メディアだけではない! 既存組織の「信頼」が問われている:人間中心主義からAI中心主義へ

本記事は、電通総研 カウンセル兼フェロー/電通デジタル 客員エグゼクティブコンサルタント/アタラ合同会社 フェロー/zonari合同会社 代表執行役社長、有園雄一氏による寄稿コラムとなります。

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先日、あるメディア企業のオーナーとメディアの信頼性について話しているときだった。「うちは、取材・編集・校閲などのプロセスできちんと人間がチェックしていますから、大丈夫です」と、そのオーナーは胸を張った。私は、「その人間の組織的なプロセスがいま、問題視されているんです」と即答した。すると、すぐには意味が伝わらなかったようで、そのオーナーはキョトンとした顔をした。

私が関わっている電通総研では「よい社会におけるメディアの信頼性と社会的役割」をテーマのひとつに掲げている。元テレビ局社員や元新聞記者、メディア経営者などメディア業界人だけではなく、元Google Japan社長、マーケティング企業経営者、学者、ジャーナリスト、電通社員など、普段の仕事では膝を突き合わせて議論することが稀なメンバーが定期的に集まっている。その議論の詳細をここで紹介するつもりはないが、私自身、さまざまな刺激を受けている。

メディアの信頼性が電通総研のテーマになっている背景は、もちろん、ソーシャルメディアなどネット上のデマ情報やフェイクニュースが社会的に問題なっているからだ。また、伝統的なマスメディアの信頼感も低下しているという懸念もある。

メディアの信頼性低下

たとえば、2017年4月掲載の「信頼失う新聞・テレビは滅ぶのか 池上彰さんが『楽観できない』と語る理由」というBuzzFeed Newsの記事では、最近の調査でマスメディアへの信頼が日米で過去最低になっていることを紹介している。新聞やテレビは「民主主義のインフラ」として必要であると訴えつつも、池上彰氏がその将来については「楽観できない」と懸念を示しているのだ。

2018年2月の「メディア信頼度の現状を示す、5つのチャート」という記事では、PR会社、エデルマン(Edelman)の「トラストバロメーター2018(Trust Barometer 2018)」調査を取り上げている。SNSなどプラットフォームへの信頼度が低下している点に触れたあとに、伝統的なレガシーメディアへの懐疑的な視点も紹介している。その箇所を引用する。

エデルマンのレポートからは、メディアへの健全な懐疑主義が見てとれる。世界全体では66%の回答者が、メディア機関は報道よりもオーディエンス拡大に傾倒しすぎていると考え、65%は他社より先にニュースを伝えるためにメディアは正確性を犠牲にしていると考えていた。また回答者の6割近くが、メディア機関は大衆に正確な情報を伝えるよりもイデオロギーを支持すると答えた。

不正や隠蔽の背後に

私は、このようなメディア不信の根本には、「不完全な人間の存在」、あるいは、その「組織や制度の脆さ」があると考えている。そして、この現象は、メディアだけにとどまらず、他のさまざまな組織や制度にも及んでいると思うのだ。

書籍『TRUST 世界最先端の企業はいかに〈信頼〉を攻略したか』(日経BP社 2018年)でも、2017年のエデルマン・レポートを紹介している。それによると、2017年の調査結果には「信頼危機」という見出しがついたらしい。「政府、マスコミ、ビジネス、NGO(非政府組織)への信頼は、史上もっとも低かった。なかでもマスコミの低下は著しく、すべての国で82パーセントの人がマスコミを信頼していないと答えた」とのことだ。

つまり、マスコミへの不信は確かに大きいものの、信頼性の低下とは、メディアだけの話ではないし、日本だけの話でもないということだ。著者のレイチェル・ボッツマンは、「少数の人が力を握り、閉じられた扉の陰で運営され、その人たちに対する信頼のもとに成り立つ組織は、デジタル時代に向いていない」と断じている。

レイチェル・ボッツマンは海外の事例をたくさん挙げている。「信頼危機」はいま、世界中の伝統的組織で起こっているようだ。日本も、もちろん、例外ではない。財務省の公文書改ざん、スルガ銀行の不適切融資に絡む審査書類の改ざん、日産自動車やSUBARU(スバル)、三菱自動車などの自動車業界の不正・データ改ざん・隠蔽体質のニュース、神戸製鋼所のデータ改ざん、東洋ゴム工業の免震ゴム性能偽装事件、三菱マテリアルや東レ子会社などの不正もある。東芝の不適切会計、オリンパスの粉飾決算なども記憶に新しいのではないか。あるいは、東京医科大学の不正入試問題などなど、「少数の人が力を握り、閉じられた扉の陰で運営され」ている内向きの論理、組織のガバナンスが背景にあるように思えてならない。そして、私が関わる電通も労務問題だけではなく、ネット広告での過剰請求問題も発覚した。

このような組織的不正や隠蔽の背後に、「不完全な人間の存在」、あるいは、その「組織や制度の脆さ」の影を感じてしまうのだ。

田原総一朗氏の見解

ところで、ジャーナリストの田原総一朗氏が今年7月、電通総研のラウンドテーブルという会議に招かれた。メディアの信頼性に関する田原氏の講義を聞いたあと、電通総研フェローと田原氏が一緒に議論する会だった。そこでの田原氏の話で印象的だったものを紹介したい。

