コリン・クロール氏(34歳)は12月16日に死去した。薬物の過剰摂取が死因と思われる。クロール氏の死は、テック業界やメディア業界、マーケティング業界を驚かせ、主要な報道機関によるニュース記事とTwitterでの追悼ツイートが相次いだ。本記事では、家族や同僚、友人によるクロール氏の思い出話を以下に紹介する。
コリン・クロール氏は子ども時代、視聴するTV番組すべてと対話できるところを想像した。2017年に「HQトリビア(HQ Trivia)」をリリースしてその夢を実現し、それとともに、クイズをするために手を止めた大勢の人々に喜びをもたらした。スマートフォンで何が可能かを示して、メディア業界も魅了した。しかも、クロール氏が世界的な現象を引き起こしたのは、それが初めてですらなかった。
クロール氏(34歳)は12月16日に死去した。薬物の過剰摂取が死因と思われる。クロール氏の死は、テック業界やメディア業界、マーケティング業界を驚かせ、主要な報道機関によるニュース記事とTwitterでの追悼ツイートが相次いだ。HQトリビアは、クロール氏の名声を高めると同時に、一部の否定的な報道に拍車を掛けた。管理の失敗を理由にTwitterから解雇され、同僚の女性数人に不快感を与えたことを明らかにしたRecode(リコード)の記事は、その最たるものだった。それでも、もともとHQトリビアの最高技術責任者だったクロール氏は、9月にCEOに昇格し、前任者がクリエイティブや番組の企画に力を注ぐ一方で、日常業務の管理を任された。
その頃、私(米DIGIDAYのケリー・フリン記者)は、クロール氏と座って、変化や今後のことについて雑談する機会を得た。Vine(ヴァイン)とHQトリビアのファンだったので、クロール氏は私の人生に良い影響を及ぼしていた。クロール氏のアプリは、私を笑わせ、信じられないほど才能ある人々を紹介してくれた。マッシャブル(Mashable)では同僚と、ニューヨークでは友人と、自宅では家族と一緒に、HQトリビアに参加した。2人で会ったとき、HQトリビアはブームの段階を過ぎていたが、クロール氏は気にしていないようだった。チームとともにもっと多くのものを用意していた。
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「明らかに、最初は、口コミで大いに広まって助かった。ほかの製品を扱った仕事で見てきたように、そういった時期には必ず終わりが来るものだ。私たちはそれに備えて計画を立ててきた。いまは、どうやってもっと多くのことを実行するかに注目している。ここでの仕事で気に入っているのは、私たちがやっていることを見た者が、それを何らかのアイデアに当てはめたら、想像力が存分に発揮される点だ。可能性は無限だが、それをどうやって実現するかが課題だ」と、クロール氏は私に語った。
家族や同僚、友人によるクロール氏の思い出話を以下に紹介する。
アラン・クロール氏(コリン氏の父)
こんなことになるまで、コリンがどれほど才能に溢れていたのか、わからなかった。コリンはとても謙虚だったから。テレビ番組に出演するよう誘われたが、前任のCEOだったラス(・ユスポフ氏)やHQトリビアのメインホストを務めるスコット(・ロゴウスキー氏)が出演した。私は、舞台裏で暗躍するコリンの企業スパイのようなものだった。2人でよく方向性について話した。そうするようになったのは、Yahoo!にいたごく短期間のうちに、ニューヨークで幕を引き、コリンの部下48人と一緒になったときだった。「父さん、僕は何をしているんだろう?」といった感じだ。コリンは、「どうしてもそれをできない、自分はいつもそうする」と私に言っていた。私と一緒にそういうことを続けていた。現在に至るまで、そうするつもりもなく、コリンはこうした奇跡を起こし続けた。
コリンについて興味深いのは、これまでに実行してきたことすべてが、それまで一度も実行されたことがなかったという点だ。どうやって実行するかの目安がなかった。Vineが軌道に乗るのを見たし、HQトリビアもある。HQトリビアはもたついていた。そこで私が「もたつきを止められないのか?」というと、コリンは「なぜもたついているのか、わからない。こんなことをやった者は、これまで誰もいないから」と答えた。コリンには素晴らしいビジョンがあり、既存の枠にとらわれずに物事を見ていた。
