163年の歴史を持つアトランティック(the Atlantic)は9月、ドナルド・トランプ米大統領のスクープをものにして、再び全米の注目を集めている。それにより、アトランティックの重要性が再認識されただけでなく、収益にも良い影響が出た。しかし、この幸せな物語の裏には、聞き覚えのある厳しい現実が隠されている。
ドナルド・トランプ米大統領は9月、まとまりのない記者会見で、アトランティック(the Atlantic)は「二流雑誌」「落第点の雑誌」「もう先は長くない三流雑誌」だと激しく非難した。
これはいつものメディアバッシングで、通常はCNN、ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)、ワシントン・ポスト(The Washington Post)など、もっと大きなメディアが妄言の餌食になる。しかし、これはアトランティックの神経に障った。編集長のジェフリー・ゴールドバーグ氏が自ら、トランプ氏は戦死した米軍兵士を「負け犬」「いいカモ」などと繰り返し中傷したと報じていたのだ。
この記事が9月3日に公開され、トランプ氏が激怒したことで、163年の歴史を持つアトランティックは再び全米の注目を集めた。そして現在、19世紀以来でもっとも米国文化に大きな影響を与えている。「私のやり方は極めて単純だ」と、ゴールドバーグ氏は話す。「我々はあまりに小さい存在なので、とてつもなく大きなことをやるしかない」。
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トランプ氏のスクープによって、アトランティックの重要性が再認識されただけでなく、収益にも良い影響が出た。アトランティックは9月、約6万人の有料購読者を獲得。1カ月の新規獲得数としては、2019年9月にペイウォールを設定してからの最高記録だ。2019年9月以降、アトランティックは約37万人の購読者を獲得している(現在の購読者数は約65万人)。
若干の値引きを考慮に入れても、新規事業であるサブスクリプションビジネスはおそらく、年間2000万ドル(約20億円)前後の売上をもたらしている。「我々は入念に準備し、大胆で野心的な記事を発表するというやり方を好むが、市場は今、まさにそれを求めている」と、ゴールドバーグ氏は話す。
サブスクリプションが大金をもたらした背景には編集部の猛攻がある。方向の定まらないニュースの瞬間が訪れたとき、読者が立ち止まり、その意味を理解できるよう手助けすることで、アトランティックは差別化を図ってきた。米国人の多くがまだ新型コロナウイルスを真剣に受け止めていなかった2月24日、ジェームズ・ハンブリン氏は「あなたが新型コロナウイルスに感染する可能性は高い(You’re Likely to Get the Coronavirus)」という記事を投稿し、インターネットで話題をさらった。科学担当記者のサラ・ザン氏とエド・ヨン氏はパンデミック中、信頼性の高い記事を書き続けた。その内容は多岐にわたり、「米国はいかにしてパンデミックに敗北したのか(How The Pandemic Defeated America)」など、目が覚めるような記事もあった。コムスコア(Comscore)によれば、アトランティックのトラフィックは3月に最大となり、月間ユニークビジター数は約6500万人を記録した。
こうして認知度が高まり、アトランティックは多くのメディアが共有するひとつの目標へと向かい始めた。広告に支えられた企業から読者売上を主な収益源とする企業に進化するという目標だ。
しかし、この幸せな物語の裏には、聞き覚えのある厳しい現実が隠されている。パンデミック中、広告は不足状態に陥り、ライブイベント産業は急停止した。そして、アトランティックは5月、従業員68人(全従業員の約20%)のレイオフに踏み切った。アトランティックにとって、ライブイベントはもっとも頼りになる収益源で、パンデミック以前、売上全体の20%前後を占めていた。アトランティックは年間数百万ドル(数億円)の損失を計上。これは広告ビジネスの減退が一因だが、2017年、エマーソン・コレクティブ(Emerson Collective)が株式の過半数を取得して以降、編集、製品部門に積極投資していることも原因だ。エマーソン・コレクティブは、Appleの創業者スティーブ・ジョブズの妻だったビリオネアの投資家ローレン・パウエル・ジョブズ氏が率いる組織だ。
