およそ10年前のある日曜日に、デイビッド・ブラッドリー氏はワシントンからニューヨークへ向かう夜10時のアセラ・エクスプレスに乗っていた。そこで同氏は、向かいの席にニューヨーク・タイムズ(The New York Times)の次期CEO、メレディス・コピット・レヴィエン氏が座っていることに気づいた──。
およそ10年前のある日曜日に、デイビッド・ブラッドリー氏はワシントンからニューヨークへ向かう夜10時のアセラ・エクスプレスに乗っていた。そこで同氏は、向かいの席に元部下の広告会社役員、メレディス・コピット・レヴィエン氏が座っていることに気づいたという。
当時米レガシーパブリッシャーのアトランティック(the Atlantic)の大株主であったブラッドリー氏は、レヴィエン氏としばらく歓談。そののち、ほかの乗客が眠るなか、ふたりはノートパソコンで仕事をはじめた。「しばらくして私は小説が読みたかったので、メレディス氏にノートパソコンを閉じてほしいと思いはじめた。その方が気兼ねなく読書ができるからだ。しかし彼女は働き続け、私もそのままノートパソコンに向かうことにした」とブラッドリー氏は振り返る。その後、午前1時を過ぎブラッドリー氏は仕事を終えたが、レヴィエン氏は列車が到着して乗客が荷物を下ろしているあいだも仕事を続けた。「それ以来、あまり彼女と顔を合わせる機会もなかった。しかしいまでも、彼女がアムトラック(Amtrak:全米を走る旅客鉄道)のどこかの駅の駐車場に2000年代の車を停めて、WiFiを接続して仕事をしている姿が眼に浮かぶ」。
確かに、レヴィエン氏はいまも働き続けている。それもメディア業界でもっとも過酷で注目を集める役職で。同氏は9月にニューヨーク・タイムズ(The New York Times:以下、NYT)のCEOに就任するのだ。
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驚異的な出世速度
業界ではレヴィエン氏のこうした働きぶりはよく知られている。たとえば、同氏がフォーブス(Forbes)に勤めていたときの元上司、マイク・パーリス氏は「彼女はいったいいつ寝ているのだろうか。寝ていないはずはないのだが、業界の不思議のひとつだ」と語っている。レヴィエン氏の同世代からは、同氏の人柄の良さとビジネスへの知識の深さへの称賛が多く聞かれる。また、同氏の野心やメディア事業の変化に自らを適応させていく能力も、高い評価を受けている。伝統ある広告企業で役員を務め、スポンサードコンテンツ時代のパイオニアとして名を馳せた同氏だが、時流を読んでサブスクリプションへの移行に成功。その立場を確固たるものにした同氏は、NYTのプロダクト技術部門の責任者に就任している。
そしてレヴィエン氏は49歳にして、同社で最年少のCEOとなる。これは驚異的な出世速度だ。2013年にはタイムズにヘッドハントされ、同社の広告部門の責任者に就任。旧態依然としていた同社の変革を率い、インハウスの広告スタジオの設立を手掛けた。そして2015年には最高収益責任者に昇格。サブスクリプション事業を同社のポートフォリオに加えている。そして2017年の組織改編にともない、レヴィエン氏は最高執行責任者に昇進。同社における地位を盤石なものにした同氏は、有力な次期CEO候補と目されるようになった。そして今年7月、それが現実ものになったのだ。
NYTの発行人、A.G.ザルツバーガー氏は、レヴィエン氏が「当社の広告事業を再構築したほか、歴史的な購読者数の増加、プロダクト革新文化の醸成といった、当社におけるもっとも大きな仕事を成功に導いてきた」と評価している。前CEOのマーク・トンプソン氏もレヴィエン氏に関する記事を寄稿、取締役会は「レヴィエン氏以外考えられない」と決断を下したという。
本記事ではレヴィエン氏へのインタビューは実現しなかったが、同氏はCEO就任について「これまで生きてきたなかで、もっとも光栄なことだ」と述べている。同氏は、タイムズにとって明るい兆しが見えるタイミングでCEOに就任することになった。第2四半期、同社の電子版の収益が初めて紙版の収益を上回り、電子版の登録者数が66万9000人増加している。これは四半期の増加数としては同社で過去最高だ。一方、広告収益はコロナウイルスの影響で43.9%と大幅減になっている。
NYTの現状
トンプソン氏は、紙媒体を中心として低迷していたNYTでデジタル事業への変革と、経営の健全化に成功。同社の購読者は増え、トランプ大統領が同社の記事について繰り返し批判するなかでジャーナリズムを貫き通したのも同氏の功績だ。NYTは昨年時点で、トンプソン氏が2020年までの目標として掲げていた8億ドル(約840億円)のデジタル収益を達成している。同氏が就任した8年前の時点では、在任中に家族経営のNYTがモダンなデジタルサービスに切り替えられるかは未知数だった。
