デジタルビデオの台頭で、テキストベースのライターたちが戦々恐々としている。物書きの仕事が減り、動画制作能力の需要が高まってきたからだ。ビデオシフトを公に発表し、12人の専属ライターを解雇することになったMTVニュースの事例を中心に、その現象のいまを紐解く。
MTVニュースは6月、長文記事によるジャーナリズムからビデオへとリソースをシフトさせると発表。これはそのプロセスにおいて12人ほどのスタッフが解雇されることを意味していた。解雇の対象となったスタッフ一人ひとりが順番に呼ばれる際に、オフィスへ漂う重い空気は、多くの人が別の部署や会社でも経験したものだ。「今月すでに友人の半分がクビになっているなか、全体に重苦しい空気が漂っていた」と語ってくれたのは、MTVをクビになったスタッフのひとり。MTVについて公に語ることは禁止されているため、匿名で語ってくれた。
MTVであれ、ヴォーカティブ(Vocativ)であれタイム社(Time Inc.)であれ、ビデオ中心への転換はスタッフ解雇と同意義になりつつある。Twitter上では、お別れのツイートや同情のツイート、「この人を雇って」と推薦のツイートが投稿され、そして業界の先行きに関する嘆きの声がツイートされる、というパターンが繰り返される。
デジタルの出現時の業界改革と、ビデオシフトは根本的に異なっている。そういう重い空気があることは確かだ。そして、ライターという職業が永久に消えてしまうかもしれないという不安も漂っている。ビデオシフトとは都合のよいスケープゴートにすぎない。デジタルの台頭では、紙のライターたちはオンラインジャーナリストへと変わることができた。今回はそのオプションが存在していないのだ。
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ライターたちの不安と不満
「我々の仕事はシステムとしてビデオに取って代わられており、もはや価値が無くなったという不安がライターのあいだでは大きくなっていると思う。ビデオを作ることと、エッセイを書くことは、ふたつの根本的に異なる技術だ。ビデオ制作に関する技術的なスキルを多くのライターたちは持っていない」と語ったのは、ニューズウィーク(Newsweek)のシニアライターであるザック・ションフェルド氏だ。彼は最近、ビデオシフトがなぜ上手くいかないかについてのエッセイを執筆した。
ライターたちは認めたがらないかもしれないが、見栄や気取りといった要素も関係している。テキストベースのジャーナリストたちは長いあいだ、テレビのジャーナリストたちを見た目は良いが頭は悪い連中として見下してきた。しかし現在、テレビ映りが良いだけの馬鹿だと無視してきた連中に、自分たちの神聖な職業が侵食されようとしている。MTVニュースでは元ピッチフォークのレビュー・エディターであるジェシカ・ホッパー氏やニュー・リパブリック(New Republic)のジャミール・スミス氏、ワンケット(Wonkette)出身のアナ・マリー・コックス氏といった長文形式で評判の高いスタッフが揃っていただけに、今回の人材解雇は特にショックを与えている。こういったスタッフを採用して、MTVニュースが長いあいだとっていた長文形式にフォーカスを据える戦略は、多くのレポーターたちにとって夢であった。
「私が子どものときから、テレビの連中がどれだけ頭が悪いかについて、スポーツライターたちが話しているのを聞いていた。いまでもその傾向はある。我々は自分たちがしていることに意義があると思っている。なので、今後はあの連中と一緒にならないといけない、と言われると恐ろしくなる。侮辱的に感じるのだ」と語るのは、ザ・リンガー(The Ringer)のエディターであり、グラントランド(Grantland)、プレイ(Play)でもライターの経験があるブライアン・カーティス氏だ。プレイはニューヨーク・タイムズのスポーツ雑誌。カーティス氏も最近、ビデオシフトについて分析している。
ビデオシフトそのものが疑問
そして、本質的な問題も指摘されている。ビデオシフトが上手くいかない、というものだ。業界自体が、長期に渡って持続可能なビジネスモデルを提案できていないこと、それによってずっと存在している傷口に、ただバンドエイドを貼っているだけだというのだ。ビデオは万能薬ではない。ビデオを上手く作るのは難しく、高くつく。そして大きな金額の収益をあげているパブリッシャーは少ない。ビデオシフトの意義は広告を売ることにあるが、オーディエンスからの要請を受けてのものではない。物書きのジャーナリストの仕事は無くなるが、パブリッシュ業界をビデオが救うことはできない。
5/ Pivots, more often than not, aren’t led by real audience strategy. It’s chasing an ad demo, or dream of a demo, like a cat chases a laser pic.twitter.com/gkbYft4q0D
— Clara Jeffery (@ClaraJeffery) June 29, 2017
ビデオシフトは本当の意味でのオーディエンス戦略によって行われていない。ただ広告のデモを追いかけているだけだ。もしくは夢のようなデモだ。猫がレーザーの光を追いかけるのと同じ。
ザ・アウトライン(The Outline)のシニアエディターであるレア・フィネガン氏は言う。
「ビデオがFacebook経由でトラフィックをもっと生み出してくれるという飾り的文言があったが、それはただスキップしたくなる広告が増えるだけだ。ビデオを上手く作ることは非常に難しく、制作にはたくさんのスタッフが必要だ。おそらくブログを書くのと同じくらい簡単だと多くの人が思ってしまっていたのではないか。明らかに広告という視点から生み出された変化であって、ジャーナリズムの視点ではない。言葉の方がはるかに簡単で、安くつく。誰も読むということを辞めたりはしない。文章を読むということはビデオよりもストーリーを伝えるより良い手法だと思う」。
Lucia Moses(原文 / 訳:塚本 紺)