複雑な経営体制は、誰が舵取りしているかをわかりにくくしている。株式の一部を保有し、長年にわたって会長を務める変わり者のデビッド・ブラッドリー氏は、経営から退くことを約束し、1年前から新しいCEOを探している。ブラッドリー氏は100人以上の候補者を面接したと周囲に自慢しているが、経営責任者の選考はまだ続いている。現在、エマーソンが経営陣に加わり、ブラッドリー氏と共同で指揮を執っている。
ブラッドリー氏は2017年に株式を売却した際、エマーソンが5年以内に経営を引き継ぐと話していたが、2019年、現在の体制がさらに続く可能性が浮上した。新しいCEOが決まったあと、ブラッドリー氏は名誉会長の座にとどまるつもりのようだ。事情に詳しいある人物は「彼は辞めたくない仕事の後継者探しを任されている」と話す。
アトランティックは2022年までに消費者売上を5000万ドル(約52億円)に到達させるという野心的な目標を掲げている。しかし、たとえ目標を達成できても、再び黒字に転換できるかどうかは、まったくわからない。現在のところ、アトランティックの財務的な未来は、パウエル・ジョブズ氏が支援のため、自身の財産をさらに投じるかどうかに懸かっている。エマーソンは10月、別のメディア投資を打ち切る決断を下した。その相手はライブイベントを収益源とするポップアップ・マガジン・プロダクションズ(Pop-Up Magazine Productions)で、傘下のカリフォルニア・サンデー・マガジン(California Sunday Magazine)が廃刊になった。この数年、「ローレン・パウエル・ジョブズ氏はストーリーテリングを救うことができるか?(Can Laurene Powell Jobs Save Storytelling?)」といった称賛の見出しが躍っているが、パウエル・ジョブズ氏のような慈善家でも、損失に対する寛容さには限度があるようだ。それは景気後退のさなか、メディア企業で働く人々が退職を促されることになってもだ。アトランティックの従業員は神経をとがらせている。
アトランティックの社長、マイケル・フィネガン氏は「エマーソンとパウエル・ジョブズ氏は巨額の利益で私腹を肥やすために投資しているわけではないが、彼らはメディアビジネスを求めている。繁栄しているメディアビジネスとは、自立したメディアビジネスのことだ」と話す。「決して年ごとに資金を投じる必要のあるビジネスではない」。
エマーソンからエマーソンへ
アトランティックは10年前、驚くべきメディアのサクセスストーリーとして注目を集めた。1999年、ブラッドリー氏がメディア王のモート・ザッカーマン氏から1000万ドル(約10億円)でアトランティックを買収。しばらく赤字続きだったが、本社をボストンからワシントンに移転し、ジェームズ・ベネット氏を編集者、ジャスティン・スミス氏を経営幹部として招き入れた。そして、新しい公式が生まれ、印刷メディア再生のロードマップとなった。具体的には、広告販売におけるデジタルと印刷物の壁を取り払い、コストカットを実施、ウェブトラフィックを呼び込み、確実に稼ぐことのできるイベント事業を構築した。2010年、アトランティックは黒字に転じ、ささやかな利益を得られるようになった。
コンサルティング会社や調査会社の株主として富を築き、黒字企業のオーナーとなったブラッドリー氏は、一族の次世代はメディア帝国の後を継ぐことに興味がないと周囲に語っていた。ブラッドリー氏の狙いはメディア帝国の売却で、買い手となるビリオネアを探していたとき、1人目で当たりくじをつかんだ。それがパウエル・ジョブズ氏だ。慈善事業と投資を手掛けるエマーソンの名前の由来は、アトランティックの創業者のひとりであるラルフ・ワルド・エマーソンだった。2017年7月、取引成立が発表された。事情に詳しい複数の人物によれば、エマーソンはアトランティックの株式の70%を約1億1000万ドル(約115億円)で取得したという。ブラッドリー氏は会長の座にとどまった。
アトランティックの黒字は2017年で終わった。株式取得から間もなく、エマーソンはアトランティックに人材を注入した。約80のポジションで従業員が増やされ、ジョージ・パッカー氏、アン・アプルボーム氏、ジェメル・ヒル氏などの有名記者がニュースルームに加わった。
