石井龍夫 の 日本マーケティング私史 #6 〜未来編〜:生活者がメディアになる時代

本記事は、元・花王デジタルマーケティングセンター長で、現在はC Channel 常勤監査役、Adobe エグゼクティブフェロー、株式会社イーライフ エグゼクティブアドバイザーを務める石井龍夫氏によるシリーズ寄稿です。

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前回の寄稿で私は、インターネットが「情報の民主化」を果たしたいま、マーケティングはパーソナライズに回帰すべきだと論じた。最終回となる本稿では、これからのメディアとマーケティングの関係はどのように変化して行くか、考えてみたい。

見たいときに、見たいものを

まず、近年の生活者のテレビメディアへの接触態度を見ていこう。以前、私の知人の娘が地上波の生放送のテレビ番組を見ているときに言ったそうだ。「パパ、なんで今日はコマーシャル飛ばさないの?」ハードディスクレコーダーで録画した番組を見ることが当たり前になっている世代である知人の娘にとっては、生放送の番組に挿入されるコマーシャルが飛ばせないのが不思議で、もどかしかったようだ。

また、私にはふたりの娘がいるが、彼女らのテレビ番組の見方も興味深い。夕食時、自分たちが以前から見たいと話していた番組のオンエア時間になったにも関わらず、先日録画しておいた番組を見ていて、チャンネルを変える様子がまったくない。あんなに見たいといっていた番組を、なぜ見ないのか聞くと、すでにハードディスクレコーダーに録画予約済みなので、いま見なくても良いのだという。食事のときに見る番組と、くつろいでいるとき、あるいは姉妹で一緒に見たい番組は違うのだそうだ。

要するに、彼女らにとってテレビの番組表は、見たい番組を選ぶためのものであって、その時間にテレビの前に座って番組を見るためのものではないのだ。自分の見たい時間に、見たいコンテンツを見ることが出来るのに、なぜ、放送時間に縛られなくてはならないのだという感覚である。

では、彼女らが録画視聴専門で、生放送を見ないのかというとそうではない。LINE LIVE(ライン・ライブ)も、ニコニコ生放送(通称・ニコ生)もよく見ている。つまり、ライブで見る価値があると認めたコンテンツは録画せず(あるいは再度見るために録画しながら)見るのだ。それが、今日の生活者のコンテンツ消費のあり方で、逆にいうと、急がしい現代の若者たちが、ライブで見る価値があると認めるテレビ番組が少なくなっていることこそ、問題であるといえよう。この問題が解決されなければ、今後、テレビ番組のコンテンツは、録りためたものをそのときの気分や、シチュエーションに合わせて消費されるものへと、変化していくだろう。

デジタルメディアの興盛

一方、ケーブルテレビや衛星放送は、サブスクリプションモデルをはやくから導入することで、チャンネルごとに専門性や独自性の高いコンテンツを用意し、好みの専門チャンネルを選択した顧客に、最適なコンテンツを提供するモデルを創ってきた。しかし前述のように、コンテンツを録画しておいて、シチュエーションや気分に合わせて選択して見るといったコンテンツの消費傾向が増加するとなると、専門チャンネルというサブスクリプションモデルは成立するのだろうか。広告モデルに回帰し、総合チャンネルとして生き残るか、通信事業者との提携をするかの選択を迫られるのではないだろうか。

実際、Netflix(ネットフリックス)やAmazon プライム・ビデオ(Prime Video)、Hulu plus(フールー・プラス)などのデジタルメディアが独自コンテンツを制作できるまでに成長し、これまでの視聴やECでの商品購買データに基づく、パーソナライズされたコンテンツ提供をするようになったことで、2015年には、米国でケーブルテレビを解約する「ケーブルカッター」が増加したことは記憶に新しい。さらには、コンテンツ消費の新たなシチュエーションとして、モバイルが生活者の隙間時間を獲得するに至って、これまでのビジネスモデルの崩壊が加速されていくのではないだろうか。

ここでもう一度強調したい。ラジオやテレビが生まれたとき、ほかのマスメディアに対しての強力な優位性は、リアルタイム性であったはずだ。いま起きていることを多くの人々にリアルタイム性を持って伝え、共有させる。それが電波メディアの強みであり、存在理由だったのではないだろうか。それを生放送から録画番組中心にシフトしてきたことこそが、デジタルメディアへ主権を明け渡しつつあることの要因のひとつなのではないか。

