石井龍夫 の 日本マーケティング私史 #5 〜 AI 発展期〜:パーソナライズへ回帰する時代

本記事は、元・花王デジタルマーケティングセンター長で、現在はC Channel 常勤監査役、Adobe エグゼクティブフェロー、株式会社イーライフ エグゼクティブアドバイザーを務める石井龍夫氏によるシリーズ寄稿です。

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私は前回の寄稿で、ソーシャルメディアの普及によって、マイノリティがメジャーになる時代が到来したと述べた。これは、企業にとって「個」を無視してマーケティングを行うことは出来ない時代になったということであり、メディアにとっても、これまでのような画一的な価値に基づくコンテンツの提供では、立ちゆかなくなってきたということを意味している。

情報の民主化

インターネットによって、多様な情報や意見に触れることが可能になったことで、マスメディアやマスコミュニケーションによって創られた共通の価値観は多様化し、大衆は細分化した。また、キュレーションメディアの出現により、生活者はインターネットの膨大な情報の海から、自分の好みにあった情報のみを、ほぼリアルタイムで入手することが可能になった。つまり、インターネットの普及により「情報の民主化」が果たされたといえよう。

加えて、ソーシャルメディアの出現によって、自分と同様の価値観を持つ他人(あえて友達といっても良い)を見つけ、つながりを持つことが可能になり、大衆はマイノリティの小規模ユニットの集合体として、再構成されることになったのだ。そこには、自分にとっての最良を求める生活者の、パーソナライズへの期待が存在していると私は考える。

これまで生活者は、限られた情報量のなかで、皆と同じ生活スタイルや同じ商品、サービスで満足することを強要されてきた。しかし、膨大な情報を取捨選択できるというデジタルの恩恵により、生活者は自分の趣味嗜好や、自分の属するコミュニティ共通の価値感にフィットする、商品やサービスを見つけ出し、利用できるようになった。そして、そこから自己の個性や感性を磨き、他人と異なる自分自身を表現することも可能になったのだ。

パーソナライズの未来像

パーソナライズについては、マーケティングコミュニケーションの分野では、2002年に公開されたアメリカの映画『マイノリティ・レポート(Minority Report)』が、もっとも端的に、その未来像を描き出していると私は考える。

この映画では、トム・クルーズ演じる主人公が、無実の罪で犯罪予防局から追跡されるのだが、街なかを群衆に紛れて逃げる最中に、街頭に張り巡らされた網膜スキャナが、逃走する主人公の網膜を検知する。すると、街路のあちこちに設置されたデジタルサイネージが、主人公の趣味嗜好や購買履歴だけでなく、現在の精神的状況に適合した広告を選択して表示し、購買を呼びかけてくる。過去データだけでなく、その時点での感情や精神状態をも読み取って、適切な広告を提供するのであるから、これは広告主企業にとっては、購買を促すうえで究極のパーソナライズだといえよう。

このような手法が、広告を提供される生活者にとって適切かどうか、心地良いかどうかはわからないが、映画のなかで主人公は、このような網膜スキャナとサイネージによって、自分の所在が特定されることを逃れるために、自分の眼球を摘出し、他人の眼球を移植するという手段をとる。2002年段階で、広告の将来像を適切に描き出しただけでなく、まさに、デジタル広告と広告ブロッキングツールの関係をも表しているように思うが、いかがだろう。

要するに、生活者が求めるパーソナライズと、広告主の求めるパーソナライズのミスマッチが起これば、広告は現代と同じく、将来も嫌われ者になり続けるということだ。では、嫌われ者にならないための広告のあり方は、どのようなものなのだろう。

「嫌われない」ために

ここで、私の寄稿の第1回目を思い出していただきたい。江戸時代の魚屋は、顧客の過去の購買履歴をベースに、その日仕入れた魚と顧客リストのマッチングを図り、それぞれの顧客の趣味嗜好に合わせた、レコメンデーションを行っていた。つまり、記憶というデータベースによる、ONE to ONEのパーソナライズだ。

顧客が好きだと思うものを、毎回同じ調理法で提案していたら、いくら好きな魚や料理でも飽きられてしまう。ときには、変わった魚や料理を提供して、仕入れすぎた在庫をさばくことも考えるだろう。そのためには、顧客の家族の魚料理の嗜好を把握し、新しい提案が的外れにならないようにする必要がある。

また、魚屋の競争相手は、同業者だけではない。顧客の台所に出入りする、さまざまな物売りもまた、競争相手だ。だから、顧客の家族や親戚に祝い事があるという情報を捉えれば、高価でもあえて鯛を仕入れて、真っ先に持って行くだろう。つまりは、魚屋が過当競争のなかで生き残るには、データ収集と、それによる深い顧客理解に基づくレコメンデーションが必要だったのだ。このようなレコメンデーションが適切に行われれば、魚屋が提供した適切な「顧客体験」に対して、感謝されることはあっても、嫌われることはないだろう。