アトランティックの財務に詳しい複数の人物によれば、エマーソンが投資した時点で、アトランティックは約1000万ドル(約10億円)の利益を計上していたという。その直後、2000万ドル(約21億円)の赤字に転じた。エマーソンは赤字になることを承知のうえで、編集、製品、技術、成長チームの意味ある拡大を実行した。ところが、広告環境そのものの衰退によって、損失が拡大した。アトランティックはそれまで、年間30%のペースでデジタル広告の成長を続けていた。しかし、成長の鈍化が始まり、2019年、ついにマイナスになったとフィネガン氏は述べている。
メディアの世界では、ひとつの新しいモデルが確立されている。広告にコマース、サブスクリプションなどを組み合わせる収益源の多様化をベースにしたモデルだ。たとえば、アトランティックが同格と見なすニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ニューヨーカー(New Yorker)では、狂乱状態のトランプ政権を報じるというジャーナリズムの目的意識に読者売上が加わり、伝統的な「印刷」メディア(純粋な印刷物ではないが)の復興が起きた。アトランティックの経営陣はこのムーブメントの一部になりたいと考えた。そして、デジタル読者をデジタル購読者に変えられるかどうかがアトランティックの未来を左右するとわかっていた。
2019年9月、長い議論の末、ペイウォールを導入した。デジタル版の料金は年額49.99ドル(約5250円)、印刷版とデジタル版の両方を購読するための料金は59.99ドルだ(※約6300円/月額料金はない)。この料金設定はライバルたちより安い。ニューヨーカーはそれぞれ99.99ドル(約1万500円)と149.99ドル(約1万5800円)だ。フィネガン氏によれば、読者調査の結果を反映した金額で、現在、印刷版の購読者を新しい料金体系に移行させる手続きを進めているという。ただし、「人々はもっと支払ってくれると私は考えている。もちろん、値上げも検討している」。
アトランティックは最初の2年間で11万人の新規購読者を獲得するという目標を掲げていたが、この目標はすぐに達成された。ゴールドバーグ氏のニューヨーカー時代の上司をはじめ、ライバルたちはアトランティックの印象的な報道に気付いていた。ニューヨーカーの編集者デイビッド・レムニック氏は「ニューヨーカーとアトランティックのアプローチは同じではないが(同じ必要があるだろうか?)、それでも、ライバルが健全な状態にあり、素晴らしいジャーナリズムを行っているのは喜ばしいことだ」と話す。「読者にとって良いことであり、国にとっても良いことだ」。
当然ながら、あらゆるパブリッシャーは今、「トランプ効果」が終わったとき、ビジネスにどのような影響が出るかをじっくり考えている。ゴールドバーグ氏は、トランプ後の世界が到来しても、アトランティックの勢いがそがれることはないと予想している。「我々は163年にわたり、複雑なテーマや米国人の考え方を解説してきた。我々は今後もそれを続けるつもりだ。パンデミックはまだ終わらない。我々の文化の緊張状態はしばらく続くだろう」。
アトランティックは多くの点で、この異様なニュースの時期に購読者を獲得しやすい立場にあった。まず、アトランティックの記者は長い分析記事を書くことを認められている。次に、優れた科学、政治、文化、技術、健康担当チームを持っている。さらに、現代のアトランティックは、重要な記事で話題をさらってきた実績がある。単に今ほど頻度が高くなかっただけだ。
スクロール(Scroll)の創設者トニー・ハイル氏は測定企業チャートビート(Chartbeat)を率いていた当時、アレックス・ティゾン氏の「私の家族の奴隷(My Family’s Slave)」など、アトランティックの記事が総エンゲージメント時間でよく上位に入っていたと振り返っている。「アトランティックは常に、ロイヤルティが高まるような記事を発表してきた。広告の全盛期、人々が夢中になる壮大な記事は必ずしも大金を生まなかったが、(購読者が重視されている)今、そのような記事が最高の武器になる」。購読者という基盤が拡大しても、アトランティックはそのほかの事業を捨てなかった。顧客とコンサルティングに近い広範な契約を結ぶため、アトランティック・ブランド・パートナーズ(Atlantic Brand Partners)を9月に立ち上げた。また、多くのメディア企業と同様、イベント事業はオンラインに移行した。ただし、チームは大幅に縮小されている。
