「あの 池上彰 はホンモノか?」:情報の作り手と受け手の健全な共存関係

本記事は、電通総研 カウンセル兼フェロー/電通デジタル 客員エグゼクティブコンサルタント/アタラ合同会社 フェロー/zonari合同会社 代表執行役社長、有園雄一氏による寄稿コラムとなります。

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10年ほど前だった。私は、NHKに勤務する従兄弟の結婚披露宴に参列した。そこで、あの池上彰氏が新郎の職場関係者(おそらく、元上司)として祝辞を述べたのだ。そのスピーチの途中、私の斜め後ろの席から、「こん池上彰、ホンモンじゃっどかい?」(あの池上彰は、ホンモノかなぁ?)というヒソヒソ声の鹿児島弁が聞こえてきた。

私の故郷の鹿児島から叔父・叔母がたくさん参列していた。そのなかのひとりが発した声だった。私も、「あ、わかるわかる」と内心、思った。というのは、「池上彰って、意外と、こんな人だったんだ」と思ったからだ。

そのときの池上彰氏は、テレビ画面では見せない一面をチラ見せしてくれたのだ。私としては面白かったのだが、いつもの雰囲気とは違っていたので、「ちょっと大人気ないなぁ」と感じたのも事実だ。「でも、ジャーナリストとしてあれほど活躍するだけあって、やっぱ、負けん気が強い人なんだ」と思った。

コトの発端は、新婦側のゲストの祝辞スピーチだった。たまたま、その当時世の中を軽く騒がせていたNHKの不祥事に触れ、「NHKさんにはしっかりしてもらわないと困る。新郎もこんな綺麗な奥さんをもらうのだから、頑張ってください」みたいな話をスピーチの合間に挟み、会場の笑いを誘った。決して嫌味な感じではなかった。

池上彰氏の反撃

そのあと、しばらくして、池上彰氏がスピーチに立った。最初は、普通のスピーチだったのだが、途中でスイッチが入って、新婦の勤め先の企業を批判的に取り上げたのだ。新婦の勤務先も、誰もが知っている大企業だった。

詳細は記憶していないが、「そっちの会社だって、こんな問題も、あんな問題もあるじゃないか」と池上氏が反撃しているように見えた。もちろん、軽く笑いが起こり、決して、険悪な雰囲気にはなっていないのだが、会場の多くが、「いつもと違う池上彰」を実感したようで、先に記したように、「こん池上彰、ホンモンじゃっどかい?」という声が漏れたのだ。

すでに池上彰氏はフリーになっていたが、「NHKだけ一方的に批判されてたまるか」という剥き出しの愛社精神(愛局かな)を感じた。それは、比較的良識派で、幅広い知識に基づいて特定の党派や主義・思想に偏らない平衡感覚を持つジャーナリスト、だと思っている人には、意外に見えた。あるいは、テレビ画面のイメージから、温厚で理性的な人柄だと思っていた人の期待を裏切ったのかもしれない。

編集によってイメージは変わる

池上彰のメディア・リテラシー入門』(オクムラ書店 2008)という本がある。その帯には、「テレビ・新聞・インターネットにだまされない! あふれる情報から『真実』を読み取る技術を身につけろ。」とある。

池上氏はこの本の冒頭で、編集の重要性について書いている。テレビの情報はすべて編集されている。バラエティ番組だけではなく、ニュースも編集されているから気を付けるべきだ。「作り手としてウソはつかずに視聴者に間違ったイメージを与えることも可能」と警鐘を鳴らす。

「編集の技法は、とりわけドキュメンタリーの場合に威力を発揮します。たとえば、あるカップルが結婚するというシーンだとします。結婚式のカップルの映像の後に、美しい花の映像をつなぐと(中略)、幸せな結婚のイメージが伝わります。ところが、結婚式の映像に、嵐が近づく空の映像をつなぐと、波乱の結婚生活を予感させます。コメントをつけなくても、視聴者が、そんなイメージを持ってくれるのです。(中略)この手法を悪用すれば、作り手としてウソはつかずに視聴者に間違ったイメージを与えることも可能です。編集というものの、可能性と危険性がお分りいただけたでしょうか。」(『池上彰のメディア・リテラシー入門』p22)

