2015年10月のローンチにこぎつけた際、モバイル映像ストリーミングアプリ「ゴー90」は鳴り物入りで動画業界に参入したものの、一般の視聴者からの認知度はいまだ高くない。業界以外の人に「ゴー90」について尋ねても、ほとんどの人がポカンとした顔をするだろう。
何もない所から、何かを築くのは大変だ。ましてやNetflixやHulu(フールー)、またYouTubeが独占する環境でストリーミング映像ビジネスをはじめようというのだから、なおさらである。近頃はAmazonも参入し、Snapchat(スナップチャット)もいる。Facebookも競合のひとつといえるだろう。つまり、2016年の動画業界には余白があるわけではなかったということだ。それでもベライゾンは「ゴー90」の立ち上げを辞めることはなかった。
ある8月の蒸し暑い木曜の夜、米国大手携帯電話会社ベライゾン(Verizon)のマーケティング担当エグゼクティブやPR担当者は、ブルックリンのウィリアムズバーグにあるワイスホテル内のプライベートシアターに大勢のメディア記者を招待した。この「オフレコ」集会の目的は、ベライゾンが打ち出したばかりのモバイル映像ストリーミングアプリ「ゴー90(Go90)」の最新オリジナルシリーズ6作品を上映し、フィードバックを得ることだ。
プロジェクト自体は多岐に渡っている。かつての「ジャージーショア(Jersey Shore)」出演者によるリアリティ番組や、落ち目のフットボール選手を描いたスポーツコメディドラマ(実際の選手も顔出し出演)、また高校生活を題材にしたコメディドラマや秘密工作に携わる戦士の緊迫感あるアクションドラマなどが揃う。ケーブルテレビのHBOや動画ストリーミング配信事業のNetflix(ネットフリックス)で観られるような番組と同じレベル、とはいかないまでも制作クオリティは洗練されたものだ。これらの番組には大金が投入されている。
しかし、今回の集いは、通常のフォーカスグループではない。特定のシリーズの脚本や方向性へのフィードバックを受けるために、メディア記者を大勢集めたりはしない。ベライゾンは部屋にいる人々に向かって「私たちの出来はどうだろう?」と暗黙のうちに問いかけているように見えた。というのも、2015年10月のローンチにこぎつけた際、「ゴー90」は鳴り物入りで動画業界に参入したものの、一般の視聴者からの認知度はいまだ高くない。業界以外の人に「ゴー90」について尋ねても、ほとんどの人がポカンとした顔をするだろう。
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必要なものはコンテンツだけ
何もない所から、何かを築くのは大変だ。ましてやNetflixやHulu(フールー)、またYouTubeが独占する環境でストリーミング映像ビジネスをはじめようというのだから、なおさらである。近頃はAmazonも参入し、Snapchat(スナップチャット)もいる。Facebookも競合のひとつといえるだろう。つまり、2016年の動画業界には余白があるわけではなかったということだ。
それでもベライゾンは「ゴー90」の立ち上げを辞めることはなかった。ベライゾンは44億米ドル(約4488億円)をかけて大手インターネットサービス会社のAOLを、また48億ドル(約4896億円)でヤフーを手に入れた。インターネット調査企業のコムスコア(comScore)によると、同2社のポータルによってベライゾンはアメリカ国内だけで、3億6300万人のマンスリーユーザに配信するパイプラインを手に入れたのだ。
つまり、広告主に売り込みをかけられるだけのビジター数を擁するということになる。ベライゾンに必要なものは、あとはコンテンツだけだ。少なくとも同社はそう考えている。
昨年以降、同社は動画市場において、もっとも活発なバイヤーのひとつとなっており、現存するテレビやデジタルコンテンツのライブラリーを買い上げ、Awesomeness TV(オウサムネスTV)、BuzzFeed、Viceなどにオリジナル番組制作を委託。サッカーやNFL(プロフットボールリーグ)、NBA(プロバスケットボール協会)の試合のライブ中継も行っているが、なかにはベライゾンワイヤレスやNBAリーグパスの契約者しか見られない動画も提供している。
投資した額は200億円以上
「我々がやってきたことは、多くの人がより多くの時間を費やせるようなコンテンツを提供することだ」と話すのは、ベライゾンの消費者製品ポートフォリオ部門のシニア・バイスプレジデント、ブライアン・アンジォレット氏だ。「オーディエンスは上質なコンテンツをWebやテレビ、ライブに渡る『いくつものソース』から発見することができる」。