嫌われない広告もこれと同様で「欲しいタイミングで、顧客が必要としている情報を提供すること」、これに尽きる。では、どうしたら「嫌われない広告」は実現できるのだろう。江戸時代の魚屋が数十人の顧客を抱えてやっていた顧客体験の創造を、現代の私たちは、より多数の顧客に対して提供しなくてはならない。その数は数百万人から数千万人に上るだろう。その数千万人の顧客、それぞれにパーソナライズした顧客体験を提供するには、魚屋ひとりの頭脳では絶対に不可能だ。デジタルの最新技術が必要になる。

DMPやデータウェアハウスなどと呼ばれる、デジタルマーケティング用の統合データ活用基盤、それと連携して広告を配信するDSPやMAツール、そしてなにより、パーソナライズしたコンテンツを迅速に、そして効率的に制作するためのAIの活用が必須となるだろう。

2030年代の消費経済

私は2017年、経済産業省の消費インテリジェンス研究会の委員として、2030年頃の消費経済市場を見据えつつ、消費者意識変化の理解を行い、それに伴う企業経営と、消費者起点のイノベーションの在り方等について、検討する機会を得た。そこで検討、報告されたことを2017年3月に報告書として取りまとめを行ったのだが、今回、その一部を抜粋して以下に転載させていただく。報告書全体に対して興味のある方はこちらを参照されたい。

・今後の消費経済市場を見据えた中長期的な変化・課題
2030年代の消費経済市場では、確実に起こると想定される未来として、AI、生体認証、自動運転等の技術発展や、働き方の多様化、シェアリングエコノミーの更なる普及、CtoCの増加などの社会変化などにより、消費の価値観の多様化、個人のもの作りの進展、ダイナミックプライシング、個人向けレコメンドの発達といった変化が生じ得る。

 

・3つの消費行動のタイプ
2030年にどのような消費行動が見られるかについては、3つの特徴的な消費行動タイプ(自律的消費・他律的消費・偶発的消費)に整理することができる。

 

1. 自律的消費:自らのこだわりを追及し、消費を自らコントロールする、消費行動のタイプ
2. 他律的消費:自分の求めている最適な商品やサービスについて、他者がIT等を通じて発見して提案して欲しいとする、消費行動のタイプ
3. 偶発的消費:「ワクワク・ドキドキ感を味わいたい」という欲求を追及し、偶然おもしろいと感じるものを発見することを望む、消費行動のタイプ

3つの消費行動のタイプは、一個人のなかに共存するものであり、相互に連関している。また、消費行動のタイプは固定化されるものではなく、リアルタイムに変化し、消費の変化を捉えるには、この「変化の兆し」に着目することが重要だ。

これら3つの消費タイプについて、解説をしてみよう。検索による目的を持った商品や情報の探求を続けていると、それに疲れを感じるようになり、Amazonに代表されるリコメンドを心地よく感じるようになる。しかし、自分の欲しいと思うものが適切に提供されるのは有り難いが、そこには驚きやワキワク感がないので、ドン・キホーテで偶然面白い商品に出会うような、偶発的な出会いを求めるようになる。

そしてこれらは、ひとりの顧客のなかで、繰り返し発生しては消えていくような衝動だと考える。この3つの繰り返す消費行動に適切に対応して、最適な顧客体験を提供するためのキーとなるものが、IoTやビッグデータ、およびAIである。実は、偶発的消費だと思っていることについても、実際はさまざまなデータ解析に基づく「仕組まれた偶然」であることに気付く人がいるかもしれない。

パーソナライズへの回帰

このように、インターネットやソーシャルメディア、そしてデジタル活用の進展により、マーケティングはマスマーケティングからパーソナライズを前提とした、デジタルマーケティングへと流れを変えてきているといわれるが、果たしてその認識で正しいのだろうか。

私はこう思う。実はマーケティングとは、江戸時代の魚屋の例を引くまでもなく、元来パーソナライズによる、適切な顧客体験の創出への試みからはじまったものであり、パーソナライズされた商品や、コミュニケーションの提供こそが本流なのだ。新聞やラジオ・テレビといったマスメディアが普及することで、一時期マスマーケティングが主流を獲得したのは事実だが、インターネットが「情報の民主化」を果たしたいま、マーケティングは本流である、パーソナライズの時代に回帰したのだと。

次回は、このような情報の民主化を経て、メディアのあり方がどのように変わっていくのか、また変わるべきなのかについて考えてみたいと思う。

【石井龍夫 の 日本マーケティング私史】
#1 〜過去編〜:究極の ONE to ONE の時代
#2 〜テレビ全盛期〜:マスメディアがもたらした「均一性」の時代
#3 〜ネット黎明期〜:企業が「自社メディア」を持つ時代
#4 〜SNS氾濫期〜:マイノリティがメジャーになる時代

Written by 石井龍夫