一方、レヴィエン氏の就任時点で、同社は潤沢な資金を抱えており、新たな投資への機会が開けているといえるだろう。とはいえ課題も残されている。いまの広告市場は厳しさを増しており、メディア業界全体で多くのパブリッシャーが危機に瀕している。また、米大統領選ではドナルド・トランプ氏が劣勢となっている。これまで4年間、トランプ氏にまつわる緊急ニュースが各紙の紙面を賑わせ、新たな購読者の獲得に繋がってきたが、そうした機会も失われる可能性があるのだ。急速に成長を続けるサブスクリプション事業だが、成長限界に達したり、投資家がよりマージンを増やすよう要求したりする可能性も残されている。
NYTのCEOが困難な役職であることに疑いの余地はない。だが、レヴィエン氏を知る業界人の多くは、同社の勢いを維持できる人物がいるとすれば、それはレヴィエン氏しかいないと口を揃えている。
「まるで打ち上げロケット」
米DIGIDAYが2015年に行ったレヴィエン氏のインタビューの中で、バージニア州リッチモンドの高校に通っていた頃に両親が購読していた日曜版が、同氏がNYTに触れる最初の機会に繋がったと明かしている。大学時代からジャーナリズムに傾倒していた同氏は、バージニア大学の学生新聞、キャバリア・デイリー(the Cavalier Daily)にまず記者として、その後に有給の広告販売員として参加している。キャバリア・デイリーが7月に実施したインタビューで同氏は、「書くことも、編集も、報道することも大好きだった」と語っている。
レヴィエン氏は同大学を卒業後ニューヨークに移り住んだ。そこで同氏はMLS(Major League Soccer)のチーム、D.C. ユナイテッドの共同オーナー、ジェイソン・レヴィエン氏と結婚し、ひとりの息子を授かっている。レヴィエン氏は、冒頭に出てきたブラッドリー氏のコンサル会社、アドバイザリーボード(Advisory Board)でキャリアを開始した。ブラッドリー氏によると、レヴィエン氏はそこで医療施設や医療システムへの営業で全米を飛び回っていたという。さらに、「レヴィエン氏は『まるで打ち上げロケットのように出世街道を駆け上がった』と」ブラッドリー氏。彼女は実際、最年少で同社の共同経営者に選出されている。
アドバイザリーボードはやがて上場。ブラッドリー氏は、資金繰りに苦しんでいたアトランティック誌を買収して、メディア企業の役員となった。同氏はレヴィエン氏を広告ディレクターとして雇い、後に2006年に設立した独立系雑誌、02138に移るよう勧めている。02138は同氏が買収したハーバード大学卒業生向けの雑誌だが、長続きせず廃刊となっている。ブラッドリー氏は、苦戦する02138を救うようレヴィエン氏に頼んだのは非常に残酷な仕打ちだったと語っている。「あの雑誌に関わったほとんど全員にとって、非常に苦い体験となった。あれは私の責任だった」。
フォーブスでの功績
2008年にレヴィエン氏はフォーブスに入社。高級女性誌のフォーブスライフ(Forbes Life)を担当している。米DIGIAYが報じたように、レヴィエン氏は同誌を紙媒体から電子版に完全移行させ、同社のウイメンズ・カンファレンス(Women’s Conference)へと発展したイベントの立ち上げを行うなどの改革を進め、大きな成功を収めている。実績を重ねた同氏は、フォーブスの最高収益責任者に就任。プログラマティック広告やスポンサードコンテンツ組織のブランドボイス(Brandvoice)を成功に導き、黒字化に貢献している。
レヴィエン氏はブランドボイスを通じ、当時はまだ新しいコンセプトのひとつに過ぎなかったネイティブアドを活用し、フォーブスの新時代を切り開いた。ブランドボイスでは、フォーブスのプラットフォームで広告主が独自コンテンツを作成することを許可した。これはエディトリアルとビジネスの線引きを絶対視するジャーナリストらから厳しい批判にさらされたが、同社に事業の若返りと収益増をもたらした。レヴィエン氏のブランドボイスでの業績は、世界中の広告業界から称賛を集めた。
バンク・オブ・アメリカ(The Bank of America)の最高マーケティング責任者、メレディス・バードン氏は「フォーブス時代のレヴィエン氏は、比類なきイノベーターだった。オーディエンスから人気のエディトリアルコンテンツでブランドを魅了し、信頼を築いて長期的な関係を築いた」と語る。