2016年、コンテンツにもっとも多額の資金を投入しているのは、60億ドル(約6000億円)の予算をもつNetflixかもしれないが、ベライゾンの数値が取るにならない、ということではない。業界筋によると、ベライゾンがこの盛り上がりのなかで投資した額は2億ドル(約200億円)以上だと試算される。
そこへ、「ゴー90」の売り込みに使用した額を合わせればさらに7500万〜1億ドル(約75億〜100億円)増えると考えられる。個別に行った取引は主に200万〜1500万ドル(約2億〜15億円)の間を推移するとされ、これらの額はコンテンツの数、またオリジナルが含まれるかどうか、そして売り手側が営業活動をサポートしたかどうかによって変わるという。
「動画で成功するには、大きな投資が必要だ」と語るのは、リサーチ会社ピボタル(Pivotal)のシニア・アナリスト、ブライアン・ウィーザー氏。「問題は、年間数十億ドル程度しか生まないビジネスは、ベライゾン規模の企業にとって意義深いとはいえないことだ」。
「ローンチ時点で完全に失敗作」
しかし、金をつぎ込んだからといって視聴者が増えるわけではない。ベライゾンは多額の投資をしたが、サービスの滑り出しは思わしくなく、視聴者からの評判も芳しくなかったと、コンテンツパートナーは皆、口を揃える。
また、彼らの情報によれば、各動画のビュー数は「千単位」だという。この状況から、「ゴー90」ではなく「スロー90」にサービス名を改称すべきだと、揶揄する者もいたほどだ。
「はじめのころは、『ゴー90』には見込みがあると考えていたが、ローンチ時点で完全に失敗作だった」と、同サービスのパブリッシャーパートナーのひとりは語る。「オリジナルコンテンツに大金を払ってきた第一線のパートナーでない限り、トラフィックの観点から見るとあまり結果は芳しくないということが分かった」と、別のパブリッシャーパートナーも話した。
さらに「彼らがもともともっていたプランに乗れば、我々にとって、最低でも月に数百万ビューを得るプラットフォームとなるかもしれないと思っていた。しかし、実際は彼らの予想よりはるかに下回っていた」と別のパートナーも語った。
「ランナー」という人気シリーズ
しかし、それでも生き残る可能性が消えたわけではない。アプリ分析を行うアップアニー(App Annie)の報告によると、「ゴー90」の1カ月あたりのアクティブユーザー数は数百万に上ると、米紙ウォールストリートジャーナル(The Wall Street Journal)は伝えている。
また、同紙の別のレポートによると、ベン・アフレックやマット・デイモンが出演するオリジナルのショート作品「ランナー(The Runner)」シリーズはビューワーが100万以上に登ったとされ、「ゴー90」の代表者は「番組の総視聴者数はさらに多い」と語る。
それに加え、「ゴー90」向けに7つの番組を制作するロン・ハワード監督とプロデューサーであるブライアン・グレーザーのデジタルスタジオ「ニューフォームデジタル」は、「ランナー」シリーズにおけるユーザーの平均視聴時間は8分から12分に上ったと述べた。
精通したエグゼクティブがいない
あるコンテンツクリエイターは、「人間は成長するに従って、学び、向き合う方向を変えていく」と語る。
「ゴー90」がまずぶつかった壁のひとつは、ベライゾンは多くの資金をサービスにつぎ込んだわりに、コンテンツや配信戦略がそれほど整っていなかったことが挙げられる。当然ながら、メディア企業への転身をめざす電話会社に、メディアに精通したエグゼクティブはあまり多くなかった。
支援が必要であることを認めたベライゾンは、メディア・エンターテインメントグループのNBXユニバーサルで10年間エグゼクティブを務めたチップ・カンター氏を、ベライゾンのデジタルエンターテインメントと「ゴー90」のゼネラルマネジャーとして迎えた。
彼の職務はもちろん「ゴー90」のビジネスを構築すること、そしてエンターテイメントビジネスにおいて、フィオス(Fios:ベライゾンの光ファイバ通信)以外の新たな収入源を見つけ出すことだ。ストリーミング契約やライセンス供与などがこれに含まれる。
「これ以上悪くなることはなかった」
カンター氏が最初に行ったことは、YouTubeやWeb動画スタートアップのベッセルで幹部を務めていたイバーナ・カークブライド氏に目をつけ、チーフコンテンツオフィサーに迎えることだった。
「大切なのは販売力。『ゴー90』はこれ以上悪くなることはなかったので、再形成して改革を行い、成長させる好機があった」と、ベライゾンと協力してコンテンツを指揮する人材を探したヘッドハンターは話す。
2016年7月に採用されたカークブライド氏は、現在、ハリウッドのスタジオやクリエイターと、密接なビジネスの共同関係を構築できるようなコンテンツチームを増設中だ。このチームは、ベライゾンの24名から成るコンテンツチームと事業の買収チームの仕事を補完し、また同社のフィオスTVビジネスの監督も行う。
