デジタル決済革命は既存のバンキングが普及していない新興国で起きている。モバイルの爆発的な普及が、新しいデジタルエコノミーを誕生させようとしている。そしてこの世界ではクリティカルマスをとった勝者がすべてを総取りすると考えられている。
微信(ウェイシン) / WeChatにペイメントが載り「メッセンジャー+決済」というオールドエコノミーからは想像もつかないビジネスモデルが生まれた。PayPalに代表されるようにデジタル決済はデジタルコマースを支える要因として成長してきたが、QRコードに代表されるモバイル決済により、リアルコマースへのペネトレーションが進んだ。さらに東南アジアでは「ライドシェア+決済」が登場し、誰もが決済を欲しがることを証明した。
あらゆるものがデジタルマーケットプレイスに入ると考えられる時代に、リアル / デジタルをまたいだ決済提供者はとても大きな果実を得る。その決済は限りなく「軽くなる」ことが望まれている。
デジタル決済革命は既存のバンキングが普及していない新興国で起きている。モバイルの爆発的な普及が、新しいデジタルエコノミーを誕生させようとしている。そしてこの世界ではクリティカルマスをとった勝者がすべてを総取りすると考えられている。
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1. 微信モデルをなぞるWhatsApp
Facebook傘下のWhatsApp(ワッツアップ)はインドでモバイル決済サービスを開始する。市場はアリババが出資するPaytm(ペイティエム)が優位に進めているが、WhatsAppには2億人のインド人ユーザーがいる。Facebookは決済畑を歩いてきたデイビッド・マルカス氏をメッセージング製品担当バイスプレジデントに据えており、メッセージングと決済を融合させる意欲が漂う。マルカス氏はゲーム・ソーシャル向けのモバイル決済企業Zongを起業し、Zongを買収したPayPalでプレジデントなどを経てFacebookに参加した。
Facebookは2014年にWhatsAppを220億ドル(約2兆4500億円)で買収。WhatsAppのユーザー数は新興国 / 途上国を中心に10億に達しているが、収益はゼロであり、どのように収益化するか注目を浴びていた。
FTによると、カウンターポイントリサーチのアナリストのネイル・サハ氏は「WhatsAppはインドのモバイルマネーマーケットに参入するための最高のプラットフォームだ」と指摘している。インドの人々はWhatsApp上でビジネスを行うことにとても積極的だという。「(WhatsAppのタイムラインやチャット機能を利用して)乳幼児衣料や医薬品、芸術品、工芸品などを売っている」。
「メッセージング+決済」の先行例はアジア最大級企業テンセントが展開する微信 / WeChatだ。日本経済新聞によると、テンセントがアリババを猛追している。アリババは2014年にモバイル決済シェア79%だったが、2016年には50%まで落とした。テンセントは2014年の8%から2016年の38%まで伸ばした。決済を利用したユーザー数では、テンセントはアリペイの2倍以上の8.3億人に上る。
FTが引用したフォレスター・リサーチのデータによると、去年の中国のモバイル決済額は前年比で倍増し、5兆5000億ドル(約600兆円)以上に到達。これは日本のGDPの1.2倍の規模であり、米国のモバイル決済額の50倍にあたる。フォレスターは2019年には中国のモバイル決済額は12兆ドル(約1320兆円)を超えると予測する。中国が先進国をリープフロッグ(飛び越し)していることを明確に物語る。
急速に伸びると予測される中国のモバイル決済額。米国のモバイル決済額は伸びないまま。中国の決済状況が先進的であることを顕著に示している。 Via Financial Times
微信の国内外の利用者数は8億8900万人。中国人は微信を利用して極めて多量で高頻度のコミュニケーションをとっている。「リアル店舗での支払いの際にほかのアプリを開くよりは接触頻度の高い微信でそのまま決済できる方がいい」「送金や『割り勘』などのサービスとメッセージングは相性がいい」などの仮説が想定できる。微信はリアル店舗での支払い簡易化、クーポン、飲食店注文と決済を同時に行えるサービスなどで、ユーザーとパートナーに便宜をはかり、同時に低いコストでユーザー獲得に成功、ネットワーク効果を享受した。
Facebookの課題はインド市場特有の状況に対応できるか、だ。Amazonはインドに50億ドル(約5500億円)を投資しようとしていると言われるように、グローバル企業のインド進出コストは安くない。加えて、中国を見れば決済領域は少数の勝者を好む傾向がみてとれる。Paytmがアリババの投資を受けてクリティカルマスを目指して猛進するなか、WhatsAppの速度は十分なのだろうか。
2. ネットワークを拡大するPaytm
そのPaytmは現状モバイルウォレットと呼ばれる。銀行口座をもたない人でも、プリペイド方式でデジタル決済の手段をもてる。同社は総額8.9億ドル(約970億円)の資金を調達、評価額は昨年8月に50億ドル(約5500億円)と言われている。株式の約40%をもつアリババとアントファイナンシャル(Ant Financial)から、アリペイのノウハウを提供され、急成長を遂げてきた。その代表がQRコードによる決済だ。