それは、新聞社に関する話で、たとえば、A新聞は組織的に反権力で反安倍政権の論陣を張る。そのため、A紙の若手記者が安倍政権を支持するような記事を書いても、論説委員などからチェックされて紙面には載らないらしい。その一方で、S新聞は、営業的理由で反A新聞の論を展開するらしい。つまり、その方が、反A的な読者を獲得できるという考えのようだ。結果的に、S紙の記者は、安倍政権の激しい批判はできないことになる。

これは、組織的な判断が優先され、個々の新聞記者は言いたいことが書けない、ある意味で、「新聞社に言論の自由が無い」ということだ。私の知る限り、新聞社には優秀な人が多く、一般企業に比べると、風通しも良いようにみえる。それに、一つひとつの記事の論調を精査せずに一方的に断じるのは論拠不足だ。なので、一方的に田原氏の話を信じる訳にもいかないが、しかしながら、もしも田原氏の話が本当なら、仮にそのようなことが少なからずあるならば、新聞社の自殺行為みたいなものだ。購読部数が減ってしまうのも自業自得ではないのか。

「少数の人が力を握り、閉じられた扉の陰で運営され」ている内向きの論理、組織のガバナンスの問題は、新聞社にも当てはまると言っていい。先ほど、マスメディアの信頼性低下を示すエデルマンの調査結果を紹介した。その理由は、その内向きの組織の論理を優先する姿勢が、一般の人々にも、透けてみえるからだろう。つまり、調査結果をみていると、「本当に自らの良心に照らして正しいと思うことを発信しているのか」「組織におもねっているのではないのか」「本心から社会を良くしようと思って、社説などを執筆している記者は少ないのではないか」。そんな懐疑的な視線がマスメディアに向かっているように感じる。

ひと筋の光を刺す話

先のアメリカ大統領選でフェイクニュースが問題になったように、SNSをはじめとしてネットメディアを信頼するのは難しい。もちろん、ネットの情報は玉石混交で、信頼できるメディアや情報もあると思う。しかしながら、テレビや新聞などマスメディアの方が、依然として、ネットメディアよりも信頼できると私は感じている。だが、にもかかわらず、そのマスメディアですら「信頼危機」に陥り、その一方で、ネットメディアはまだまだ発展途上だとすれば、私たちの社会は、どのようにして正確な情報を見極め、何を信じて生きて行けばいいのか。そのような戸惑いが多くの人にあるのではないか。

そのような戸惑いにひと筋の光を刺す話を、これまた、田原総一朗氏がしてくれた。JX通信社の「ファストアラート」というサービスの話だ。これは、AIによるSNS緊急情報サービスと謳っている。常にSNSの情報をモニタリングし、事件・事故の情報をキャッチした場合、速報してくれる。NHKをはじめ大手報道機関が契約し、ニュース速報に活用しているとのことだ。要するに、AIの速報をある程度信用して大手報道機関がニュースを流しているということだ。

PRESIDENT (プレジデント) 2018年9/3号』で、田原氏は、JX通信社代表取締役・米重克洋氏にインタビューしている。そこで、ファストアラートの精度について質問している。

「間違った情報が100件あったら、99件は流す前に弾けるくらいのところまできました。ごくたまに弾けないケースがありますが、報道機関は裏取りをするので、最終的には視聴者や読者のもとに届く前に弾かれるでしょう」(p123)と米重氏は回答している。

おそらく、大手マスメディアは本業のビジネスが徐々に不振に陥っていくなかで、記者の人件費削減などを狙って導入したのだと思う。しかし、人間が裏取りをするにしても、99%まで精度が上がっているとすれば、もはや人間の記者と、どっちの方が精度が高いのだろうかと思ってしまう。

もちろん、AIにニュース製作のすべてを任せている訳ではないし(AIが記事を書くという話もあるが)、AIが社説など論説を書く訳でもないだろう。しかし、米重氏が「既存の報道機関の業務を、いかに機械化して再現できるのかが勝負です。私たちは記者もいないし支局もないですが、より速くニュースを届けることができる」(p124)と話しているように、確実に報道の機械化が進んでいくのだろう。

私たち自身が新しい「神」

私は、この連載の前回の記事で、「人間中心主義からAI中心主義へ」、世の中が変化していると思うと書いた。エストニアの電子政府では、政府の元CIDが「AIを内閣に入れるべきだと思う」と発言していたり、あるいは、元ソフトバンク・モバイル副社長の松本徹三氏は、「こうして私たち自身が作り上げたAIを、私たち自身が自分たちの新しい『神』として受け入れ、私たちの将来を完全に委ねるべきだと、私は考えています」と主張している。

「不完全な人間の存在」と「その組織や制度の脆さ」、それが既存の組織の「信頼危機」の原因だと思う。その打開策として、AIを神としてすべてを信託するような思想、AI中心主義に人々は傾きつつある。といっても、AIはまだまだ不完全な存在だろう。一方で、財務省の公文書改ざんなど数多くの組織的人間が生み出す不正と不信の山。AIも人間も、どっちも信用しきれないというのが、「信頼危機」の本質ではないか。

おそらくは、エストニアの電子政府のように、AI中心主義に舵を切っていく時代、パラダイムシフトの時代なのだと思う。が、その流れに既存の人間の組織が反対勢力として対抗するように思う。そのパワーバランスのなかで、新たな信頼の在り方を、組織的社会的に模索していかなければならない。

今年から、電通総研が掲げている「よい社会におけるメディアの信頼性と社会的役割」というテーマは、メディア以外にもその裾野を拡大しつつ、少々長い時間をかけて議論していく必要があるのかもしれない。

Written by 有園雄一
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