検索エンジン、そしてCGM、さらにソーシャルメディアの出現により、生活者はメディアから情報を受け取るだけの立場から、自らが情報を作りだし、能動的に伝える立場になった。ーー石井龍夫氏による寄稿コラム。
本記事は、元・花王デジタルマーケティングセンター長で、現在はC Channel 常勤監査役、Adobe エグゼクティブフェロー、株式会社イーライフ エグゼクティブアドバイザーを務める石井龍夫氏によるシリーズ寄稿です。
インターネットの普及と生活への浸透は、企業の自社メディアを持ちたいという願望の一部を叶えるものであったが、それ以上の変化と価値、そして、少なからずのリスクを企業にもたらすことになる。それは、生活者の変化であり、メディアと視聴者、企業と顧客の関係の変化であった。その変化を作り出したもののひとつが第3回の寄稿で触れた「検索エンジン」であることはいうまでもない。
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検索エンジンの衝撃
さらにその前、第2回目の寄稿で私は、マスマーケティングが成立する要件として、伝える側と受け取る側の所有する情報量の格差があると述べた。インターネットの誕生は、特定の個人や機関が所有する膨大な情報や知識を(公開を前提とするが)どこからでも閲覧可能にし、検索エンジンの普及がその膨大な情報や知識を誰でもが利用できるようにした。つまり、ここにおいて、情報量の格差は、情報を集めるために投下した資本の量に依存するものではなく、情報を集めたいという熱意の差になったということができる。
検索の普及以前、企業は、製品開発やサービス開発の名のもとに多額の調査費用を投入して情報を集め、生活者の課題を発見し、その製品やサービスが提供する新しい価値やライフスタイルを広告として伝達し、生活者の「買いたい気持ち」を創りだしてきたのだが、この仕組みにほころびが出はじめたのだ。
検索エンジンの使いこなしさえ覚えれば、家に居ながらにしてさまざまなサイトから、自分の興味の有り様にあわせて情報を集めることのできる現代は、小売店頭の販売員にとっては、とてもやりにくい時代だといえよう。商品を購入に訪れるお客様の方が、商品のスペックや近隣の店舗の価格状況、はたまた、業界や海外の類似商品の情報に詳しいなどということが、実際に起こり得るからである。またそれは、メーカー企業にとっても同様で、新製品の広告がトリガーになるのは、購買行動だけではなく、検索行動かもしれない。そして、検索の結果、購買検討する生活者にとって、その新製品が企業の思うほど魅力的ではないことを知ることになる場合も有るだろう。
SNSの黎明期
もうひとつは、CGM(Consumer Generated Media:消費者生成メディア)の出現である。現在では、2004年にサービスを開始したソーシャルメディアサービスのFacebookや、2005年にはじまったYouTubeと2006年のTwitterがCGMの代名詞だが、2000年代の初期の主役はまだブログであり、UGC(User Generated Content:ユーザー生成コンテンツ)という言葉が使われていた。私がはじめて訪れた2006年のアドテック(ad:tech)サンフランシスコでは、ついに生活者がコンテンツを作り出す時代がやってきたということが熱く語られていたことが懐かしく思い出される。
いまや、インターネットの利用目的の過半数(トラフィックの大部分)はソーシャルメディアの投稿や閲覧、あるいはソーシャルゲームで消費されているといっても良いのではと思うほどに普及しているソーシャルメディアだが、その基本的な概念は生活者自身が作り出すコンテンツに価値を認めた者同士が、能動的につながりを求めたことからはじまっている。
つまり、ソーシャルメディアという仕組みがつながりを作り出したのではなく、共有したくなるコンテンツがあるからつながりを求めるのであり、それを行い易くし、つながるべき相手を見つけ易くしたのがソーシャルメディアサービスだと私は考える。要するにソーシャルメディアの出現の必然性は、生活者一人ひとりが他者に伝えるべきコンテンツを持っているにも関わらず、伝える手段を持ち得なかったことにあり、伝えることができたとしても、潜在的に関心を持つ相手との接点を作ることが、これまで叶わなかったことにあるのではないだろうか。
メディアの「民主化」
インターネットそのものは情報を作り出すものではないが、それまで隔離されていたり、人知れず保管されていた情報を不特定多数が利用できるようにすることで、インターネットを利用する生活者の知識欲や表現欲を活性化させ、そこに新たな情報を作り出した。
そしてまた、自分の考えをより多くの人に知ってもらいたい、知ってもらったら評価されたい、同好の士がいれば繋がりたいという気持ちを起こさせるきっかけを作りだしたのもインターネットであったことは明らかだろう。
ここにおいて、生活者はメディアから情報を受け取るだけの立場から、自らが情報を作りだし、能動的に伝える立場になった。また、そればかりでなく、相互に繋がるようにさえなったのだ。これをもって私は、これまで与えられるばかりであったメディアの「民主化」の第一歩がここに標されたたといわせていただきたい。
