロダクト開発を行き来できる、Vox Mediaの現在の柔軟な文化を維持してほしいと願っている。
「私がVox Mediaについて常に魅力的だと思っていることは、どっちの味方をするか選ばなくて良いことだ」と彼女は話した。
Lucia Moses(原文 / 訳:小嶋太一郎)