俗に言う「ぶっ飛んだ」ソーシャルメディアの運用戦略が、変曲点を迎えているのかもしれない。少なくとも、Threadsでは現在そういう議論が盛んに交わされている。メタ(Meta)がX(旧Twitter)への対抗策として打ち出 […]
俗に言う「ぶっ飛んだ」ソーシャルメディアの運用戦略が、変曲点を迎えているのかもしれない。少なくとも、Threadsでは現在そういう議論が盛んに交わされている。メタ(Meta)がX(旧Twitter)への対抗策として打ち出したThreadsは、「青い鳥アプリ」の愛称で知られていたソーシャルメディアの苦戦を、存分に利用する構えのようだ。
いまどきのソーシャルメディア運用担当者にとって、「ぶっ飛ぶ」とはWebと現実を隔てる第4の壁を破り、ネットミームやスラングを駆使して共感や人間味を演出することだ。しかし、一部では広告戦略としてのぶっ飛んだカオスの価値を疑問視する声や、運用担当者の役割をおとしめるのではないかと危惧する声も聞かれる。
実際、過去には同様の傾向が起きている(挑発的で、ゆえに拡散性の強いコンテンツの価値を疑問視するSNS専門家の議論はこちら)。
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ぶっ飛んだSNS戦略は定番化
IPビジネスを展開するケイオティックグッドストゥディオス(Chaotic Good Studios)でソーシャルメディアの責任者を務めるジョン・ステファン・スタンセル氏は、「『SNSの運用管理は見習いがやる仕事』というお約束が、『SNSの運用管理はぶっ飛んだ奴が適任』というお約束に置き代わっただけのような気がする。これは本当に改善と呼べるのだろうか」とツイート(正しくは、ポスト)している。
しかも、X(旧Twitter)のライバルとしてThreadsが登場したことで、このいわゆる「ぶっ飛んだSNS戦略」は、定番化しつつあるようだ。実際、ブランドもその精神を理解しながら、この新アプリで対話やコミュニティ形成の新たな可能性を探っている。たとえば、Netflixは(両アプリへの対応に追われる運用担当者に向けて)「SNS運用担当者の皆さん、大丈夫ですか?」と投稿。Threadsの公式アカウント自体は「ちょっと疲れているかも」とポストしている。
一方、ピザハット(Pizza Hut)は「ピザで一番好きな部分は『詰め物をしたアノ部分』」とポストして、Threadsユーザーのあいだで話題になった。「アノ部分」がどの部分かは不明だが、どうやらこの投稿はすでに削除されているようだ。
合理的に計算された無謀という戦略
しかし、複数のSNS運用担当者の話では、 こうしたコンテンツは多くの場合、綿密に計画され、上級幹部や法務によって事前に承認されているという。つまり、一見無謀に見えても、それは合理的に計算された無謀ということだ。
ブランドがオンラインで人間くさいペルソナを演出するのは、いまに始まったことではない。2000年代初頭に、ウェンディーズ(Wendy’s)、ステイカム(Steak-umm)、デニーズ(Denny’s)ら、大手企業がTwitterにアカウントを開設しはじめた当初、アカウント運用の方向性を決定づけたのは運用担当者、いわゆる「中の人」だった。
また、ブランドが人目を引くために皮肉や毒舌を使うのは、ソーシャルメディアに限ったことではない。たとえば、マウンテンデュー(Mountain dew)が2016年のスーパーボウルで放送したテレビCM「パピーモンキーベイビー(Puppy Monkey Baby)」もそのひとつだ。さらに、オンライン証券のイートレード(E-Trade)が展開した「赤ちゃんトレーダー」のテレビCMも同様で、それは2008年にまでさかのぼる。
このほか、外国語学習アプリのデュオリンゴ(Duolingo)はTikTokで同様の戦略を展開し、その名を馳せた。同社のSNS運用担当者にとっては難儀な話かもしれないが、Threadsの登場で、そうしたアプローチはいまなお継続中だ。