コリンは、この前の感謝祭に、こんな子どものゲームから脱却したいと言っていた。コリンはメディアにとても興味を持っていた。だが、何年も前に、医療業界で友人と働いていて、トイレに設置して、そのなかで起きていることを何でも測定するチップを、医師や医師助手とともに開発していた。コリンは、その測定用アプリを準備していた。そういうのは、コリンが呼んでいたような「子どものゲーム」の範疇外で考えていた類のことだ。あいにく、あまりに早くに死んでしまって、そうしたことを実現できなかった。
ドム・ホフマン氏(Vineの共同創業者)
10年ほど前にコリンに出会った。その後長年にわたって、一緒にいくつか人生で最高の仕事を行った。だが、何より思い出されるのは、その間に彼について知った別のことだ。
コリンは素晴らしい才能に恵まれたミュージシャンで、動物が大好きだった。芸術や旅を高く評価し、何らかの興味深いサイドプロジェクトをいつも家で続けていた。彼の笑い声は、相手の1日を明るくし、たとえそうでない場合でも、気持ちを良くしてくれるか、おかしな気分にしてくれた。それにありがたいことに、コリンは非常に寛大だった。彼の意見や感情は不変ではなく、より良い意見に耳を傾け、変更することができた。それが、彼について、もっとも尊敬していることのひとつだった。
一緒に働かなくなっても、頻繁に、毎月数回以上、会って近況を話し合った。もちろん、仕事について話したが、人生について話題にすることのほうがはるかに多かった。面白半分の時もあれば、腹を割った会話の時もあった。私は今後いつも、友人とのそうした会話を大切にするつもりだ。コリンがいなくてとても寂しくなるだろう。
シャンリン・マー氏(ゾラ[Zola]のCEO、創業者)
コリンが才気縦横だったのを覚えている。素晴らしい製品や技術を生み出す彼の集中力や気配り、深い情熱は、私やほかの大勢の人々に刺激を与えた。彼は、大勢の人々を幸せにする物を作った。私たちはコリンに感謝しているし、いなくなって寂しく思うだろう。
ラス・ユスポフ氏(VineとHQトリビアの共同創業者)
コリンとはこの7年間、人生の信じられない瞬間を数多くともに過ごした。画期的な会社2社を共同で創設する信じられない旅に乗り出した。VineとHQトリビアで学んだ教訓は、私に大きな影響を及ぼし続けるだろう。多くの関係と同様に、私たちは問題も抱えていた。コリンの親切心と寛大さが真に輝くのは、そういった困難だがやりがいのあるときだった。コリンには、自分が特別な存在だと皆に感じさせる、こうした素晴らしい能力があった。人の話によく耳を傾け、深く考えた。だが何より、仕事以上に人々のことを気に掛けた。彼の革新の原動力は、人々や世界に与える好ましい影響だった。コリンの革新とイノベーションは、多くの人々の生活をより良いものに変え、この先何年も世界に影響を与え続けるだろう。
スコット・ロゴウスキー氏(HQトリビアのホスト)
HQトリビアはコリンの赤ん坊のようなもので、彼は私を信じて、そのベビーシッターをさせた。彼は何年もHQトリビアについて考えていた。生配信のモバイル動画との関わり方に大変革をもたらす方法を考えていたのだ。言うまでもなく、コリンは成功し、その技術の開発と会社の創設に心血を注いだ。彼の父親はニューヨーク・タイムズ(The New York Times)に、コリンは週に100時間働くのが普通だったと語った。私に言わせると、実際には140時間近くだろう。彼はたえず新しいアイデアの形成やコンセプトのテストを行い、結果を疑ってかかり、意見の一致を目指し、助言を求めたが、名声を求めることなく、むしろたえず他者を褒め、チームの健康や幸せに気を配った。
コリンはスポットライトを浴びることを特に楽しんでいたわけではなく、他の者を有名にしてキャリアを積ませることを楽しんでいた。最初はVineのスターたちで、その次が私だった。私は自分が彼の「成功の代理人」の役割を果たしているかのように感じていたが、彼は、私の才能に大いに感謝しているとか、私が有名人になってとても誇らしいと言い続けた。私がそうした栄誉を返上しようとして、彼が生み出したものが私たちの文化にどれほど劇的な影響を与え、世界のメディアの状況を作りかえてきたか述べると、彼は一笑に付して、製品の向上に焦点を戻した。だが、新たな洞察や問題解決のことで頭が回転していないそうした静かなときには、コリンが自分を振り返り、自分がどれほど特別な人間か気づくことができたことを願っている。
