オンライン広告業界の経営層のあいだでは、ベライゾン・メディア(Verizon Media)のアポロ・グローバル・マネジメント(Apollo Global Management)への売却は、「IT業界で個人情報保護への動きが広がっており、内外でデータ共有に関する自主制限が進んだため」という声が大きい。
かつて、YahooおよびAOLというもっとも長い歴史、大きな知名度を誇る2大メディアブランドを買収したベライゾン(Verizon)。この買収では、「モバイルの会員データを活用し、コンテンツに広告配信を行う」という約束があったとされている。
だが、ベライゾンCEOのハンス・ベストバーグ氏は、最終的にAOLとYahooの資産への関心を失った。5月3日には、ベライゾン・メディア(Verizon Media)のアポロ・グローバル・マネジメント(Apollo Global Management)への売却が発表された。オンライン広告業界の経営層のあいだでは、「アドテクやアイデンティティ技術のConnectIDなどを含め、今回メディア資産の売却にいたった背景には、IT業界で個人情報保護への動きが広がっており、内外でデータ共有に関する自主制限が進んだため」という声が大きい。
現在は廃止されたベライゾンのプレシジョン・マーケット・インサイト(Precision Market Insights)でディレクターを務めたステファニー・バウアー・マーシャル氏は、MITスローン(経営大学院/ビジネススクール)で行われた講演会で「2013年時点で、ベライゾンは会員データの収益化を考えていた」と明かしている。
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「個人情報の問題さえ解決すれば、大きなチャンスが生まれる」。この「チャンス」は、ワイヤレスサービスやインターネットの会員が生み出すデータを、広告主向けの商品として組み立て、収益化するということにほかならない。この個人情報への需要が、2015年のAOL買収と2016年のYahoo買収につながったと言っても良い。2社あわせて実に89億ドル(約9700億円)という、巨額投資だ。ベライゾンは、広告インベントリーを所有することでユーザーや規制当局が納得する形で会員データを活用できると考えていた。
メディアエージェンシーのグループエム(GroupM)のビジネスインテリジェンス部門でグローバルプレジデントを務めるブライアン・ウィーザー氏は「ベライゾンが目指していたのは、メディアインベントリーと会員の位置情報や興味といった認証データを結びつけることにあった」と分析する。だが、この6年で消費者の個人情報に対する関心や当局による規制強化が一気に始動した。それを受けて、ベライゾンはデータの利用について自主規制を余儀なくされた。
広告技術や個人情報に対する新たな規制の流れ
ベライゾン・メディアグループCEOのグル・ガウラッパン氏は、2020年に行われた米DIGIDAY podcast番組のインタビューで、「ベライゾンのデータ資産と、ベライゾン・メディアのデータ資産はまた別物だ」と述べたうえで、「モバイルやISP会員の個人単位でのデータ使用を自主的に制限している」と説明している。「通信事業者のデータを取得し、広告に利用しているということはない」。また、「会員は新たな体験を求めている。その実現のために、有料のサブスクリプションモデルを導入した。広告データのためではなく、広告技術にデータを加えるつもりもない、ということはハッキリさせたい」と話している。
一方、通信事業者側のデータを集約して使用することはあったという。また、ベライゾンの個人情報保護方針として、会員自身が広告のパーソナライズプログラムである「ベライゾン・セレクト(Verizon Selects)」にオプトインしている場合や、「関連性の高いモバイル広告」機能をオプトアウトしていない場合に限り、会員のデータを使用してスマートフォンなどに広告を表示しているという(ベライゾン・メディアの広告において、会員データをどのように使用しているかについては回答を得られなかった)。
2010年から2017年までAOLプラットフォームズ(AOL Platforms)のCTOを務めたセス・デムジー氏は、在任当時、ベライゾンのアドテクの統合やデータ商品開発に携わり、同社の自主規制に直接触れる機会のあった人物だ。5月第1週に米DIGIDAYの取材に応じたデムジー氏は、「当時ベライゾンはAOLのインベントリーを利用する際にも、オプトインによる同意なしにユーザー個人単位のデータを使用することはなかった」と証言している。「データの取得が容易だからと言って、必ずしも実際にデータを使用するとは限らない。別次元の話だ」とデムジー氏。
ウィーザー氏は、「AppleとGoogleが個人情報保護を名目としてサードパーティCookieなどの一部トラッキング識別子の使用停止を進めていることが、ベライゾンのメディア事業およびアドテク事業の売却に拍車をかけたのではないか」と推測する。「大幅な追加投資なしには、事業の進展に悪影響を及ぼすことは明らかだった」。
「通信事業者がメディアと提携すれば、データの収益化が進み、企業全体で成長できるという楽観的な予測」があったものの、通信事業とアドテクの組み合わせは、現実にはさほど効果的ではなかった。今回の売却が、AT&Tが所有するアドテク部門のザンダー(Xandr)の今後(売却検討と報じられている)に影響を与える可能性はあるかと問われたウィーザー氏は、「現時点でザンダーについて判断が決まっていないとしても、ベライゾン・メディア売却のニュースが何か影響を及ぼすとは考えにくい」と話す。
「ベライゾンによる売却は、EUやカリフォルニア州の個人情報保護法や、Appleによるトラッキング規制といった個人情報の取り扱いについての風向きが変わったことが大きい」とデムジー氏は言う。