「この戦略を全面的に否定するつもりはない。場合によっては効果的なツールになることもある。しかし、それは戦略的に使ってこそ最大の効果を発揮するし、使いすぎもいただけない」と、スタンセル氏は戒める。「衝撃効果が働くのは、衝撃が続いているうちだけだ」。
ともあれ、本稿ではマーケティング戦略として「ぶっ飛んだSNS運用」を採用することのメリットとデメリットについて考察してみたい。
メリット
- 親近感、フォロワーとの関係構築
- エンゲージメントの増加
- 有機的な成長
ソーシャルメディアの運用担当者が第4の壁を破り、企業としてではなく、ひとりの人間として発言することには、いくつかのメリットがあるとエージェンシーの幹部たちは口を揃える。メタ的、あるいは自己言及的なアプローチと見る向きもあるが、親近感を持たせやすく、それによりブランドを人格化しやすい。
コミュニケーションエージェンシーのゼノデジタルエクスペリエンス(Zeno Digital Experience)で米国市場の責任者を務めるグレッグ・テデスコ氏は、「とくに若いユーザーは、リアルで人間にように語りながらも、ブランドとしての威信を感じさせるブランドに惹かれる」と述べる。
こうした親近感は拡散力のあるSNS投稿につながり、結果的にブランドに新しいフォロワーを引き寄せ、いいね、シェア、コメントなどのエンゲージメントを増やすことにも貢献する。
デュオリンゴでグローバルのSNS運用責任者を務めるザリア・パーヴェズ氏によると、TikTokを主戦場とする同社の場合、「ブランドのマスコットキャラクターである緑のフクロウが羽目を外せば外すほど、アプリの新規ユーザーが増えた」という。デュオリンゴのSNSでの成功は、パーヴェズ氏のキャリアアップとも不可分と言っていい。というのも、フクロウのカオスな振る舞いが同社の業績にプラスの影響を与えたからだ。実際、同氏によると、この成功をグローバルに再現するため、いまではほかの部署でもコンサルタントとして活動するようになっているという。
キャリアアップの機会にもなり得る
一部には批判もあるが、ソーシャルメディアの運用担当者やエージェンシー幹部のなかには、奇抜、あるいはフレンドリーなコンテンツ戦略が親近感を与えるコンテンツとして業績向上に貢献するなら、キャリアアップの機会にもなるという人々がいる。「SNSのエンゲージメントに拍車をかけるために、こうした戦略のエキスパートを採用したがるエージェンシーやブランドさえあるほどだ」と、幹部たちは言い添えた。
「私に言わせれば、すごくおもしろい広告コピーを書いているクリエイターと何ら変わらない」と、クリエイティブエージェンシーのフォースマンアンドボーデンフォース(Forsman and Bodenfors)でコミュニケーションプランニングの責任者を務めるショーン・ストーグナー氏は述べる。「伝えるべきことを上手く伝えることができて、それが人々に注目されるなら、差し引きプラスだ」。
現在のソーシャルメディアはペイフォープレイ、つまりタダでは参加できない。ブランドはしばしば、多くのユーザーの目に触れるために、莫大なメディア支出を要求される。経済的逆風や景気後退の話題を背景に、マーケティング予算にはこれまでにないほど厳しい精査の目が向けられている。ブランドに有機的な成長をもたらすSNS運用担当者なら、少なくとも理論上、広告費の節約に多少なりとも貢献できるかもしれない。
デメリット
- 親近感と不快感は紙一重
- 持続可能でない
- 人間に近くなりすぎる
ブランドが演出する親近感は一部のユーザーにとっては刺激的かもしれないが、ほかのユーザーは不快に感じるかもしれない。「このふたつは紙一重だ」と専門家は言う。ブランドが発揮できる親近感の程度は、そのブランドの歴史、イメージ、業界によって決まる。
