ジョーイ・マーバーガー氏(32歳)は、「ワシントン・ポスト」のキーパーソンのひとりだ。モバイル向けデザインのディレクターとして2010年に同紙へ加わって以来、彼が関与してないデジタルプロジェクトを見つけるのは難しい。同紙を買収したAmazon創業者ジェフ・ベゾス氏に信頼される、マーバーガー氏の人となりを探る。
ジョーイ・マーバーガー氏は高校時代、パンクバンドのベーシストだった。ある日、バンドが州外のライブに向かう途中、乗っていたワゴン車が故障してしまった。彼には自動車修理の知識が少しあった。そこで自動車修理部品のオートゾーン(AutoZone)から部品を入手し、ワゴン車を修理して事なきを得た。「この出来事から学んだのは、人生には往々にしてとにかくやるしかない、ということだ」と同氏は振り返る。
最近の新聞業界は、「ワシントン・ポスト(The Washington Post)」のようなところでさえ、マーハーガー氏のような冷静なタイプでないとやっていけない。Amazonの創業者ジェフ・ベゾス氏は、2013年に「ワシントン・ポスト」を買収して以降、資金を注ぎ込んで技術者とジャーナリストを大量に雇い、同紙の再生を象徴するにふさわしいKストリートの立派な新しいオフィスに会社を移した。
買収以降、「ワシントン・ポスト」はピュリッツァー賞を2回獲得し、「ニューヨークタイムズ(The New York Times)」をトラフィックで上回ったが、トラフィックの成功を持続可能なビジネスに変える方法をまだ見つけられていない。デジタル広告は売上が結びつけにくいうえに、アドブロックが増加しており、オンライン購読は「ワシントン・ポスト」の売上全体のほんの一部でしかない。
Advertisement
この問題を解決するために、「ワシントン・ポスト」が注目している人物のひとりがマーバーガー氏(32歳)だ。マーバーガー氏は、だらしない格好をしたよくあるタイプの新聞社幹部ではない。仕立屋がフレンチカラー、赤のネクタイ、カフスボタンを選びがちな街のなかで、マーバーガー氏はパンク風の黒い服をスタイリッシュに着こなし、オフィスにはスター・ウォーズのスケートボードを飾っている。「かっとならない。怒鳴らない。耳を傾ける。多くを語ろうとはしない」と、同氏はギークの旗を誇らしげに掲げる。
それでも、同氏の仕事がその人物を物語っている。マーバーガー氏がモバイル向けデザインのディレクターとして2010年に「ワシントン・ポスト」に加わって以来、彼が関与していないデジタルの計画を見つけるのは難しい。ベゾス氏が同紙を買収すると、マーバーガー氏はすぐにベゾス氏が少数の上級幹部と隔週で開く電話会議に加わった。「フレッド・ライアン(CEO)を除くとジェフと継続的に深く話をしている人はあまりいない。ジョーイがなにか面白いトピックを見つけた時点で、それはジェフにとっても興味のある事柄になるわけだ」と語るのは、「ワシントン・ポスト」の戦略的イニシアチブ担当ディレクター、ジェレミー・ギルバート氏だ。
現代の新聞社ではジャーナリズムそのものの質と同じくらいパッケージングと流通が重要だということは、いまや広く受け入れられている。これがデジタル報道機関におけるプロダクトディレクターの台頭につながった。以前なら、ウォーターゲート事件を暴き、腐敗した大統領の失脚に尽力した新聞という事実だけで十分だったかもしれない。しかし現在、「ワシントン・ポスト」は、自らをメディア企業であると同時にテクノロジー企業だと考えている。そして、マーバーガー氏はプロダクトディレクターとして、アプリからWebのデザイン変更や広告製品にいたるまで、編集とビジネスの両方の取り組みに携わってきた。
社内セラピストとしての役割
マーバーガー氏の影響力について、同僚たちは、テクノロジーとニュースという2つのレンズで「ワシントン・ポスト」を理解できると語る。すべてのプロダクトディレクターがこのような能力をもっているわけではない。たくさんの報道機関がテクノロジーを活用することでより多くのオーディエンスにリーチできると考えているが、テクノロジーの担当者と記事を書く担当者の考えをひとつにしようとすると、思うようにいかないことがある。
「消費者と広告の両面に注意を払う必要があることを彼は理解している」と語るのは、「ワシントン・ポスト」の広告製品とテクノロジーの責任者で、マーバーガー氏と密接に協力しているジャロッド・ディッカー氏だ。「彼はワシントン・ポストの会社作りの一つひとつを見ている点でほかにいない存在だ。彼以外のプロダクトディレクターたちは、その時々に盛り上がっているニッチな話題に集中する。ジョーイはこのブランドを支えるたくさんの柱のすべてに適切な量のリソースを配分することができ、非常に柔軟性がある」とディッカー氏は語る。
