昨年4月、UID 2.0に関連して、ある重要な試みがおこなわれると発表された。GoogleのサードパーティCookie廃止を翌年に控え、その激変に備える意図があるという。この動きは当初、業界の共闘という本来ならありえない物語に新章を開くかに思われた。しかし、現実はそれほど単純ではなさそうだ。
昨年4月、アドテク業界でもっとも野心的な取り組みのひとつといわれるUID 2.0に関連して、ある重要な試みがおこなわれると発表された。GoogleのサードパーティCookie廃止を翌年に控え、その激変に備える意図があるという。この動きは当初、業界の共闘という本来ならありえない物語に新章を開くかに思われた。
しかし、メディアでさまざまに報道される通り、現実はそれほど単純ではなさそうだ。
この発表にある重要な取り組みとは、クリテオ(Criteo)がザ・トレード・デスク(The Trade Desk)と共同でおこなうオープンパス(OpenPass)の試験運用だ。オープンパスは電子メールアドレスを採取するためのシングルサインオン(SSO)技術で、サードパーティCookieに代わるUID 2.0(Unified ID 2.0)の運用には絶対不可欠の技術である。
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アドテク業界の大手2社が手を組んだ背景には、広告技術の標準化に取り組む業界団体プレビッドオーグ(Prebid.org)の関与がある。実はこれより数カ月前、UID 2.0の生みの親であるザ・トレード・デスクは、その運営の手綱をプレビッドオーグに委ねていた。
UID 2.0の運営がプレビッドオーグに託されたのは、この技術が公平な立場で運営されることを、業界全体に納得させるためでもあった。しかし、プレビッドオーグの舵取りで、物語はあらぬ方向に急転している。ここへ来て、欧州での試験運用が失速し、オープンパスの雲行きが怪しくなっている。失速の原因はいくつかある。まず、米国のパブリッシャーたちが読者の電子メールアドレスを第三者と共有することに難色を示した。さらに、欧州での試験運用を担当する当のクリテオが、オープンパスとは別に、電子メールアドレス不要の別のサインオン技術であるプレビッドSSOを支持するといいだしたのだ。
同じ時期、競合するソリューションや戦略が台頭し、UID 2.0が先行者として稼いだ長大なリードをじりじりと詰めてきた。複数の情報筋が米DIGIDAYに語ったところによると、UID 2.0はオープンインターネットにおける広告ターゲティングツールのデファクトをめざしたが、競合する技術標準の出現により、目標の達成は大きく遠のいたという。
GoogleによるサードパーティCookie廃止の期限が1年半を切ったいま、プレビッドオーグはどのように、そしてどの方向に舵を切るべきか、決断を迫られている。しかも、そのプレビッドオーグは現在、首脳部交代のただなかにある。
同業者の支持
ザ・トレード・デスクは2020年7月にUID 2.0を公開した。普及の鍵は、同業他社の説得だった。同社は当初から、UID 2.0を自社の商業的優位のためでなく、業界全体で広く活用できるものとしてアピールしてきた。
その結果、UID 2.0は、オムニコムメディアグループ(Omnicom Media Group)、ピュブリシスグループ(Publicis Groupe)、IPGをはじめ、業界大手の大多数から支持を取りつけることに成功した。特にIPGは、2021年7月にUID 2.0の「クローズドオペレーター」に指定されている。
多くの同業者が支持した背景には、プレビッドオーグの関与がある。プレビッドオーグがUID 2.0の「オペレーター」を務める一方で、ザ・トレード・デスクはUID 2.0がライブランプ(LiveRamp)のIDLやプレビッドオーグのSharedID(共有ID)などの代替識別子と相互運用可能であることを強調している。
プレビッドオーグがUID 2.0のオペレーターを引き受けたことは、ザ・トレード・デスクとクリテオが手を組むさきぶれともなった。2021年4月にオープンパスの試験運用が開始された当初、クリテオの広報担当者は米DIGIDAYの取材に対し、「数カ月後には」オープンパスを正式に公開すると述べていた。
一部には不協和音も
UID 2.0に熱意を向けるものたちがいる一方で、ある極めて重要なステークホルダーの一団がほとんど無言のままだった。UID 2.0を使う側のパブリッシャーたちだ。ユーザーと直接関係を持つパブリッシャーたちの賛同は、UID 2.0の成功に不可欠である。試験運用が進むなか、誰もが知る有名なパブリッシャーのいくつかは、いまだに態度を決めかねているようだ。
UID 2.0を支持するパブリッシャーの陣営には、BuzzFeed、ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)、ニューズウィーク(Newsweek)、ワシントン・ポスト(The Washington Post)らが名を連ねる。その一方で、ガーディアン(The Guardian)やニュースコープ(News Corp)らは様子見の態度を隠さない。
現在、どのくらいのパブリッシャーがUID 2.0を試験運用しているかは不明だ。
「パブリッシャーにとって、UID 2.0を支持するか否かは哲学的ジレンマだ」。そう語るのは、プレビッドオーグの理事であり、ニュースコープのデータ、アイデンティティ、アドテクプラットフォーム担当バイスプレジデントを務めるステファニー・レイザー氏だ。「我々パブリッシャーは、新しいインターネットにどのような姿を望むのか。これはそういう問題だ」と同氏は話す。「従来よりも文脈的に適切な広告体験を望むのか。オープンなインターネットを推進するという大義のために、パブリッシャーにとってもっとも価値の高い資産を差し出す覚悟があるのか。我々はそういうことを問われているのだと思う」。