ジェレミー・リウ氏(ライトスピード[Lightspeed]のパートナー)
コリンには、生配信のモバイル動画の将来についてこうした明確なビジョンを持っていた。数年前、Facebookのライブ動画とPeriscope(ペリスコープ)は大流行していた。コリンは、それを目にして、自撮りの延長ほど洗練されたものは何もないと考えた。ニュース記事を読んでいるスーツ姿の男性にカメラを向けるのが革新と見なされていたTVの黎明期と同じようなものというわけだ。現在、複数のカメラやサウンドトラック、オーバーレイ、各種の効果により、作り込まれた高品質の番組を制作できるおかげで、TVが提供するフォーマットと創造性は、急激に拡大している。そのため、シットコムやソープオペラ、お昼のトーク番組、デート番組、伝道番組、ゲーム番組など、フォーマットが多様化してきた。ああ、ゲーム番組だ。そしてHQトリビアが生まれた。最初は番組で、次はネットワーク、最後に配信チャンネルだった。
コリンは大きな視野で考えた。現在のちっぽけなスタートを超えて戦略の終盤を見ることができた。このどれも簡単にはいかなかった。難しい技術的問題を解決し、このビジョンを実現する必要があった。コリンは待つことができなかった。有能なエンジニアに刺激を与えて、引き込み、こうした未来を作った。我々は、彼から受け継いだものを構築し続けるつもりだ。だが、彼がいなくて心から寂しく思うだろう。
ニック・ガロ氏(HQトリビアのコンテンツ開発責任者)
「君のVineシリーズはすごく風変わりだ。会おう」。コリンから2013年にそんなダイレクトメールを受け取った。そこでウィリアムズバーグでステーキを食べ、人生でもっとも大事な友情のひとつにつながった。この数日間に友人が送ってきた数十枚の写真によれば、多くの奇妙な帽子や馬鹿みたいに見える眼鏡、身体に合っていないジャンプスーツを通じて見えた友情だ。ロベルタズピザで会っていた時、コリンは私を見て、こう言った。「ガロ、君の服が好きなんだ。少しおかしく見えて。僕に着させてよ」。「いますぐかい?」と答えると、「そうだよ」。最高の人間になるよう意欲をかき立て、ときにはほかと比べて奇妙な形で、自分の独特な資質を受け入れさせる人生へのアプローチという、こんな素晴らしい点がコリンにはあった。その後、私は彼のグレーのブレザーとデトロイトタイガースの帽子を身につけて、満面の笑みを浮かべてコリンを見つめ返した。彼は、サイズが大きすぎる私の赤のフランネルシャツを着て、カーキ色の冬用帽子を目深にかぶっていた。馬鹿みたいに見えたが、彼はそのことをわかっていて、大いに満足していた。
未来やTVは、コリンの考えの出発点に過ぎなかった。薬の未来が次で、民主主義がその次だった。彼の居間で私たちはギターでよくジャムセッションをし、「世界中の皆に投票させる方法があると思う」といったようなことを彼は言っていた。私は彼を信じた。私のギターのリフに乗せて演奏しながら、コリンはもっとつながった世界を築くことについて何気なく話した。それは、彼がすでにやったことだ。それも2度。雷に2度以上打たれることはないが、コリンは謙虚で聡明なので、何度も成功を繰り返していた。彼が好んで私に思い出させたように、そのはじまりは、ミシガン州で近所の友人にVHSテープを売ることだった。コリンにはいつも最高のアイデアがあった。現在取り組んでいたものよりもいいアイデアでさえあった。彼に刺激を受けて、私は自分が知っていることすべてを疑問視し、完璧なアイデアを思いつくようになった。それが完璧なアイデアだと思うときには、自分や周囲の者を励まして、それに挑戦させ、ひっくり返し、もっとうまくやる方法を考えつかせるといい。私の世界やあなたの世界、皆の世界は、コリンなしではこれまでと同じものには決してならないだろう。
シアン・バニスター氏(ファウンダーズ・ファンド[Founders Fund]のパートナー)
コリンと私は誕生日が同じだった。彼の最後の誕生日には、彼の家族から送られてきたクッキー入りの重箱を持って、2人でニューヨークを歩き回った。彼はよく、子ども時代に住んでいた家のことを懐かしそうに話していたので、そのクッキーを食べることができて幸運だった。