編集サイドを担っているギルバート氏によると、人間はアナリティクス型かクリエイティブ型かのどちらかだとする考え方にマーバーガー氏は当てはまらない。ギルバート氏は次のように語る。「ジョーイは非常に高いレベルでその2つを両立させることができる。物語を語るとはどういうことなのかを把握できる人間でありながら、そこに製品による向上の余地があることも理解できる。ジョーイはゲーム屋とも、ニュースレターシステム屋とも、データサイエンス屋ともいえない。仕事が実に幅広いのだ」
そのような柔軟さが重宝されるのにはいくつかの理由がある。柔軟性によって製品の要件の実現と効率的な開発を確実なものにできる。会社のニュースとテクノロジーの両面を代表できる人物がいれば、その人物がひとりでたくさんの役を務めることができることから、会議は徐々に規模が小さく、回数も少なくなる。マーバーガー氏は最近、「ワシントン・ポスト」のニュースレターの新しい社内ツールに関与した。このプロジェクトによって、マーバーガー氏がテクノロジーのノウハウをもち、同時にジャーナリストが使用するにはどこまで簡単なものにする必要があるのかも把握していることを証明した。
マーバーガー氏の柔軟さはサイトの大改修でも大いに発揮された。「ワシントン・ポスト」は2015年、大規模なデザイン変更をやめ、代わりにWebサイトを継続的にアップデートしていくことに決めた。サイトの読み込み時間短縮をベゾス氏は大きく優先した。サイトのスピードが極めて重要なのは、読み込みが速くなればサイトに滞在する人が増え、広告表示や購読勧誘の機会が増えるからだ。サイトから無駄を取り除き本当に必要なものだけにするには、維持する必要があるものと失って構わないものを把握することが必要であり、加えて、それをニュース編集サイドに説得できることが重要だ。ギルバート氏は、マーバーガー氏を「まるでセラピストだ」と語る。
「以前はサイトに関連リンクが山のようにあった。それを手放させるのは簡単ではなかった。しかし、彼はニュース編集室で信頼されていることで彼らを説得できた」とギルバート氏は語る。結局、「ワシントン・ポスト」は読込時間が85%短くなった。
プロダクトディレクターに至る道
インディアナ州ペルー出身のマーバーガー氏は大学生の頃はジャーナリズムに進みたいと思っていた。夕食時にはしばしばニュースや政治についての話題が食卓であがる家庭で育ったマーバーガー氏は、パデュー大学で大学新聞「エクスポーネント(the Exponen)」に参加してジャーナリズムにかぶれたのだ。それでいて、彼はコンピューターサイエンスの授業も受けていた。最初の就職先はガネット(Gannett)傘下の地方紙「インディアナポリス・スター(Indianapolis Star)」だった。上司はマーバーガー氏に、Webサイトの編集と、Web記事のための新しいテンプレートの開発に協力するよう求めた。こうしてマーバーガー氏は、ジャーナリズムとテクノロジーというふたつの関心事がキャリアで結びつくことを知った。
同氏は、「自分が勉強してきた異なる分野がジャーナリズムを発展させ、かつ新しいことをできるのだと受け止めた。自分はそれを期待されているのだと思い、製品を改善することでジャーナリズムをより良いものにしていこうと考えた」と述べている。
これは、iPadアプリ以前の時代の話である。マーバーガー氏は「インディアナポリス・スター」の最初のアプリ開発に尽力し、それが親会社に注目された。ガネットはマーバーガー氏を自社のアプリ開発の統括者に起用。そして、そこでの働きを見て、「ワシントン・ポスト」が連絡をしてきた。
当時、「ワシントン・ポスト」は大きな変革の時を迎えていた。まだグレアム家が所有していたころで、まだ紙の新聞に深く根ざしていた。Webサイトと紙の新聞の統合を決断した「ワシントン・ポスト」は、それを推し進める人材を必要としていた。マーバーガー氏はこのとき、デジタル寄りの新しい人材のひとりとして雇われることになる。
そして2013年秋のある日、何もかもが変わった。マーバーガー氏はAppleのデザイン研究所のオフィスにいたところを上司に呼ばれ、すべてを中断して「ワシントン・ポスト」売却の緊急対話集会に当たるようにいわれた。マーバーガー氏は最初、ベゾス氏をオーナーに迎えることに自信がなかった。「ビッグネームともデザインに対する難題ともこれまで対処してきたため、不安だったわけではない。ただ、彼は怒鳴るという話を聞いていた」とマーバーガー氏。しかし、ベゾス氏と電話会議を重ねるうちに、新しいオーナーの新しいアイデアへオープンな姿勢と、ベゾス氏の思考過程の伝え方を理解するようになった。「ジェフは『自分は子どもで、砂場で遊びたいんだ』という調子だった。電話では毎回、彼を笑わそうとしているよ」とマーバーガー氏は語る。
