私は、マスマーケティングが成立するための一つの大きな要素として、「情報格差」があると考えている。それは、伝える側の企業と受け取る側の消費者の所有する情報量の差がマスマーケティングを成立させるという考え方だ。情報は濃度の高い方から薄い方へと自然に流れて行き、結果、均一化を果たす。ーー石井龍夫氏による寄稿コラム。
本記事は、元・花王デジタルマーケティングセンター長で、現在はC Channel 常勤監査役、Adobe エグゼクティブフェロー、株式会社イーライフ エグゼクティブアドバイザーを務める石井龍夫氏による寄稿です。前回の寄稿「石井龍夫 の 日本マーケティング私史 #1 〜過去編〜:究極の ONE to ONE の時代」はこちら。
私は、マスマーケティングが成立するためのひとつの大きな要素として、「情報格差」があると考えている。それは、伝える側の企業と受け取る側の消費者の所有する情報量の差がマスマーケティングを成立させるという考え方である。つまり、情報は濃度の高い方から薄い方へと自然に流れて行き、結果として均一化を果たす。
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この摂理にもとづいて、企業が提供する製品やその価値が、それを欲している消費者に伝わって行くのだ。要するに、マスメディアの存在がマスマーケティングを可能としたのではなく、この情報の均一化というゴールを目指すための媒介役を担ったのがマスメディアということになる。
近代化の波を受けて
ペリーの来航をきっかけとして開国を果たした日本は、文明開化や富国強兵の掛け声のもと、近代化を果たして行くわけだが、その大きな原動力として、豪商から財閥へと成長した商人たちの活躍がある。財をなした商人たちは、その財力と創意工夫によって、新しい商品やサービスを創り出して行った。
また、籠や馬といった制限のある交通手段も、鉄道の開通により大きく改善され、人や物の移動範囲も拡大した。結果として、商人の商圏もこれまでに比べてはるかに広くなり、物や情報の流通範囲と伝達スピードが格段に速くなったことは誰もが知っていることだろう。さらに開国の結果、これまでは一部の大名だけが知り得た先進国の製品やサービスの情報が豪商や財閥にも伝わるようになり、国の政策とあわせて新しい産業が次々と生まれることになった。
これまでの日本の産業といえば、農業と農作物の流通を担う商業が中心であり、第一次産業と第三次産業のあいだの第二次産業の発達が遅れていた感があるが、このような環境の変化を受けて、明治から大正・昭和に向かって製造業が急速に発達し、第二次産業が経済を活性化する決め手となったといえよう。
マスマーケティングの萌芽
私の前職の花王株式会社もそのような時代に生まれた会社であり、創業は1887年(明治20年)である。創業者の長瀬富郎が日本橋馬喰町に「長瀬商店」を創業し、海外から輸入した文房具や石鹸の販売を始めたのが始まりであり、その後、輸入品に負けない高品質な国産石鹸の生産販売に乗り出すことになる。
富郎は、もの作りや販売だけでなく、広告宣伝活動の重要性にも早くから目を向けており、一説には、日本で初めて鉄道沿線に看板を立てて花王石鹸の広告を行ったといわれている。また一方で、海外に向けた英字新聞であるジャパンタイムズ(The Japan Times)にも広告を載せており、日本が作り出した高品質な石鹸を海外にも告知しようという富朗の志を見ることが出来る。
つまり、マーケティング視点でいえば、このあたりから、閉鎖環境であった江戸時代とは異なり、不特定多数に向けたコミュニケーション手段の活用がはじまったといえるのではないだろうか。
あらためて、前回の寄稿を思い出していただきたいのだが、江戸時代には、狭い範囲内での情報の収集や活用が初期のマーケティングを支えていた。それが、明治時代に入って情報の伝達範囲の広がりを受けて、情報を不特定多数に幅広く伝えていくというスタイルが可能になり、大きな変化を迎えることになったのだ。
当然、不特定多数への伝達手段の発生だけでは、コミュニケーションというものが成立しない。そこには伝えるべき情報も受け取りたいと考える生活者も必要になる。では、情報はどうやって創り出され、なぜ受け取りたいと思われるようになったのだろうか。
いかに「情報格差」を作り出すか
その理由として、前述の「情報格差」の発生があったからだと私は考える。この時代、通信手段や移動手段が格段に進化したとはいえ、それは、一部の富裕層や企業にのみ許された特権であり、すべての人が同様に利用出来るものとはいえなかった。特に海外で何が起こっているのか、どのような製品があるのかなどの情報は、一般の生活者には知りうるものではなかっただろう。