「彼らは万事を熟知する本物のエグゼクティブで、デジタルとエンターテインメントとの付き合いも長い」と話すのはアボブ・アベレージ(Above Average)のシニア・バイスプレジデント、マーク・リベールマン氏。同社の後援を行うのは、オンラインのコメディネットワークで、「サタデーナイトクラブ」の作者、ローン・マイケルズ氏が率いるブロードウェイビデオ(Broadway Video)だ。
「彼らは、オリジナルコンテンツを作ったこともない人をデジタルエグゼクティブとして雇って、幸運が訪れるのを待とう、などというようなことはしない」。
コンテンツ戦略で実施したこと
カンター氏は、自身が向き合う職務が厳しいことは、承知している。
「Netflixが誕生してから間もなく20年、Huluは10年、YouTubeは11年だ。どれも一朝一夕でここまできたわけではない」とカンター氏。「彼らは皆、特定のポジションを得ている。我々が動画の世界で自らのポジションを作るなら、さらに若い世代をターゲットにした上質のコンテンツに参入する余地があると信じている。広告主体で、オリジナルやスポーツ中継、そして外部から買い取ったコンテンツを最良のバランスで組み合わせたものになる」。
同社に入ってから、カーター氏は「ゴー90」の製品改良に着手し、コメディやドラマ、スポーツなど8つの分野を中心に、的を絞ることにした。これらの分野で、ほかとは違った、質の高いオリジナルシリーズの制作に努力を重ね、それを視聴者が楽しいと感じられるあらゆるものと組み合わせている。スポーツファンはNFLのハイライトが見たいかもしれないけれど、落ちぶれた元フットボール選手たちのコメディも楽しんでくれるかもしれないということだ。
そこから、カーター氏はアプリ内の検索とディスカバリーの機能改善に尽力し、同時にモバイルアプリの先を行く配信のインフラ構築に力を注いでいる。AOLやヤフー、オーサムTVやコンプレックスメディア(Complex Media)が、成長中のベライゾンのポートフォリオに加わるなか、ただ番組を配信するだけでなく、特定のオーディエンスにマーケティングを行っていく方法はたくさんある、とカンター氏は話す。たとえば、「ランナー」は「ゴー90」だけでなくAOL.comでも放映されている。
さらに将来的な展望に向けて
さらにカンター氏は、「ゴー90」はベライゾンにとって成長中のデジタルエンターテインメントビジネスの一部に過ぎず、今後、将来的にはストリーミング契約オプションについても探索していく予定だと強調した。
また、同社は大手メディアのハースト(Hearst)と提携し、新たに2つのデジタルチャンネル、レイテッド・レッド(Rated Red)とシリアスリーTV(Seriously TV)をローンチする。どちらも「ゴー90」内で、またほかのプラットフォームでも視聴可能だ。
「私たちがこれらのヒット作品にフォーカスし、マーケティング活動を行い、それを適切なファンに届けていけば、ファンはもっとコンテンツを観たいと戻ってきてくれる。そして私たちは彼らの嗜好に合った、別のコンテンツを用意することができる。NetflixやHuluがやっていることと何ら変わりはない」とカンター氏。
コンテンツパートナーの見方
大部分においてコンテンツパートナーは、ベライゾンにある程度の自由を許容することに、前向きな考えを示している。
「人々がメディアやブランドをどのように体験していくか、というのは長い時間を要する賭けだ。またその道のりは、まっすぐ一直線というわけにはいかないだろう」と話すのは「ゴー90」と提携し、オリジナルコンテンツ作成と配信を行うデファイメディア(Defy Media)プレジデントのケイス・リッチマン氏。
「難しいところは、あるエリアにフォーカスしてくれ、コンテンツやマーケティングにさらなる投資をしてもらえるパートナーを確保することだ。これは大変なことだ」とリーベルマン氏は加える。「『ゴー90』の知名度が上がれば、我々にとってもメリットがあるため、HBOでコンテンツを配信することは重要だ」。
コンテンツ配信パートナーのひとりは、「お金と労力をそそげば、良い結果が返ってくるわけではない。ただなかったことにしてやり直したほうが簡単だ」と話す。
「ようこそメディアビジネスの世界へ」
メディアやエンターテインメントには何の保証もない。世界中の金がすべてあれば大失敗しないということではない。しかし、ジェイソン・キラール氏のベッセル(Vessel)のような独立系スタートアップのほうが短い助走期間でビジネスアイデアをうまく実行できる可能性がある一方で、「ゴー90」にはまだ大手の後ろ盾とリソースがある。いまはまだ。
「賽はすでに投げられた、それはもっともたいへんなことでもある。期待値は依然として高い。いまこそ『製品』を磨いて声高らかにする時だ。ようこそ、メディアとエンターテインメントビジネスの世界へ」とカンター氏は語った。