「ワシントン・ポスト」に早い時期に採用されたデジタル人材のひとりで、現在はVox Mediaの成長戦略・分析担当バイスプレジデントであるメリッサ・ベル氏によれば、「ワシントン・ポスト」がデジタルに積極的になるにつれて、脇役として仕事をする新しいデジタル屋のひとりだったマーバーガー氏が、次第に中心的な役割を果たすようになっていったという。パンクスタイルにスケートボードという風貌だから、「彼をどう扱えばいいのか、みんなよくわからなかった。でも、彼はジャーナリズムをとても深く愛している。彼はポストの人々にどうにか理解してもらい、気に入ってもらうことができた」とメリッサ氏は語る。
プラットフォームの脅威を分析
「ワシントン・ポスト」は変化を加速させたが、デジタルの勢力図も急激に変わった。同紙は現在、FacebookとGoogleが支配する世界を切り開いていく必要があることを自覚している。ほかの新聞社は、こうしたプラットフォームをマネタイズできるのか、参照トラフィックが継続的に来ると当てにできるのかに確信がもてず、メディアがもつ影響力とそのコンテンツをプラットフォームに譲ることに慎重になっている。しかし「ワシントン・ポスト」は、狙うは課金をしてもらう購読者なのだから、もっとも大事なのはオーディエンスが増えることだという理由で、すべての記事をFacebookの「インスタント記事」として投稿しており、またAppleのニュース集約アプリ「News」や、記事の読み込みを高速化するGoogleの取り組み「AMP(Accelerated Mobile Pages)」を支持している。
こうした巨大プラットフォームに対する新聞社の視線は穏やかになっている。マーバーガー氏は、2015年のインタビューではFacebookは間違いなく競争相手だと語っていた。それがいまはFacebookについて、「脅威かもしれないが、すぐにうまくやれるようになる」と語っている。プラットフォームが「ワシントン・ポスト」のような本格的な報道機関とそうではないでたらめなニュースメディアを同じように扱っているということから、ニュースにとって、人々の信頼を失うことの方が心配だと同氏は主張する。「Facebookはたしかに抜け目がない。しかし、どんなプラットフォームのアルゴリズムにも限界がある。だから『信頼を高める方法』を製品の課題と見なすことができる」とマーバーガー氏はいう。
「ワシントン・ポスト」はGoogleの「トラスト・プロジェクト(Trust Project)」に参加している。これは、責任あるジャーナリズムがプラットフォーム上で大衆メディアとの違いをどのように示すことができるのかを探るものだ。マーバーガー氏はまた、人々が考えもしないニュースの居場所を見つけて開拓するべく、視野を広げている。現在、声で操作するAmazonのスピーカー「エコー(Echo)」の活用法を探っているのもその一環だ(ベゾス氏の関心との相乗効果が見込める分野でもある)。
マーバーガー氏はさらに、中国から入手した部品を利用して、声や動きに反応して時間、天気、ニュース速報などを表示する「スマートミラー」を開発した。今は同氏のオフィスに置かれており、具体的な計画があるわけではない。しかし、イベントで展示したらどうか、あるいは、朝のひげそり時に楽しめるようにバスルームに設置するのはどうだろうかとマーバーガー氏は思いを巡らせているようだ。
長期のビジネスモデル戦略の考案に取り組んでいるというように、事業運営に対する自由度が確実に増えたのは、ベゾス氏の小切手のおかげである(非公開企業であるため資金繰りは公開していない)。一方で幹部たちは、この資金がいつまでもあるわけではないことをわかっていると話す。「ワシントン・ポスト」は奇抜な製品をいくつか公開しているが、マーバーガー氏によると、新製品の開発プロセスでは常に売上が検討されているという(もっとも、その売上の概念は拡大され、口コミとオーディエンスのグロスも評価に含まれた)。「我々は金を火にくべるように無駄遣いしているとよく誤解される。しかし、そんなことはない。ジェフ(ベゾス氏)はとても倹約家だ。それに、『これは本当によいアイデアなのか?』と考えている」と同氏は語る。
「ワシントン・ポスト」はある意味、その成功に対する犠牲も払ってきている。メリッサ・ベル氏、コーリー・ハイク氏、ジュリア・ベイザー氏など、ワシントン・ポストのデジタル移行の中核にいたマーバーガー氏の同僚が、何人も退社し、ほかのメディア企業に移っているからだ(とはいえ、ギルバート氏やディッカー氏など人材の補充は行っている)。
マーバーガー氏もヘッドハンティングの候補者になっていることだろう。しかし、「ワシントン・ポスト」には、同氏がよそでは手に入れることができない取り合わせがある。「ジェフ(ベゾス氏)のような人はどこにもいない。仕事に飽きる日が来たらやめるかもしれない。でも、連絡してくる人たちは眼中にないよ。僕はジャーナリズムを続けたい。ジャーナリズムのモデルを作りなおす力になりたいんだ。ジャーナリズムの組織でこのポスト以上のところはないよ」とマーバーガー氏はいう。
Lucia Moses (原文 / 訳:ガリレオ)
Photos by Marvin Joseph/The Washington Post