アトランティックは同時に、暫定的な経営体制を維持している。2019年9月にボブ・コーン氏が社長を辞任した後、フィネガン氏が暫定的な社長として、コーン氏の職務の大部分を引き継いでいる。複数の情報筋によれば、編集長のゴールドバーグ氏はパウエル・ジョブズ氏と友人関係にあるが、込み入った経営体制については不満を口にしているという(不満はないかと聞かれたとき、「オーナーが何人もいる」と漏らしたという)。
事情に詳しい複数の人物が、ブラッドリー氏はメディア幹部たちとの面接を楽しんでおり、後任者の選考を遅らせているようにも見えると話している。ハリウッド・リポーター(Hollywood Reporter)とビルボード(Billboard)のトップを務めたジャニス・ミン氏、ギルト(Gilt)とBusiness Insider(ビジネスインサイダー)の創業者ケビン・ライアン氏などが面接を受けたが、いずれも候補者から外された。まだ交渉中の候補者がいるかどうかすら不明だ。
誰が後任者になっても、スタイリッシュな職場で働くことになるだろう──これから先、人々がオフィスに戻る日が来ればの話だが。エマーソンは米DIGIDAYの取材に対し、パンデミック前に、ニューヨークのマンハッタン地区ソーホーの新築ビルを購入したと認めている。ここには、エマーソンのオフィスとアトランティックのニューヨーク支局が入る予定だ。さらなる拡大として話題をさらうだろう。
神経をとがらせるニュースルーム
ゴールドバーグ氏は、アトランティックはニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストよりはるかに小さい編集部で、こうした格上の相手に挑んできたと述べている。それでも、アトランティックにとっては、コストのかかる大きな編集部だ。レイオフ前、アトランティックは編集部に150人、そのほかの部門に250人の従業員を抱えていた。2020年春、パンデミックが拡大したとき、メディア企業は一時帰休やレイオフに次々と踏み切ったが、次は自分たちの番ではないかとアトランティックの従業員は考えた。しかし同時に、ビリオネアの支援者が守ってくれるかもしれないと期待した。フォーブス(Forbes)によれば、パウエル・ジョブズ氏の純資産は196億ドル(約2兆円)にのぼる(パウエル・ジョブズ氏は本記事の取材に応じなかった)。
レイオフが現実になったとき、パンデミックの影響がもっとも大きい部門が主な対象となった。事業サイドではイベント事業と販売、編集サイドでは採用チームと少数の事務スタッフ、動画チーム(多くのメディア企業がそうであるように、利益を生む方法が見つからなかった)だ。
エマーソンのメディア担当マネージングディレクターとアトランティックの副会長を兼任するピーター・ラットマン氏は、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)から人種問題、トランプ政権まで、我々はアトランティックが2020年に成し遂げてきた素晴らしいジャーナリズムをとても誇りに思っている。読者からの反響にも興奮している。記録的なオーディエンスを獲得し、デジタルサブスクリプションも目覚ましい成長を遂げた」と話す。「2020年は重大な転機になった。我々は今、パンデミック後の世界で力を発揮できる好位置に付けていると確信している」。
一方、記者や編集者はレイオフを深刻に受け止めている。ある編集スタッフは「レイオフは腹立たしい出来事だった。ニュースルームにとっては不意打ちだった」と明かす。「これから人員を削減するという明確な予兆があると思っていた」。
別の編集スタッフは「経営陣はレイオフの痛みを軽く見積もっていたように思う」と話す。
それでも、数週間ほど前から、士気が正常に戻り始めていると、従業員は口をそろえる。あるいは、現在のメディア環境で考えられる正常ということかもしれない。
アトランティックのエグゼクティブエディター、エイドリアン・ラフランス氏は「同僚との会話で、この業界のことはよくわかっているという言葉が出てくる。間違いなく、我々は今、前例のない時代を生きている」と話す。「我々は強固な足場に立っていると私は実感している。アトランティックの従業員にとっては、あの決断は強固な足場を維持するために下されたと納得することが重要だ」。
[原文:Inside the Atlantic’s triumphant and tumultuous run during the coronavirus pandemic]
STEVEN PERLBERG(翻訳:米井香織/ガリレオ、編集:長田真)