前出のフォーブス元CEO、パーリス氏は、レヴィエン氏が明確な収益目標を定め、チームをひとつにまとめあげた手腕を高く評価している。「フォーブスは小さいグループに分かれて業務にあたる傾向があった。そして序列もはっきりしており、それに沿って情報を非常に慎重にやりとりしていた。レヴィエン氏はそれを変えることに成功した」と同氏は語る。
NYTから勧誘されたレヴィエン氏は当初、長年苦戦を続けていた同社への就職について躊躇していた。パーリス氏は同氏にフォーブスに残るよう説得を試みたが、かなり話が進んでいることに気づいたという。「なんとか引き留めようとしたが、彼女の使命感に火がついているのを感じた」と同氏は振り返る。
適切なタイミング
レヴィエン氏が2013年にNYTに入社した当時、同社のデジタル事業は完全な迷走状態にあった。NYTが発行した96ページのイノベーションレポート(Innovation Report)でも、競合他社から大きく遅れを取っていると書かれている。レヴィエン氏は広告部門で、紙版と電子版でより一貫した販売システムを設計し、社員の見直しとダブルクリック・フォー・パブリッシャー(DoubleClick for Publishers)の実装を進めた。
また、フォーブスのネイティブアド戦略もNYTに導入している。当初は社内からの反発も少なくなかったという。当時の編集長ジル・エイブラムソン氏(BuzzFeedが上述のイノベーションレポートをリークした前日に退任し、ディーン・バケ氏が後任となった)もそのひとりだ。一方、レヴィエン氏が新たな有料投稿プログラムを導入した際、当時の発行人アーサー・ザルツバーガー・ジュニア氏は、ネイティブアドは「比較的新しい技術ということもあり、物議を醸す可能性はある」としつつも「デジタル広告収益の成長につながる重要なソリューションだ」というメッセージを発表、レヴィエン氏を後押ししている。
NYTの広告担当役員で、現在はフィラデルフィア・インクワイアラー(The Philadelphia Inquirer)の最高戦略技術革新担当役員を務めるマイケル・ジンバリスト氏は「レヴィエン氏はフォーブスでの経験を通じて、デジタルにおいてふたつの重要なトレンドがあると確信していた。それは、ブランデッドコンテンツとプログラマティックだ」と語る。「レヴィエン氏がNYTに来た当時は、いずれのプロダクトも戦略も、スムーズに受け入れられたわけではなかった。同社の全面的な支持を得るのは容易ではなかったが、同氏はそれを成し遂げたのだ」。
迅速かつ適切な対応
NYTの社員が、スポンサードコンテンツ部門となったTブランドスタジオ(T Brand Studio)の業務に慣れるのに、それほど時間はかからなかった。Netflix向けに制作されたスポンサード番組の『オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック(Orange is the New Black)』のように、ニュースルームから高い評価を受けたプロジェクトもあった。レヴィエン氏は、同氏のネイティブアドのパフォーマンスが、ニュース記事を上回ったという功績を、アメリカ広告業協会のイベントで「謝罪」したこともある。
ジンバリスト氏は、どういった動きが編集部門を怒らせるかを感じ取る力にレヴィエン氏は長けていたと語る。同氏はオピニオン部門が執筆した記事を考えて、一度は公開されたアルコールブランドのスポンサード投稿を取り消したこともあるという。レヴィエン氏は編集側に間違いを迅速に伝え、すぐさま投稿を修正している。「クライアントは満足していたようだ。レヴィエン氏の対応がいかに迅速かを示している」とジンバリスト氏は語る。
レヴィエン氏の営業部は、同紙のさまざまな分野で大規模かつ包括的な契約を勝ち取っている。GEのCMO、リンダ・ボフ氏は同氏について「私が知る誰よりも課題解決に邁進してきた。またNYTの実情と、何が可能か私たちマーケターが理解できるよう説明するのがうまく、コネクション作りに長けていた」と語る。ボフ氏は、同社がNYTと提携したオーディオ関連のプロジェクトや日曜版におけるVRゴーグルを活用したキャンペーンなど、レヴィエン氏のキャンペーン(米DIGIDAYの当時の報道によれば100万ドル[1億円]超の規模)は最高のものだった振り返る。
将来に向けて
