テレビネットワークは当初、できたばかりのストリーミング事業を、収益性の高い従来型(リニア)放送事業に紐付けていた。だが、いまやテレビネットワークはストリーミング事業を従来型放送から切り離すだけでなく、むしろレガシー事業をストリーミングに従属させるか、あるいは完全に放棄することに備える必要がある。
企業家タイプの人にイノベーターのジレンマについて聞いてみたら、「船を燃やせ」とアドバイスされるかもしれない。
この言い回しは、論争の的になるスペイン人征服者エルナン・コルテスが、アステカ帝国の征服に赴いた際、退路を断つために船に火を放てと命じたという伝説に基づいている。あるメディア幹部はこの戦略を、テレビネットワークが陥っている窮状からの打開策として提案している。業界の基盤はもはや、ストリーミングに「シフトしつつある」のではなく、「シフトした」のだ。
テレビネットワークは当初、できたばかりのストリーミング事業を、収益性の高い従来型(リニア)放送事業に紐付けていた。だが、今年のストリーミング視聴者数の急増と、有料放送の加入者数の継続的減少を考えれば、テレビネットワークはストリーミング事業を従来型放送から切り離すだけでなく、むしろレガシー事業をストリーミングに従属させるか、あるいは完全に放棄することに備える必要がある。「誰かが船を燃やさなければならない」と、先のメディア幹部はいう。
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船を燃やしはじめたものたち
実際、そうする者たちが出はじめている。ワーナーメディア(WarnerMedia)のCEO、ジェイソン・キラー氏は、AT&T傘下のコングロマリットである同社の劇場映画事業に対し、たいまつを掲げたも同然だ。同氏は2021年公開予定の全作品を、劇場公開初日に同社のストリーミングサービス「HBOマックス(HBO Max)」で配信すると発表したのだ。一方、NBCユニバーサル(NBCUniversal)のCEO、ジェフ・シェル氏も、コムキャスト(Comcast)傘下のコングロマリットである同社のケーブルテレビネットワークに手をつけることを検討中だと報じられており、同氏もまたストリーミングサービス「ピーコック(Peacock)」を中心に据えた方針転換をはかっている。さらに、バイアコムCBS(ViacomCBS)でCEOを務めるボブ・ベーキッシュ氏とディスカバリーのCEOであるデビッド・ザスラフ氏もまた、発足を控えるそれぞれのストリーミングサービスであるパラマウント+(Paramount+:改名し、リニューアルした旧CBSオールアクセス[CBS All Access])とディスカバリー+(Discovery+)を主軸に、社内改革を進めているようだ。
10年前なら、ここに挙げたような幹部たちはどうかしていると思われただろう。だが2020年のいまとなってはむしろ遅れている。ディズニー(Disney)は1年余り前にディズニー+(Disney+)をローンチしたばかりだが、いまだ予算の大部分を従来のテレビ放送に支出する集団であるアドバイヤーでさえ、これらのネットワークは市場進出が少々遅れたと考えている。とりわけストリーミングサービスが来年まで始まらない(あるいは再始動しない)CBSバイアコムやディスカバリーなどは後発組という扱いだ。
「これらの企業が市場に進出する頃には、ほかのメディアは(オーディエンスのストリーミング視聴習慣が)確立されているだろう」と、あるエージェンシー幹部は話す。「1年出遅れるには最悪のタイミングだったように思う」。
しかし、NBCユニバーサルとワーナーメディアの例をみればわかるように、いまからでも遅くはない。加えて、後者はもっともわかりやすく「船を燃やす」決断を下したようにも思えるが、じつは従来型テレビ放送事業の側ではきわめて慎重に火遊びをしている。
ワーナーメディアの慎重な火遊び
NBCユニバーサルのピーコックには、今年9月以降に新たに加わった400万人を含め2600万人がサインアップしていると、CEOのシェル氏は12月8日の投資家向けカンファレンスで述べた。ただし、サインアップ数は有料登録者数やアクティブユーザー数と同一ではない点に注意が必要だ。それでもこの数字は、少なくともピーコックが引き続き人々の関心の的になっている証拠ではある。NBCユニバーサルはいずれ、実際のユーザー数を公開して、サービスにはただの通りすがりでない本物の視聴者がいると示す必要があるだろう。