QRコードをスキャンすると、プリペイドされたマネーを払うことができる。客のモバイルウォレットから小売業者のモバイルウォレットにお金が移転する。Image via Paytm blog
Paytm運営会社は今年1月にインド中央銀行から銀行業態「Paytm Payments Bank」の認可を受けた。The Economic Timesによると、CEOのシャルマ氏は「新しい金融のビジネスモデルを構築し、銀行機能を利用できない人々を含む多くの人々に金融サービスを提供する」と語っている。
銀行の認可取得から独自の金融サービス提供のシナリオはアリババの経験そのものだ。アリババは最近はコマースで培ったクレジットスコアを活用した損害保険業にも進出。楽天もネット金融サービス、電子マネー事業などを整備しているが、アリババはモデルのひとつだろう。
インドのモディ政権は先見の明がある。2016年11月には高額紙幣の流通を禁止。ビジョンはキャッシュレス社会だ。モディ政権はかつての政権と異なり、頻繁に方針をかえないと言われる。
アリペイを運営するAnt Financialはアリババと中国国営資本でできた事実上の世界最大フィンテック企業。タイの現地財閥系決済企業Ascend Moneyや国際送金ネットワークなどにも投資し、アジアのデジタル決済に狙いを定めている。2016年4月にスタートアップ史上最高額の45億ドル(約5000億円)を調達した際の評価額は600億ドル(約6兆6000億円)。将来的にはゴールドマン・サックスの時価総額900億ドル(約10兆円)を越すのではないかと言われている。
3. 2020年にインドのデジタル決済は5000億ドルに達する
インドのモバイル決済は急激に成長している。Googleとボストンコンサルティンググループ(BCG)がインドの決済に関してまとめた「DIGITAL PAYMENTS 2020」(全56ページ)はインドのデジタルペイメントが2020年に5000億ドル(約55兆円)規模の取引額に達すると予測する。
デジタル決済全体が決済全体に占める割合は2025年には37%に達する。クレジットカードはシェアの伸び率は少ない。

出典:「BCG-Google Digital Payments 2020」
プリペイド型(モバイルウォレット)の取引数はモバイルバンキングの2倍。伸び率も高い。モバイルバンキングは取引額で大きく引き離している。モバイルウォレットが銀行口座なしの低所得層に浸透している様子が想定できる。

出典:「BCG-Google Digital Payments 2020」
2014年会計年度、2015年会計年度の決済額別ではATM、現金のトランザクションが7割程度を占めるが、デジタルチャンネルの成長は50〜52%とほかを圧倒。2016、2017年はより急激な成長を示していると考えられる。

出典:「BCG-Google Digital Payments 2020」
レポートは以下のデジタル決済をめぐる傾向を指摘している。
・決済は消費をドライブする:決済は顧客のトランザクションデータへのアクセスを提供し、決済サービス提供者が関連する取引、提案、クーポンを消費者に提供することを可能にする。消費者の意思決定に影響を与える
・消費者は少数のユビキタスな決済ソリューションを求めている。ニッチなソリューションは他社への統合を迫られる
・統合決済インターフェイス(UPI)はゲームチェンジャーになりうる:UPIは提供者間のシームレスな互換性を提供し、デジタル決済のスケールをドライブする
・パートナーが極めて重要。顧客獲得コストを下げるための提携は必要不可欠
・決済の向こう側を視野に入れる―決済事業者は金融サービス全般や消費ベース製品の提供により顧客関係を拡大できる
5. ライドシェア2社が決済争うインドネシア
東南アジアのGDPの6割程度を占めるインドネシアでは、「ライドシェア+デジタル決済」モデルの競争が起きている。GO-JEK(ゴジェック)はバイクタクシーのライドシェア。地場タクシー首位のブルーバードと提携し、アプリでタクシーを呼べるサービスにも参入するほか、フードデリバリー、マッサージ師派遣などさまざまな業態に挑戦していた。
GO-JEKは昨年8月の段階で5.5億ドル(約600億円)を調達し評価額が13億ドル(約1430億円)に達したが、そのキャッシュを使い、ブルーオーシャンのデジタル決済に「Go-Pay」で進出した。