ダンテ・ニコラス氏は企業のSNSアカウントの運用を代行するフリーランスで、Spotifyやエッセンスマガジン(Essence Magazine)など、大手ブランドの案件を請け負っている。同氏いわく、「手ひどい批判にさらされることもある」と言い、「拡散させる相手を間違えることもある。あなたのファンなら喜ぶコンテンツでも、世間一般には好まれないかもしれない」と言い添える。結果として、企業はPR的な意味合いで苦境に立たされるかもしれないし、それはめぐりめぐって売上やブランドへの親しみに悪影響を及ぼしかねない。
ストーグナー氏によると、ブランドの親近感があまりに強くなりすぎると、人格を持ちすぎて違和感どころか不気味に感じる、いわゆる「不気味の谷」現象が起こることもあるようだ。同氏はこう語る。「ポスト資本主義(と呼べるかどうかは別として)の世界では、ブランドもまた文化の重要な一部だが、そこにはある種の不条理がある。それは滑稽でもあり、同時に恐怖でもある。たとえば、巨大企業が階級格差について語っても、両者がどうにも上手く結びつかず、いささか変な感じがする」。
また、ストーグナー氏は「普通の人々はブランドが姿を現して文化に参加するとは思っていない。ある人々にとって、それは嬉しい驚きだ。ほかの人々にとっては、ソーシャルメディアのエコシステムを乱すものと映るかもしれない。そうなれば、ユーザーはブランドを遠ざけ、ブランドを悲観するミームを展開するだろう」と続けた。
コンテンツ作りをおろそかにするブランドがあまりにも多い
たとえば、2019年にチェイス銀行(Chase Bank)は、顧客が外食やタクシー、コーヒーなどに金を使いすぎだとして、彼らをあざ笑うかのようなツイートを投稿し、大炎上した(現在、このツイートは削除されている)。このツイートは、エリザベス・ウォーレン米上院議員の目にも留まった。そして昨年は、デュオリンゴがジョニー・デップ対アンバー・ハードというハリウッドの元夫婦の名誉毀損裁判に口を挟み、猛批判を浴びている。
「突き詰めれば、SNSの拡散は必ずしもリスクに見合うものではない」と、複数のエージェンシー幹部は述べる。フルサービスのクリエイティブエージェンシーであるスターチクリエイティブ(Starch Creative)のブランドン・ボール最高経営責任者(CEO)は、「結局のところ、どのブランドも目立ちたいのだ」と話す。「しかし、拡散することにばかり没頭し、ストーリーを伝え、オーディエンスの関心を集めるコンテンツ作りをおろそかにするブランドがあまりにも多い」。
SNSでぶっ飛んだ路線を行くことのもうひとつのリスクは、ソーシャルメディア戦略としての限界だ。ネタが無くなると、SNSアカウントの運用担当者を奇抜な芸しかない、いわば一発屋に格下げしてしまう恐れもある。
SNSアカウントの運用担当者に必要な究極のスキルとは、そのときどきの環境や担当アカウントに合わせて臨機応変するカメレオンのような能力だ。「プラットフォームが異なれば、オーディエンスも自ずと異なるが、その一方で全体的な統一感を維持することも必要だ」と、スタンセル氏は話す。ただ奇抜だけに依存すれば、SNS運用担当者のキャリアアップを妨げることにもなりかねない。
まとめ
米DIGIDAYは本稿執筆のために7人のソーシャルメディア専門家に取材した。ソーシャルメディア文化には波があり、SNSアカウントのぶっ飛んだ運用スタイルもまた、ブランドとSNS活用の歴史におけるほんの短いトレンドに過ぎないのかもしれないという点で、7人すべての意見が一致している。とはいえ、次にどんな波が来るのかは誰にも分からない。
「SNSアカウントの運用担当者をどのようなたとえで表現するか。それ自体がひとつのドラマであり、その物語を進展させ、オーディエンスと対話する新しい切り口を常に考え続ける必要さえ感じる」と、パーヴェズ氏は語った。
[原文:Here are the cases for and against the so-called unhinged social media manager]
Kimeko McCoy(翻訳:英じゅんこ、編集:島田涼平)