一方、新作映画の同時配信というワーナーメディアの賭けは、すでにHBOマックスの見通しの改善をもたらしたようだ。9月末の時点でHBOマックスの登録者数は2870万人(この中にはHBOの有料放送契約の一部としてHBOマックスを視聴している人も含まれる)。AT&TのCEO、ジョン・スタンキー氏は12月8日の投資家向けカンファレンスで、ワーナーブラザーズ(Warner Bros.)の発表は、HBOマックスの登録者数を2025年までに5000万人にするという、ワーナーメディアの目標達成を加速させるものだと述べた。
HBOマックスに映画が追加されることで、同ストリーミングサービスで今後始まる広告付きバージョンの登録者数も伸びるかもしれない。ただし、現時点では広告付きバージョンの登録者にも映画の視聴が可能かどうかは不明で、HBOマックスの広報担当者は質問への回答を差し控えるとした。いずれにせよ、発表後にHBOマックスに対するアドバイヤーの関心は高まった。『DUNE/デューン 砂の惑星』などの映画のストリーミングのためにHBOマックスにサインアップした人の一部は、30日間という映画のストリーミング期間のあとも登録を解除せず、HBOマックスのサブスクリプションを続けるか、より安価になるであろう広告付きバージョンにグレードを下げて継続すると見込んでいるのだ。新作映画の同時配信の発表は、「(各ストリーミングサービスへの)分散投資に関して、1、2カ月前とは違う目でHBOマックスを見る十分な理由になる」と、前出とは別の2人目のエージェンシー幹部は語った。
しかし、ワーナーメディアはストリーミングに全面的に入れ込んでいるように見えて、実際はそうではない。同社は巧妙にも、有料放送プロバイダーとの配信契約を改定して、HBOの従来放送の契約の一部としてHBOマックスを視聴できるようにしているのだ。そのため、ワーナーメディアは2870万人の有料登録者がHBOマックスへのアクセスをもっていると主張できるが、HBOマックスのサブスクリプションを有効にしている従来の有料放送の契約者は10月段階で860万人にすぎないのだ。けれども、そのおかげでワーナーメディアは、HBOマックスの有料登録の拡大に関してあまり苦労していない。実際、HBOマックスのサブスクリプションを有効にした従来有料放送の契約者はすでに1260万人まで増加したと、スタンキー氏は12月8日に述べている。
広告付きバージョンというジョーカー
対照的に、従来の有料放送という船を燃やすのにもっとも近づいているテレビネットワークグループは、そうすることで不利な立場に陥るおそれがある。ディスカバリーとバイアコムCBSは、それぞれの有料放送の加入者がディスカバリー+やパラマウント+を利用できるような、有料放送プロバイダーとの配信契約をまだ発表していない。一方、NBCユニバーサルは親会社であるコムキャストとコックス(Cox)とのあいだでしかこうした契約を締結できていないが、ピーコックには無料の広告付きバージョンがあるため、有料放送加入者はこのサービスを利用する可能性が高い。
従来の有料放送とのタイアップ契約がないということは、これらの企業のストリーミングサービスはリニア事業とは別個のものであり、リニア事業に加えてストリーミングサービスも開始するとみなすことができる。これらのサービスには、従来の有料放送に加入していない層にアピールする意図があるが、一部の有料放送契約者はその契約を維持したままストリーミングサービスにも加入する、いわゆる「スーパーファン」になる可能性があり、これは潜在的なボーナスだ。とはいえ実際には、これは本質的にカニバリゼーションの要素のある状況だ。企業はコードカッター(従来のテレビ放送を見ない人々)を集めようと躍起になるなかで、事実上、従来の有料放送契約者にコードカッターになるよう促しつつ、彼らが契約を維持する方に賭けている。有料放送契約を維持する人々はテレビネットワークにとって保険になる反面、ストリーミング加入者を増やし、広告主にストリーミングを売り込むうえでは障害にもなる。結局のところ、テレビネットワークと同様に、広告主も従来放送からストリーミングへと、広告費を配分し直すというギャンブルをしている最中なのだ。
「我々は基本的に、各プラットフォームがどれくらい速くスケールすると考えられるかに基づいて予算を配分する方針だ」と、先述の2人目のエージェンシー幹部は述べた。
[原文:‘Burn the boats’: TV networks playing with fire in streaming pivots]
TIM PETERSON(翻訳:的場知之/ガリレオ、編集:長田真)