「キャッシュレス取引がいま本当に安い」。送金、出金、取引履歴の確認、17銀行とバイクタクシードライバーからの入金、ディスカウント、無料のデリバリーなどを紹介するGo-Pay Via Twitter @gojekindonesia
Go-Payはバイクタクシー運転手にお金を渡したり、銀行口座から入金するとモバイルウォレットにお金が入るというプリペイドの仕組み(Paytmと同じ)。Go-Jekが銀行業の認可をとると、モバイルでバンキングサービス提供を目指すPaytmと同じシナリオに突入する。Go-Jekは外資2社の競争相手に対し、地場である強みを活かしパートナーを広げ、支払額をディスカウントするキャンペーンを行っている。
Go-Jekのライバルは、ソフトバンクが数百億円の投資をし、プレジデントにはソフトバンク出身のミン・マー氏が就任したマレーシアのグラブ(Grab)だ。Grabはマレーシア、フィリピンなどでは極めて優位に常業展開を進めている。インドネシアではライドシェア、デジタル決済ともにGo-Jekを追いかけている。他国で先行していたGrabPayのインドネシア展開を強化するため、4月初旬に銀行口座をもたない消費者向けオンライン決済スタートアップ、KudoPayを買収した。

2015年末にローンチされた「GrabPay(グラブペイ)」 via Grab
両者以外に主だったモバイルウォレット事業者はいないため、政府サイドが規制をかけなければ、ライドシェアがデジタル決済を握ることになりそうだ。同様にインドでもソフトバンクの出資を受けるライドシェアOla(オラ)も同様のプリペイド型「Ola money(オラマネー)」を導入したが、Paytmなどの先行勢には届きそうにはない。
「DailySocial Indonesia Tech Startup Report 2016」によると、インドネシアのデジタル決済をめぐる状況は以下の通りだ。
・2016年、成人の36%しか公式の金融機関に口座をもたない
・2年間でフィンテックプレイヤーの成長が78%。過去最高の伸び
・フィンテックプレイヤー140社のうち43%が決済関連事業を行う
6. 「銀行なし層」こそ機会
「アンバンクト(銀行なし)」こそ機会だ。加えて、偽札やセキュリティなど現金取引のデメリットがある場合、人々はデジタル決済を採用しやすい。現地で人々が耐久消費財として最初に手にしたがるのが、冷蔵庫やオートバイではなく、中国製の100ドル程度のスマートフォンだ。そのモバイルから金融体験がはじまる。

インド最大都市ムンバイ。中国製スマホ売り場、100ドル近辺からの価格設定(吉田拓史撮影、2015年4月)
2015年10月時点のマッキンゼーによる「Payments in Asia: At the vanguard of digital innovation」によると、インド、東南アジアには広範な「アンバンクト」が認められる。インドは少し疑問が残るが47%のアンバンクトがいる。東南アジアの人口ボリュームゾーンであるインドネシア、ベトナム、フィリピンでは60%台だ。

Via McKinsey & Company “Payments in Asia At the vanguard of digital innovation 2015”
7. デジタル決済の利点と何が起きるか。
富裕国の一般的なクレカ決済のトランザクションは、金融機関2、3社(イシュア、アクアイワラ、セトルメントバンク)、ブランド(VISA)などが関与する。この数社が数%の加盟店手数料を分け合う格好だ(日本ではイシュア、アクアイワラなどがカード会社という形でひとつになっている)。

クレカのトランザクションの図 Via SEC Form 10-K : MasterCard
これを独占的なモバイル決済プレットフォームが行うと、銀行間決済の必要性がなくなる。ステークホルダーが減り、手数料が落ち、レガシーインフラを通らないためトランザクションもスピーディになる。これがアジアで起きていることだ。
アジアの新興国の人々はより利便性が高く、安い決済を手に入れようとしている。安い決済は商取引の総量をドライブしうる。クリティカルマスに達した事業者がトランザクションデータを蓄積すれば、大きな活用可能性がある。デジタル決済はさまざまな産業と結びつき、フロントエンドで消費者行動を変えうるので、影響されない業種はないといってもいいかもしれない。
最後に日本の状況に触れてみると、課題はいわゆる「経済圏」だ。この「断片化」がデジタル決済のスケーリングを阻んでいる。経済圏は事業者視点では合理的に映るかもしれない。主要経済メディアはもてはやす傾向がある。
しかし、ユーザー視点で考えると、購買チャネルごとにさまざまなプラットフォームを使い分けなくてはいけないため悪夢だ。導入する小売業者も一社導入で済ませたいのに、たくさんのパートナーシップを結ばないといけない。データやユーザーベースのスケールも阻まれており、日本のデジタルエコノミーの発展が大きく阻害されていると言っていい。
もうひとつが、強固な現金主義だ。日本の決済の8割が依然として現金で行われており、極めてオールドエコノミーの部類に入る状況だ。アジアで起きているデジタル決済革命の未来は明るそうだ。どうやら日本は乗り遅れている。
規制が既存事業者に優位に働いている面も大きい。
日本ではビックカメラで、bitFlyerによるビットコイン決済が開始された。ビットコインもスケーラビリティをめぐる開発者とマイナーの対立が解決すれば、決済手段としての実用可能性が拡大しはじめるはずだ。
Written by 吉田拓史
Photo by GettyImage