「顧客の声」の活用
ところで、花王がCGMの可能性に着目したのは、2005年「めぐりズム 蒸気の温熱シート」を発売した時のことであった。当時、まったく新しいカテゴリーへの進出であり、腰痛や冷えの慢性的な悩みを持ったお客様に限定的に試供品をお渡しし、使っていただきたいという理由から、インターネットでの現品サンプリングを重点的に行った。
その結果、予想外のことではあったが、多くのサンプル利用者が個人のブログで、めぐりズムの使用感やパッケージ写真を公開してくださるという行動をとってくださったのだ。そこで、私たちは、それらのブログを目視で確認してテキストや掲載写真を収集し、どのような文脈で商品のことを語っていただいているのかを分類し、利用者目線での商品価値を知ることができた。そして、このような取り組みで得た知見は、めぐりズムの広告表現の改善だけでなく、「めぐりズム蒸気でホットアイマスク」のヒットに繋がっていったのである。
この活動がその後、各社が取り組むことになるソーシャルリスニングの走りであることはいうまでもない。
マイノリティの塊へ
またその後、ソーシャルメディアの普及は、インターネットの情報と生活者の関係を大きく変えていくことになる。それはつまり、ソーシャルメディアのメディアとしての立ち位置と生活者の検索行動の変化である。
初期のCGMは、ブログを代表とする、個人の意見表明の場であり、備忘録的な立ち位置を色濃く持っていた。しかし、それらが、ブロガーと購読者という関係を作り出し、さらには、相互リンクやトラックバックが行われるようになり、より、緊密な関係を作りだしていくことになる。そして、この関係性部分をより強化したのが2004年にサービスを開始したmixi(ミクシィ)であり、実名での加入を義務づけたFacebookである。
それまでのインターネットを海に例えるとそれは太平洋であり、どこまでも続く大海であった。インターネット利用者は、検索エンジンを唯一の羅針盤としてその海を航海して行くのだが、当然、太平洋にはサメもいれば、海賊もいる。そこに掲載されている情報の真偽は、決して保証されたものではないし、意図的に誤った情報を掲載する輩もいる。それならば、自己防衛として、ソーシャルメディアの利用者が、自分がつながりを持つ範囲内でのみで検索をすれば信頼に足る情報を得ることができると考えるようになるのは当然のことだろう。
結果として、インターネットは、複数のマイノリティの塊と化していったのである。誤解を恐れずにいえば、これまで企業にとって、マイノリティとは無視しても問題のないものを意味する言葉であった。マスマーケティング、マスコミュニケーションを活用する立場からすれば、重要なのはマス広告が創り出す「大衆」であり、同じものを欲しがる顧客たちであった。効率的な企業活動を行うためには、顧客はなるべく同質であることが重要であったのだ。
マイノリティがメジャーに
しかし、検索によってさまざまな情報が瞬時に入手でできる時代になり、一方で情報の取捨選択を自分の親しく対話をしている友人たちの勧めというフィルターを活用するようになったソーシャルメディアの住人は、マイノリティ同士で空間を超えて繋がり合うことで、決して無視できない規模の市場を創り出している。さらに近年の傾向として、テレビなどのマスメディアが、エンタテインメント情報の収集場所としてYouTubeなどのソーシャルメディアをパトロールする例も増えていることも、このような変化に拍車をかけている。あえていえば、ソーシャルメディアによって、マイノリティがメジャーになる時代が到来したといえよう。
実際に、欧米でも日本でも、近年、中小の特色有る企業が一定のシェアを獲得する例が目立ってきている。たとえば、ポートランドのニューシーズンズ・マーケット(New Seasons Market)のような「地産地消」を掲げるスーパーマーケットがホールフーズ(Whole Foods)のシェアを切り崩していることも一例として挙げられるし、日本の近年のヘアケア業界でのオーガニックや、ボタニカルシャンプーのシェア拡大も同様の現象だろう。これらの事象の後ろには、ソーシャルメディアによる、マイノリティグループ内での濃密な情報伝搬と共感による情報共有があることはいうまでもない。
次回は、このようなソーシャルメディアの時代を経て、マーケティングとコミュニケーションがどのように変わっていくのか、また変わるべきなのかについて考えたいと思う。
【石井龍夫 の 日本マーケティング私史】
#1 〜過去編〜:究極の ONE to ONE の時代
#2 〜テレビ全盛期〜:マスメディアがもたらした「均一性」の時代
#3 〜ネット黎明期〜:企業が「自社メディア」を持つ時代
#4 〜SNS氾濫期〜:マイノリティがメジャーになる時代
#5 〜AI 発展期〜:パーソナライズへ回帰する時代
#6 〜未来編〜:生活者がメディアになる時代
Written by 石井龍夫
Photo by Shutterstock