ニュースコープの広報担当者は、同社のスタンスについて、さらに詳細に説明している。「ニュースコープは現在、このソリューションの評価をおこなっている。ドメインごとに市場での価値提案が異なるため、それぞれ異なる決断をくだすことになるだろう」。
対照的に、ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)は、2021年4月に「いま現在、UID 2.0は我々にとって優先事項ではない」と米DIGIDAYに語っている。「つまるところ、個人のオンライン行動に関する多くのデータを、本人が理解できない方法でやりとりするようなソリューションを、我々は好意的に見ることはできない」。当時、ニューヨーク・タイムズでプロダクト担当シニアバイスプレジデント(SVP)を務めていたアリソン・マーフィ氏はそう述べている。
決まらぬ管理者
さらに、UID 2.0のような製品を管理することと所有することのあいだには決定的な違いがある。この違いがもっとも顕著に現れるのが欧州経済地域(EEA)だ。EEAでは消費者データの取り扱いに関与するすべての当事者がGDPR(一般データ保護規則)を遵守しなければならない。欧州のプライバシー規制では、どの企業も、自らをデータコントローラー(管理者)もしくはデータプロセッサー(処理者)のいずれかに分類することが求められる。
基本的に、GDPRのもとでは、個人の電子メールアドレスは、暗号化されているか否かにかかわらず、個人を識別できる情報と見なされる。こうなると、多くの当事者は、法的な問題に際して誰が責任を負うべきなのかを判断しかねる。いまのところ、この問題に対する現実的な解決のめどは立っていない。欧州での試験運用は頓挫したままである。
業界の不協和音は、ザ・トレード・デスクによるUID 2.0の管理者(アドミニストレーター)探しにも支障を来した。管理者は、UID 2.0の暗号化コードにアクセスするすべての当事者を監視して、GDPRのような法律に従わせる役割を担うため、第三者機関が務めなければ意味がない。
プレビッドオーグの臨時議長を務めるマグナイト(Magnite)のガレット・マクグラス氏は、米DIGIDAYにこう語っている。「管理者の役割はプレビッドオーグとIABテックラボ(The IAB Tech Lab)の両者に提示されたが、どちらの組織も『アドテクの警察官』は自分たちが果たすべき役割ではないし、自分たちは技術標準の促進者であって、制裁の権限を持つものではないと考えている」。
「管理者が決定すれば、UID 2.0は本格的に運用を開始し、これまでの保留状態は解消されるだろう」とマクグラス氏は述べている。
分裂するシングルサインオン技術
しかし、ザ・トレード・デスクとプレビッドオーグの会員が意見の相違に直面しているのは、誰が「アドテクの警察官」を務めるべきかという問題だけではない。
オープンパスの開発に全力で取り組むという当初の計画に変更はないと、ザ・トレード・デスクは主張する。オープンパスの運用では、本人確認のために、電子メールアドレスへのアクセスと、その後の暗号化に同意するよう求められる。ザ・トレード・デスクはこの運用をプレビッドオーグと連携しておこなうとしている。
しかしプレビッドオーグの会員企業のなかには、ザ・トレード・デスクが提唱するSSOを採用すれば、各社のプラットフォームに対するザ・トレード・デスクの裁量が大きくなりすぎると危惧する声があがった。そこで、プレビッドオーグはオープンパスに代わる技術を開発することにした。
メディアヴァイン(Mediavine)のセールスおよびレベニュー担当SVPで、プレビッドオーグの理事を務めるフィル・ボーン氏はこう話す。「オープンパスとプレビッド提案のSSOは別個の独立したプロジェクトに分かれた。多くのパブリッシャーが、ウェブサイトの訪問者に電子メールアドレスを求めることは、ユーザーエクスペリエンスの邪魔になりかねないと感じたことが背景にある」。
ボーン氏によると、「普及率をできるかぎり上げるため、プレビッドオーグはセミ認証とフル認証のIDソリューションを開発している」という。「どちらもユーザーにとっては透明すぎるほど透明なソリューションとなるだろうが、セミ認証の導入により、ユーザーのプライバシー設定を複数のサイトやアプリを横断して尊重しつつ、より一貫性のあるユーザーエクスペリエンスを提供できるようになるだろう」。
プレビッドオーグの広報担当者はコメントを控えたが、開発の進捗状況を知る内部の関係者によると、超えなければならない溝は小さなものではなさそうだ。
プレビッドオーグの広報規程により匿名で取材に応じたこの関係者は、「SSOという呼称が混乱のもとだ」と指摘する。「我々が開発しているのは正確に言えばSSOではない。むしろ、相互運用可能でアドレサブルな、かつ責任の所在を明確にする仕組みを備えた識別子を生成しようという話だ」。
クリテオの広報担当者は、両陣営に配慮を見せつつ、こう説明する。「クリテオは今後も、プレビッドオーグが提案する、電子メールアドレスによる認証を必要としないオープンソースのSSO開発を支持する。そしてオープンパスを含め、他社のソリューションとの相互運用性を確保することにより、当初の目標を達成したい」。
オープンインターネットを構成するものたちは、アドテク企業であれパブリッシャーであれ、巨大テクノロジー企業による広告予算の支配を打破したいと望んでおり、この点では利害が一致する。その反面、プライバシー重視が進む世界において、これをどう実現するかに関しては、誰もが根本的に異なる考えを持っている。さじ加減の難しい共闘関係の維持に、プレビッドオーグ内での議論はきわめて重要な役割を演じることになるだろう。
RONAN SHIELDS(翻訳:英じゅんこ、編集:長田真)