ASMR動画とは、脳がうずくような感覚とも表現される、自律感覚絶頂反応(autonomous sensory meridian response)を呼び起こす動画のこと。そんなASMR動画がいま、一般化しはじめている。その実態を関係者の証言をもとに追った。
陳列棚の清掃用品や化粧品や石鹸を、きれいに並べ揃える作業は一見単調だ。あまりに退屈で、作業中の自分をフィルムに収めようなどとは誰も考えない。しかし、YouTubeでSouthernASMR Soundsの名で知られるメアリー氏は例外だ。彼女がターゲット(Target)やダラーツリー(Dollar Tree)やCVSなどの商品棚を整理整頓するとき、20万5000人のチャンネル登録者がその姿を見て楽しんでいる。2015年のチャンネル開設以来、陳列棚の混沌を正す自身の姿を、メアリー氏は300回近くも撮影してきた。それほどの人気ぶりなのだ。
「皆、陳列棚の商品をきれいに並べる私の姿を見るのが大好きだ」と、名字だけは匿名希望のメアリー氏は言う。「彼らにとって、それは癒しであり、気晴らしでもある。たとえば、何か忘れたいことがあるときは、ただひたすら、誰かがデオドラントの容器をぴしっと整列させるさまを見ていたい。そんな感じだ」。
メアリー氏だけではない。彼女はASMR動画を制作する何人ものYouTubeクリエイターの一人にすぎない。ASMR動画とは、脳がうずくような感覚とも表現される、自律感覚絶頂反応(autonomous sensory meridian response)を呼び起こす動画のことだ。ASMRと言えば、しばしば画家のボブ・ロス(テレビ番組「ボブの絵画教室」で知られる)が引き合いに出されるが、通常、ささやきや布地が立てるクシュクシュという音、あるいは何かを軽く叩くコツコツ音や、柔らかいブラシのモフモフ音などによって引き起こされるという。近年、ASMRの主流化が進み、ASMR広告を作るブランドまで出てきた。たとえば、ビールブランドのミケロブウルトラ(Michelob Ultra)は2019年のスーパーボウル向けに、女優のゾーイ・クラヴィッツを起用してASMR動画を制作した。増大するASMRコミュニティ、しかも熱心な視聴者である彼らは、格好の訴求対象だ。
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「究極のリラクセーション」
しかし、いまのところ、ASMRの人気はASMRの流行に乗じたい企業とはほとんど何の関係もない。コンサルティング会社のスパークス&ハニー(Sparks & Honey)のようにASMRの広がりを外側から観察する者や、コミュニティの内側の当事者に言わせれば、ASMR現象はそもそも、ストレス過多の現代人が健康目的に応用した結果である。ギャラップ(Gallup)が4月に行った調査により、アメリカ人が世界でもっともストレスを抱えた人々だと明かされたと、ニューヨークタイムズ紙は伝えている。ある人々にとって、ASMR動画を見ることは身近な癒しなのである。
「タダで手に入る究極のリラクセーションだ」と、匿名希望の金融アナリストは編集部宛のeメールで述べている。匿名を希望するのは同僚から「変なヤツ」と思われたくないからだ。「心身を手軽に最適化できるマッサージみたいなものだ。あるいはもっと奥が深いものかもしれないが、人生に疲れるほど忙しいときは、何でも完璧に管理しなければという気持ちを放棄したくなる」。
2018年6月、シェフィールド大学がASMRに関する最も初期的な研究論文を発表している。この論文によると、ASMRを体験する人々がASMR動画を見ると、心拍数が減少し、ポジティブな感情が増すという。
コミュニティは急速に拡大
「ASMR動画には体験者が語るようなリラクゼーション効果が確かにある。けれどもそれはASMRを感じる人々に限った話だ」と、シェフィールド大学心理学部のジュリア・ポエリオ博士は述べている。「今回の研究に参加したASMR体験者の平均的な心拍数減少は、音楽やマインドフルネスなどによるストレス解消法の生理学的影響を調査した際にも見られた現象だ」。
「皆、ストレスで弱り切っており、心身を癒してくれる何かを切実に求めているのだろう」と、メアリー氏は言う。そういう彼女自身、ストレス解消のためにASMR動画を制作しはじめた。「ASMRはみんながハマった一番新しいストレス発散法のひとつにすぎない」。
もちろん、ASMRのコミュニティはストレス緩和の必要から生まれたものではない。ASMRの感覚を感じる人々は、この感覚はいったい何なのだろうと、それを引き起こす脳をぞわぞわさせるような音を検索するうちに、ASMRに行き着いたと証言する。そして2010年代初頭、彼らはついにASMRに関するレディット(Reddit)のスレッドにたどり着いた。まさにここから、コミュニティは急速に拡大していった。
Redditのデータによると、RedditでASMRコミュニティの成長に弾みがついたのは2016年のことだ。いまではr/ASMRというサブレディット(subreddit)に18万7000人が登録し、投稿数は対前年比50%増加している。同社によると、この7月、Reddit全体で、「ASMR」という言葉に関する投稿やコメントがReddit史上最多の1万5653件に達した。
奇異に映る可能性もある
コミュニティは当初、レディット上で成長した。だが、その後YouTubeを中心に拡散し、現在ASMRコンテンツの大半は、YouTube上にある。「このタイミング以外ではヒットしなかっただろう」と、この1年半でASMR系のサウンド制作を依頼されるようになったというワンサウザンドバード(One Thousand Birds)の主任サウンドデザイナー、トーリン・ゲラー氏は振り返る。「ネット、特にYouTubeがASMRにコミュニティとして存在する場を提供した」。
ASMRのコミュニティがインターネットの暗がりから這い出し、もっと普通の存在へと成長する一方で、たとえば雑誌の『W』がセレブを起用してASMR動画を制作するなど、かつてニッチだった世界がクローズアップされることにもなった。その注目は禍福のいずれにもなりうる。ASMRの感覚を体験する者は、ASMRの普及はその癒し効果を知らしめることだと考える。だが同時に、その注目が嘲笑をもたらすものともなる。ASMR動画のようなコンテンツは、その感覚を共有しない者の目にはことさら奇異に映りかねない。
「問題は、せっかく多くの人がASMR動画を見に来ても、まったく理解できずに終わる点だ」と、メアリー氏は指摘する。「理解できない人には効果がない。彼らはいらだち、怒りや罵りの言葉を投稿する」。
「確実に特別なものがある」
否定的なコメントがあるにしても、どこかの誰かを良い気分にさせられる可能性があるなら、それはメアリー氏にとってやる価値がある。彼女はほぼ毎日、新しい動画を投稿している。
「それがASMRの難しいところだ。100%信じることが要求される」と、ASMRの癒し効果について先の金融アナリストは言う。「完全に受け入れることが必要なのだ。他者から批判されることなく、あるいは自分で自分を批判することなく、何かを完全に楽しむことを自分に許す。そこには確かに、特別なものがあると思う」。
Kristina Monllos(原文 / 訳:英じゅんこ)