パーソナライズ化するメディア

では、このようなコンテンツ消費の変化に、総合チャンネルの代表である、地上波テレビメディアはどのように対応していくのだろうか。すでに、番組視聴率が世帯から個人視聴率へ変化しつつあるが、これは結果として番組コンテンツの多様化を生むことになると考える。

デジタルメディア、そしてモバイルの浸透は、コンテンツを家族そろって見るものから、一人ひとりが自分の興味関心に合わせて、それぞれの好みのシチュエーションで消費するものへと変換した。しかし一方、コンテンツ制作の圧倒的な知見とスキルが、テレビ局や制作会社にあることもまた事実であり、制作コストを提供するスポンサーさえいれば、番組コンテンツの多様化を実現することも可能になる。

つまりここにおいて、米国で先行しているプログラマティックTV広告の考え方が有効になってくる。プログラマティックTV広告とは、デジタルTV広告枠の取引を自動化する方法であり、従来の視聴率にもとづくアプローチから、オーディエンスデータにもとづくパーソナライズされた適切な広告を視聴者に配信する、データドリブン型のアプローチだといえる。

パーソナライズされた番組コンテンツが主流になれば、自ずと広告も適切にパーソナライズされたものを届けることが可能になる。広告主が届けたい広告と、生活者の見たい番組コンテンツのギャップが小さくなれば、広告が飛ばされることもなくなり、広告効果は高まり、広告主の広告出稿意欲も増加するだろう。要するに、メディアとコンテンツの未来も、マーケティングと同様にパーソナライズの実現に向かって行くことが必然ということだ。

表現し、評価される「場」も必要

ところで、コンテンツに向き合う生活者自身の変化はどうなのだろう。これまでのような画一的なコンテンツから、自分に合ったパーソナライズされたコンテンツが提供される。それが、自分にとって都合の良いタイミングで消費できる。それだけで満足するだろうか。

ここで、なぜ、ソーシャルメディアがここまで普及したのか、改めて考えてみたい。いまさらマズローの欲求5段階説を持ち出すのはどうかとは思うのだが、誰もが知っている考え方で説明する方がわかりやすいだろう。マズローの欲求5段階説とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した理論であり、人間の欲求を5つの階層で段階的に表したものだ。自己実現理論とも呼ばれ、マズローはこの理論で「人間は自己実現に向かって段階的に成長する」と仮定した。

段階的成長をピラミッドに置き換えると、欲求は下層から順に以下のように積み上げられる。

5.自己実現の欲求 -才能や技能を発揮したい
4.承認の欲求   -認められ、尊重されたい
3.社会的欲求   -周りから受け入れられたい
2.安全の欲求   -健康や生活水準を維持したい
1.生理的欲求   -食欲や睡眠欲など本能的欲求

どうだろう、こうやって見ると、ソーシャルメディアが提供した価値は、3.4.5を手助けすることだったといえないだろうか。

ソーシャルメディアでつながり、投稿に「いいね」をもらい、さらに「いいね」をもらうために写真や作品を投稿する。まさに、小さいながらも自己実現ではないだろうか。ソーシャルメディアが普及浸透するまでは、一般庶民にとっては自分の作品を発表したり、他人から作品の評価をもらうことはかなわない事だった。たとえ自費出版をしても、それが多くの人の目に触れることは、まれなことだったのだ。しかし、ソーシャルメディアが、すべての生活者に表現し、評価される「場」を提供した。

近年では、facebookが伸び悩んでいるとか、ユーザーがインスタグラム(Instagram)に流れただとか、若年層はTiktok(ティック・トック)にはまっているなどといい、流行りすたりが注目されがちだ。しかしそれは、単に新しいテクノロジーとサービスが続々生まれるなかで、ユーザーがもっとも自己実現できる「場」を渡り歩いているのに過ぎず、根源的欲求を叶えるためのソーシャルメディアというプラットフォームは、常にそこに存在しているのだ。