ニコニコ営業スマイルでイメージ操作

ところで、従兄弟の結婚式のイメージだが、新婦の勤務先について、ちょっとシニカルで批判的な発言をしたあと、池上氏は会場の笑いを誘う発言もして、場を盛り上げていた。

そして、披露宴終了後に、鹿児島の田舎から出てきた叔父や叔母のワガママを聞き入れ、超ニコニコ営業スマイルで握手をして写真撮影に応じる池上氏の姿があった。

私は遠慮して握手も写真撮影もしなかったが、まるで人気タレントのような池上氏のスマイルを遠目に見ながら、「やっぱ、プロだなぁ」と感心した。

叔父・叔母たちは大満足の様子で「いい結婚式だった」と口々に帰路に着いた。池上氏は最終的には、幸せな結婚のイメージを演出してくれた訳だ。

ここまでのエピソードは、私の記憶に残る池上彰氏の印象をもとに、文章を作り編集を加えている。ウソを書いている箇所はないつもりだが、私の意図を反映したイメージを読者に与えようとしているので気をつけて欲しい。

情報の受け手側の役割も大事だ

以前のDIGIDAYの連載でも書いたが、今年から私は電通総研の仕事にも関わっている。電通総研は今年のテーマのひとつに「メディアの信頼性と社会的役割」を掲げて活動している。

メディアの信頼性を考える際に、情報発信側のメディアだけではなく、情報の受け手側の役割も非常に重要だと私は考えている。テレビ・ラジオ、新聞・雑誌、インターネットなど、すべてのメディアが作り手の意図によって編集され、イメージを操作されている。

たくさんの情報のなかから、見せたい情報だけを取り上げ、見せたくない情報は切り捨てている。あるいは、「この方が視聴者の関心を引くだろう」「こっちの方が数字(視聴率)を取れるのではないか?」というような視点で、編集されている。

メディアリテラシーが大事だという話は、私がいうまでもなく、多くの人が分かっていることだとは思う。しかし、私たちは、池上彰氏のような良識あるジャーナリストの発言だと、ついつい鵜呑みにしてしまいがちだ。

おそらく、池上氏は意図的にウソをつくような人ではないと思う。だが、テレビ画面に投影される被写体としての自分のイメージ、そして、自分の発言や文章がどのようなイメージを視聴者や読者に与えるのか、それについては、プロとして充分に計算しているだろう。

「作り手としてウソはつかずに視聴者に間違ったイメージを与えることも可能です」と池上氏本人が言う通り。それぞれのメディアが発信するニュースや情報に接して、その作り手はどのようなイメージ操作をしようとしているのか、どっちの方向に持っていこうとしているのか、私たちは自分の責任で、常に考える癖をつけたいところだ。

「ニュースが理解できないと、どうしても政治や経済、国際問題について無関心になりがちですね。そうなると、政治の問題など、『政治家にお任せします』ということになってしまいます。それでは民主主義が成立しません。豊富な情報を得て、その情報をきちんと解釈・分析できる市民がいてこそ、政治や経済の動向を監視することができ、健全な市民社会が成立するのです。その意味で、多くの国民が、ニュースを理解できる力を身につけることが必要なのだと私は思います。」(『池上彰のメディア・リテラシー入門』p214 – 215)

「ひとまず、信じない」という押井守の心構え

メディアの信頼性を担保し、健全な市民社会を成り立たせるためには、情報の作り手と受け手の健全な共存関係が必要なのだ、と私は思う。

だが、このような正論を吐くのは簡単なのだが、イメージ操作が氾濫するこの世の中で、私たちは、どのような心構えでメディアと付き合えば騙されずにすむのか? どうすれば、池上氏のいうような「その情報をきちんと解釈・分析できる市民」になれるのだろうか?

じつは、その答えのヒントを『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などで有名な映画監督の押井守氏が与えてくれている。

彼の著書、『ひとまず、信じない – 情報氾濫時代の生き方』(中央公論新社 2017)には、共感する部分が多く、非常に参考になるし面白い。ただ、今日は字数も増えてしまったので、この辺で終わりにさせて頂き、次回以降の連載で、押井守氏の考えを紹介しながら、書き進めて行くことにしたいと思う。

Written by 有園雄一
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