コリンは毎週、電話やテキストメッセージで連絡してきて、事業やときには人生について語った。私は最近、健康面で厄介な問題を抱えていて、健康状態が良くなるまで数日おきに、大丈夫か確認するテキストメッセージを彼は送ってきた。彼は思いやりがあって、思慮深く、驚くほど知性的だった。ときおり、製品について気の利いたことを言ったり、エンジニアリングについて話したりして、ときを過ごした。
コリンは大きな将来の夢があり、HQトリビアやそれを超えたことに向けた自身の計画について物思いにふけっていた。世界は才能溢れる人物を失った。私はけっして彼を忘れないだろう。
ドリュー・パターソン氏(起業家)
コリンは驚くべき人物というしかない。私は幸運にも、ジェットセッター(Jetsetter)で数年間、彼と一緒に働き、それ以来、友情を温める機会に恵まれた。出会ったとき、私はCEOになったばかりで、夢の実現を助けてくれるエンジニアを探していた。コリンはそのちょっと前に、ライトメディア(Right Media)を去り、新しい仕事を探していた。彼が好奇心と野心を抱いているのは明らかだった。私たちはすぐに意気投合した。
コリンが御しやすい人間だと言っているわけではない。彼は挑発的だったが、私はそんな彼のことが大好きだった。彼は馬鹿げたことを容認しなかった。疲れ知らずで、自分と周囲の人間を高い水準に保っていた。だが、ビジョンがあった。文化がどういう方向に向かっているのか知っていて、人々を笑顔にする製品作りに喜びを感じていた。大勢の人々が彼が生み出したものに殺到し、その死を悼んだのも不思議ではない。
何より、コリンは忠実で愛すべき友人だったのを覚えている。彼は私の妻子のことを気に掛けてくれた。彼は自分の兄弟や家族に献身的だった。愛犬について笑っているときであれ、卓球をしているときであれ、軽く食事して人生について話しているときであれ、喜びに溢れていた。彼がいなくて寂しい。安らかに眠ってほしい。
ジョン・「ウッジー」・ウッズ氏(Vineのスター)
ニュースを聞いて、コリンのTwitterページにすぐにアクセスした。そのときは、画面上の言葉にすぎなくても、彼から「連絡をもらいたかった」のだと思う。彼のリプライをスクロールし、日付を遡るほど、ツイートのアーカイブではなく古いグループのテキストメッセージのようなものをよく読んだ。Vineが本調子になりつつあった2013年半ばのものになると、特にそうだった。私たちのほとんどは現実の生活で一度も会ったことがなくても、チャットしている友人のツイートが次々に目に入る。コリンは絶えず、TwitterやVineで私たちと関わり、「いいね!」をし、質問に答え、コメントで私たちと冗談を飛ばしさえした。見知らぬ人々が突然大親友になった。これは、Vineが起こした奇跡だった。そして、広い心と親切心を備えたコリンは、その大きな一部だった。
私は現在もなお、そうしたツイートに答えた人の大多数と親しい友達だ。私たちは、いまでは本当に家族のようだ。そして、私たちは兄であるコリンを失った。だから、家族ならそうするように嘆き悲しみ、誰でも求めることができた最高の兄を思い出す。コリンよ、安らかに眠ってくれ。
ジェイ・カプーア氏(ローンチキャピタル[Launch Capital]のシニアアソシエイト)
私にとってコリン・クロール氏はもちろん、消費者体験についての予言者だが、それ以上に、実に誠実な人物だった。彼にはじめてメールしてからほぼ1年後の今年の10月に、ようやくコリンと直接会うことができた。旧友同士であるかのように挨拶してくれたよ! あの馬鹿げたカラフルなチャートについて笑い、近々リリースされる新しいHQトリビアのゲームに対してどれほどわくわくしているか話した。だが、何よりも、VineといまではHQトリビアの両方で、自然と成長した本当に情熱的なファンコミュニティに、彼がどれほど満足しているかが、話題になった。あらゆる場所でオーディエンスを楽しませることに、彼は本当に興奮していた。
彼が私たちの生涯でもっとも特別で独特な体験を作ったのは、それが理由だと信じざるを得ない。ありがとう、コリン。君の記憶が家族や友人、愛する者たちへの恵みになりますように。そして、君の信頼性が、あらゆるところで起業家の手本になりますように。私の手本であることは確かだ。安らかに眠ってくれ。
Kerry Flynn(原文 / 訳:ガリレオ)