2015年時点で、NYTの経営陣はすでに広告事業が同社にとって将来性のないものであるとの見解を共有していた。当時はまさにGoogleとFacebookが広告市場を飲み込もうとしていた時期。同社の強みはブランドとしての知名度と、最高峰のジャーナリストにあった。当時発行されたワンパスフォワード(Our Path Forward)という同社の文書には、加入者を増やすことこそが、同社の戦略であるべきだと記されている。レヴィエン氏は最高収益責任者に昇格し、これまで馴染みのなかったサブスクリプション収益も担当することになった。そしてサブスクリプションでもレヴィエン氏が成功を収めたのを見て、社内では彼女がトンプソン氏の後継者たりえる人材ではないかという声が強まったのだ。
情報筋によると、唯一の懸念はレヴィエン氏のポートフォリオがまだ不十分だった点だという。当時のNYTでは、ニュース、広告、プロダクトが3本の柱だった。そしてプロダクトを担当していたのがキンゼイ・ウィルソン氏だ。同氏はデジタル部門の成功に貢献するとともに、ビジネスとニュースを結びつけるのに欠かせない人物として活躍してきた。ウィルソン氏は、ややこしかった同社のデジタルプロダクトを改善し、サイロ化していた技術インフラを単一のシステムへ統合、合理化した。
その後に何が起こったのかは、社内の誰に尋ねるかによって答えが変わるだろう。NYTは極めて権力闘争の激しい組織だ。「クーデター」と表現する人もいれば、「組織の変革」と呼ぶ人もいる。いずれにせよ2017年、レヴィエン氏は最高運営責任者に就任することとなった。そしてウィルソン氏は会社を去った。
ウィルソン氏は「権力闘争とは捉えなかった」と振り返る。「実際、NYTほど、才能があり、平等で、密接な協力関係を同僚と築けた会社はなかった。私は複雑な大手メディアにおけるデジタルトランスフォーメーションにキャリアを捧げてきた。それもあって、組織では絶えず評価と変化が必要だと考えている。そしてそこにはテリトリーの話がついてまわるものだ」。
強い影響力
ウィルソン氏の退任にともないレヴィエン氏は、プロダクト、デザイン、技術も担当することになり、トンプソン氏の後継者としての地位を確固たるものにした。それ以来、NYTクッキング(NYT Cooking)やクロスワード(Crossword)アプリといった同社のデジタルプロダクトは、デジタル部門における重要な収益源となっている。前四半期の加入者66万9000名のうち、17万6000名はクッキングやクロスワード、オーディオプロダクトを通じて獲得した。
実際、同社はオーディオプロダクトを重要分野に位置づけている(レヴィエン氏も、忙しいときは1.5倍速や2倍速でポッドキャストを聴いているという)。なお先月同社は、大人気ポッドキャスト番組『シリアル(Serial)』の制作会社の買収を発表した。マイケル・バルバロ氏が司会を務めるNYTのポッドキャスト番組『デイリー(Daily)』も、ここ数年で一番のヒットとなり、1日で約300万ダウンロードを達成している。
レヴィエン氏の影響力を示すもうひとつの例が、NYTがデイリーのための宣伝組織を立ち上げていることだろう。2016年の米大統領選挙後、NYTの編集部がバルバロ氏のキャンペーン用ポッドキャスト番組をどのように継続するかを検討するなか、営業部はひと足先にBMWと数百万ドル(数億円)規模のキャンペーン契約を締結しており、そこには毎日配信されるポッドキャストのニュース番組とのスポンサー契約も含まれていた。
周囲の反応
現時点で、世界中に散らばるNYT支局のスタッフのあいだでは(Zoomを含めて)、レヴィエン氏の昇格のニュースを喜ぶ声が大きい。特に、同氏と交流のある編集スタッフのあいだでは、同氏に好意的な意見が優勢だ。レヴィエン氏のスタッフ会議での発言は、適切かつ本気でジャーナリズムを気にかけたものだという。そして、若い女性がトップに就任するということについても、喜ばしいと考えるスタッフが多い。
とはいえ、社内の人間はさほど大きな変化は起こらないと考えているようだ。レヴィエン氏はアクシオス(Axios)のインタビューのなかで、NYTの戦略は「方向性としては現状機能している」と語り、「ここからは何を強調するかが重要になるだろう」と述べている。だが、目標となるのは2025年までに電子版の加入者を現在の600万人から1000万人にまで引き上げることだ。
この野心的な目標についても、少なくともデイビッド・ブラッドリー氏は確信を持っているようだ。「レヴィエン氏はCEOとして、必ず成功を収めるだろう。それは地球が太陽の周りを回るのと同じように、疑いようもない」。
[原文:‘Unstoppable innovator’ The meteoric rise of Meredith Kopit Levien, the next New York Times CEO]
STEVEN PERLBERG(翻訳:SI Japan、編集:村上莞)