「戦略の根幹を揺さぶるような出来事だったのは間違いない。IDFAがなくなるなど、4~5年前は誰も想定していなかったのだから」。
ベライゾンのメディア目標を変えたのは、個人情報取扱規制への懸念とCookie廃止
2015年5月には、ベライゾンがAOLを買収し、数カ月後にAOLがモバイルメディア企業のミレニアル・メディア(Millennial Media)を買収した。このときベライゾン社内では、『PMI(Precision Market Insights)』のデータをAOLの広告ターゲティングや最適化、測定に関する技術と組み合わせて活用できると期待が高まった。しかし、同社はPMIデータの使用方法について自主規制を行ってきた。情報筋が当時、米DIGIDAYに語ったところによると、ベライゾンは「パートナー企業に対してPMIの提供打ち切りを申し出ており、数億円の投資をおこなったばかりの自社の広告インベントリープラットフォーム経由でのみターゲティングデータを提供すると通知していた」という。
つまり、個人情報データに関する外部圧力の高まりを受けて、ベライゾンは独自のウォールドガーデンを築こうとしていたのだ。2014年の時点ですでに、ワイアード(Wired)やフォーブス(Forbes)、ププロパブリカ(Propublica)などがベライゾンの『PresicionID』技術に対して個人情報保護の観点から否定的な記事を掲載していた。これはハッシュ化された匿名識別子を使い、ベライゾンの会員を特定して広告ターゲティングを行うサービスだ。このCookieはユーザーが消しても勝手に復活することから、メディアはこれを「ゾンビCookie」と呼んだ。
2015年の時点でスマート(Smaato)のCBO(最高業務責任者)、アジパル・パヌ氏が指摘していた通り、「個人情報取扱対策のハードルが高すぎて、PMIがウォールドガーデンの外のメディアインベントリーとリンクするのは難問」だった。その上で同氏は「ベライゾンが買収を繰り返しているのはそのためだろう。ベライゾンが必要としているのはAOLとミレニアルメディアのデータだ。販売こそしないが、使いたいと考えているはずだ」と指摘する。
ウィーザー氏は、「会員データを使う人や方法をコントロールする必要性から、AOLの買収に至った」と分析する。「ベライゾンがPMIでデータの収益化に取り組んだことや、ゾンビCookie事件などはひとつの線に結ぶことができる。つまり、ベライゾンは独自のアドテク事業を構築する必要があると考えるに至ったのだろう」。
一方、メディアによるゾンビCookieへの追求は苛烈さを増し、ついには米連邦通信委員会(FCC)がベライゾンの調査を開始する。この問題は、最終的にベライゾンが1億3500万ドル(約150億円)の和解金を支払うこと、広告ターゲティング目的で他企業とIDを共有する際はオーディエンスのオプトインによる合意を得ることで2016年3月に決着した。
そして広告主が満足できない広告ターゲティング機能に
法規制や自主規制が重なり、ベライゾンのプラットフォームは徐々にマーケターにとっての魅力を損ねていった。
「メディア買収によって多数かつ幅広いオーディエンスを獲得したものの、DSPやオープンエクスチェンジとの連携には消極的で、広告ターゲティングにおいてはユーザー単位でのデータ活用も難しい。このような状況下では、いくらオーディエンスが多くても広告主に十分な関連性を提供できない」と指摘するのが、フルサービスのマーケティングデージェンシー、アイル・ロケット(Aisle Rocket)でアカウントサービス担当SVPを務めるジェン・ストロージン氏だ。「あらゆるPII(個人を特定できる情報)を活用し難い状況に陥ってしまった」。自身もサービスをテストした経験から、「ベライゾンのファーストパーティデータは使えない」と感じたという。
エージェンシーのインフェクシャス・メディア(Infectious Media)で製品パートナーシップ担当マネージングパートナーを務めるダン・ラーデン氏は「個人情報保護の規制が妨げとなって、通信会社が会員データを広告ターゲティングに利用できないという問題は業界全体で起きている」と話す。「とりわけ欧州の通信会社は警戒心が強く、こちらがキャリアやISPの会員データを利用しようにも、集約データしか渡してくれず、オーディエンスのターゲティングという意味ではメリットがない」。
やり手として知られたベライゾンのメディア広告部門の責任者、ティム・アームストロング氏が2018年に退社したのも、ベライゾンのデータ使用に関する自主規制が発端という報道がある。ウォールストリート・ジャーナル(The FirstWall Street Journal)は、アームストロング氏の退社前に「ベライゾンおよびオース(Oath)の経営層の一部が『広告収益のためのワイヤレス会員データ使用にあまりに消極的すぎる』と反発している」と報じている。「広告収益を増やそうとして利益の大きいワイヤレスの顧客を失うことになれば元も子もない、という主張もあり、ベライゾンとオース(Oath)経営陣のあいだでも意見が衝突している」。
「これはベライゾンにとって、もっとも重要なBtoBの顧客離れを起こしかねない問題でもある」と、デムジー氏は指摘する。同氏は現在、技術インキュベーターの300キュービッツ(300 Qubits)の共同創業者として運営に携わっている。「ベライゾンは巨大なBtoBのITサービスプロバイダーであり、多くの企業が信頼を寄せている」とデムジー氏は話し、「会員データの使用を自主規制するというベライゾンの判断は、正しいものだったはずだ」と締めくくった。
[原文:How Verizon’s self-imposed data privacy limits contributed to the demise of its media ambitions]
KATE KAYE(翻訳:SI Japan、編集:長田真)
ILLUSTRATION BY IVY LIU