編集者はときに交通事故のような目に遭う。そのときは、いてもたってもいられない。
だが、ベテランになれば、自分の身が焼かれるのをしばし待ち、誰も見ていないうちに、こっそりと回復できるようになる。それでも「痛み」は残るものだ。
米DIGIDAY編集部は、業界で長年活躍してきた編集者に、最悪のミスを教えてもらった。その回答の背景にあったのは、自信過剰と、その逆。そして群集心理と不運など、実にさまざまな要素だ。
編集者はときに交通事故のような目に遭う。そのときは、いてもたってもいられない。
だが、ベテランになれば、自分の身が焼かれるのをしばし待ち、誰も見ていないうちに、こっそりと回復できるようになる。それでも「痛み」は残るものだ。
米DIGIDAY編集部は、業界で長年活躍してきた編集者に、最悪のミスを教えてもらった。その回答の背景にあったのは、自信過剰と、その逆。そして群集心理と不運など、実にさまざまな要素だ。
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掲載前の有名女優ヌードが流出
プレイボーイ・エンタープライゼズ、エンターテインメント担当プレジデント:ジミー・ジェリネック氏
私の過去最大のミスは、2011年12月に起こった、有名ハリウッド女優リンジー・ローハンのヌード写真のオンライン流出です。なにしろ、掲載予定号の発売を前に、相当拡散されてしまいましたから……。そのため、発売を前倒しせざるを得なかったくらいです。いまだに思い出すだけで吐き気がしますね。
セレブ界の困難さくらい、何とか乗り越えられるだろうなんて、甘い考えでした。マネジャーも弁護士も、エージェントも、仲介人も、全員が同じような考えでした。オトリの車やヘリコプターや生け垣のなかに、パパラッチが潜んでいたのです。
編集者となってから20年が経ちます。事件の全容は分かっています。ですが、その流れとも言えるメカニズムを目の当たりにしたのは、はじめてでした。軽い病気になってしまったぐらいですから。もう1度やらかしたら、心臓発作を起こしてしまうだろうと、言われたものです。
もっとも、あの事件のおかげで成長もしました。誰だって事故に合いますし、そうなってしまえば、受け入れざるを得ない。けれど、私には対処法が分かりました。あの事件が、私をこんなに変えるなんて思いもよりませんでしたよ。セラピー通いをしましたけど、少なくとも私には良き教訓となりました。
重大事件の隠蔽に図らずも加担
エンターテインメント誌『ハリウッド・リポーター』、音楽誌『ビルボード』のチーフ・クリエイティブ・オフィサー:ジャニス・ミン氏
2014年、私の関わる雑誌『ハリウッド・リポーター』に、人気コメディアン、ビル・コスビーの伝記の抜粋を掲載したときは最悪でしたね。有名ジャーナリストのマーク・ウィテカー氏が手がけたベストセラーです。
ちょうどその数カ月後、過去にコスビーが相次いで女性をレイプしていたことが判明しました。ウィテカー氏は、事件のことを知っていたにも関わらず、その伝記のなかで一切触れていなかったんです。不運なことに出版業は取り消しが効かないんですよね。
知ったかぶりで大きな誤解
旅行誌『アトラス・オブスキュア』CEO、元『スレート』編集者:デビッド・プォーツ氏
学生時代に、ハーバード大の学生新聞「ハーバード・クリムソン」で、ボストンの老舗名門紙「クリスチャン・サイエンス・モニター」の本社についての記事を書いたことがありました。
そのなかで、同紙の母体となるキリスト教系の新宗教クリスチャン・サイエンスの信者を、幾度となく「サイエントロジスト」(新宗教サイエントロジーの信者の意)と書いてしまったのです。この二つの宗教は、まったく関係ありません。
自信過剰な大馬鹿野郎でしたね。だから、やらかしてしまった。相手が何を話しているか、わかったつもりになっていたんですよ。ところが、そんなひどい記事だったのに誰も読んでいなかったのです。
4日ほど後だったかなぁ。ベテランが指摘してくれたのですが、読者は誰も気づかなかった。それが教訓です。
部下による記事捏造事件
『ニューヨーク』誌編集長:アダム・モス氏
自分にとっての最悪なミスは、2015年はじめに映画になりました。『トゥルー・ストーリー』という作品です。
現在私が所属する『ニューヨーク』誌のライバル、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』を切り盛りしていた頃、マイケル・フィンチという記者が、1本の記事を捏造しました。
それはひどい失敗でしたが、うまくやれば避けられたはずです。その事実が、紛うことなきミスとして私を苦しめました。日々の会話が不足していたとか、自分の本能を信用していなかったとか、その逆だったとか、いろんなシチュエーションをリスト化できるぐらいです。
何気ない人の好意を邪推
ライフスタイルウェブマガジン「The Awl」の共同創業者:クワイヤー・シチャ氏
(前述の『ニューヨーク』誌編集長)アダム・モスさんが、マディソン街にあった古いオフィスの近所にある、高級感あふれるレストランでランチに誘ってくれたときのことです。
ちょうどその頃、私は『ニューヨーク・オブザーバー』へ掲載する、ジャーナリストのアンダーソン・クーパー氏に関する取材を終えたところでした。当時、クーパー氏はゲイと噂されていて、のちの2012年にカミングアウトします(いまとなっては笑い話ですが、その取材の際に、しどろもどろになりながら「皆がゲイだと言ってますけど、どうしてですか?」と尋ねたところ、クーパーさんから「録音を止めてくれ」と言われました)。
その話をしたら、アダムさんに気に入ってもらい、楽しくお話ができました。そして、私は邪推したんです。彼が食事に誘ってくれたのは、その手の話を投げかけて欲しいのかと。誰かに良くしてもらうと、いつも混乱してしまうんですよ。
最後に彼は、こう言ってくれたのです。「じゃあ、何かお手伝いできることはありますか?」と。そこで、私は「そうですね、ボーイフレンド探しを手伝ってくれませんか?」と、答えてしまったのです。10年以上も前の話ですけどね。それ以来、ずっと貧乏のままです。
Lucia Moses(原文 / 訳:南如水)