生活者がメディアに

では、この潮流の向かう先はどこだろう。私は、生活者自身がメディア化する方向だと考える。

2000年代初期にブロガーが生まれ、UGC(User Generated Content)という言葉が生まれた後、KOL(Key Opinion Leader)、ユーチューバー、インスタグラマー、Vチューバー(バーチャルYouTuber)、クリッパーなどの一般人でありながらコンテンツを創り出し、世の中に影響を与える人々が次々と育ってきた。コンテンツも初期のテキストから、静止画、音声付き動画、そしてVR、ARとよりリッチなものになってきている。ソーシャルメディアという「場」の提供とデジタルテクノロジーという「ツール」の発達が彼らの「表現したい意思」の強力な後押しをしたといえよう。

そして、また、「インフルエンサー」という言葉が示すように、彼らの声が、商品やサービスの購入検討や販売に影響を与えてきたことは、誰もが実感することだ。とはいえ、これまでのソーシャルメディア上の「表現者」は、ブロガー時代であれば文章力や編集力が必要であり、ユーチューバーやインスタグラマーの時代になると、ビデオ編集や画像加工のスキルが必須であり、アイデアがあっても、誰もが「表現者」になれるという訳ではなかった。でも本当は、誰もが「表現者」になりたいのではないだろうか。だからこそ、次から次へと、新しいソーシャルメディアのサービスが生まれ、多くのユーザーが利用するのではないだろうか。

表現の主体はプロから生活者へ

ビデオ編集や画像加工のプロのツールとしては、米国のソフトウエア会社のAdobe(アドビ)が有名だが、2018年10月、ロサンゼルスで開催されたAdobe MAX 2018の基調講演に登壇したAdobe社長兼CEOのシャンタヌ・ナラヤン氏は、「クリエイターを目指す学生から、社会を変えようとする団体に至るまですべての人が共通のストーリーを持っている。そして、誰でもストーリーを伝えることができ、クリエイティビティを発揮させることの出来るツールを提供するのがAdobeのミッションだ」と語った。

さらに、「Adobeは、誰もが動画やアニメーションも作れ、さまざまな分野で共有できるように、制作をもっと直感的にする。AIなどのテクノロジーを活用して、これまで以上に直感的な操作でツールが扱えて、自分のストーリーにフォーカスできるようにする」と、これまで顧客であったプロでなくとも、簡単にクリエイティブを発揮することの出来る、シンプルなツールを一般ユーザーに向けて、iPadなどのプラットフォームで提供することを発表した。

これは、ソーシャルメディアの時代における表現の主役が、これまでの「プロ」から生活者自身に移り変わっていくことを見据えた発言だと私は考えている。生活者が、自分の「想い」や、伝えるべき価値のある「ストーリー」と、独自の「アイデア」を持つならば、それを伝え、共有することが簡単に誰でも出来る時代がすぐそばにやってきている。

これはつまり「テクノロジーの民主化」であり、生活者自身がメディア化する時代がやってくるということなのだ。

これまでひたすら、視聴者という名の大型船を引っ張ってきた「テレビ」という古いエンジンを持つタグボートと、大きな波を経験したことのない「広告主」という乗組員が、この未曾有の大波に飲み込まれず、渡りきる事ができるのだろうか。メディア業界のタグボートであるテレビが、デジタルという新しいエンジンに積み替えて、メディア化した生活者を新たな乗組員に迎えることで、メディアとマーケティングの変革を実現し、生活者とともに新しい価値を創造することこそが、この大波を乗り切ることに繋がると私は信じている。

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私の寄稿は今回が最終回となりますが、半年の長期にわたって購読頂いた読者の方々に改めて感謝致します。本当に有り難うございました。ーー石井龍夫

【石井龍夫 の 日本マーケティング私史】
#1 〜過去編〜:究極の ONE to ONE の時代
#2 〜テレビ全盛期〜:マスメディアがもたらした「均一性」の時代
#3 〜ネット黎明期〜:企業が「自社メディア」を持つ時代
#4 〜SNS氾濫期〜:マイノリティがメジャーになる時代
#5 〜AI 発展期〜:パーソナライズへ回帰する時代
#6 〜未来編〜:生活者がメディアになる時代

Written by 石井龍夫