こういった状況が解消に向かうのが1953年に開始されたテレビ放送であるが、そこにはまだ、情報を取捨選択し伝える側と単純に受け取る側といった格差が存在していた。
その一方で、急速に発達した第二次産業の担い手となった企業は、その資金力で海外のさまざまな先進的商品やライフスタイルの情報を収集し、製品開発を行うことができた。そして、この情報の量と質の格差がマスメディアを介して、その製品を手に入れることで実現される新しいライフスタイルの魅力を伝えることを可能にし、生活者もこれらの情報を諸手を挙げて受け取ることとなったのだ。
つまり、この時代の情報格差は資金力の差であり、新しい情報はコストと時間をかけた者の手元に集まり、それに基づいて創り出された濃度差がマスマーケティングの大きな武器となっていた。翻っていえば、受け取る立場の生活者は、独自で情報を収集する手段を持たず、新聞やラジオやテレビなどのマスメディアの伝える情報のみを受け取る立場であったともいえる。
ゆえに、この時代の情報格差は企業と消費者間の濃度差であり、消費者間の濃度差はさほどなかったことも特徴のひとつであろう。
「いつかはクラウン」
この時代のマーケティングコミュニケーションのひとつの典型であり代表例であるのが、トヨタ自動車が1983年に行った7代目クラウンの広告コピーである「いつかはクラウン」だろう。
これは、新入社員時代は、給料を頭金に買えるのはカローラだが、将来は部長になってクラウンに乗れるようになろう、という広告であり、経済成長のなかで誰もが同じ暮らしを目指し、同じ商品を買い求めるという時代を象徴したキャンペーンだと考える。
私が花王でマーケティングの職務を担当させていただいた時代もちょうどこのあたりで、1983年から1987年は東北6県のエリアマーケティング担当であり、1988年から2003年までの15年間は、本社のブランドマネジャーとして、さまざまなブランドの製品開発からマーケティング施策の立案と広告制作を行ってきた。
まさに、マスマーケティングが最大の効果を発揮した時代といえると思う。研究所が提案してくる機能的に優れた製品をどのようなパッケージに収めて、どのような広告とともに消費者に届けるかがマーケターのミッションであり、良い商品と良い広告があれば、あとは店頭にきちんと並べさえすれば売れるといい切って良い時代だった。
そして、良い商品と良い広告を作り出すためには、調査が不可欠であり、大量の消費者調査によって精緻な生活者理解を行い、生活者の課題解決につながる商品を作り出す。また、製品コンセプトと広告の受け入れ性調査を繰り返しながら、成功確率を上げられることが出来るのも、資金力に優れた大企業の特権であった。この点においてもやはり、いかに情報格差を作り出すかが、マスマーケティング成功の大きな要素であったといえよう。
均一性の崩壊
1987年に花王が発売したアタックは、マスマーケティングの成功事例のひとつといえるだろう。アタックは、これまでにないコンパクト化と繊維の奥まで入り込む酵素を配合した高い洗浄力をベースに、「わずかスプーン一杯で驚きの白さに」というコピーとともに、大量のテレビ広告を投入、テレビで届かない層には新聞・雑誌・ラジオというように、あらゆるマスメディアを活用してすべての家庭に同一のメッセージを繰り返して届け、結果として「洗濯洗剤」の歴史を変えることが出来た。
このアタックの成功の裏には、日本のほとんどの家庭の洗濯の課題は子供の靴下の泥汚れであるという顧客理解があった。そして、それまでの洗剤は、4.1キログラムという重いパッケージであり、誰もがそれらの課題を解決できる洗剤を望んでいたという前提があったことも忘れてはならない。
つまり、消費者の均一性がマスマーケティング成功のもうひとつのカギであったということなのだ。そして、その均一性の裏側には、消費者の手元にある情報の均一性に基づくライフスタイルの均一性がある。
しかし、現代では日本の家庭の洗濯悩みの代表が子供の靴下の泥汚れだとはもはやいえないし、そもそも子供のいない家庭も多い。また、誰もがいつかはクラウンに乗りたいと考えているわけでもないのも自明の理だろう。要するに、1990年代まで機能したマスマーケティングの手法が効きにくくなった理由のひとつには、このような生活者の均一性の崩壊があるといえよう。そしてこの均一性を失わせた要因のひとつにインターネットの普及があると私は考えている。
次回は、インターネットの出現前後のメディアとマーケティング環境を振り返ることで、なぜ均一性が失われるに至ったのかについて考えてみたい。
【石井龍夫 の 日本マーケティング私史】
#1 〜過去編〜:究極の ONE to ONE の時代
#2 〜テレビ全盛期〜:マスメディアがもたらした「均一性」の時代
#3 〜ネット黎明期〜:企業が「自社メディア」を持つ時代
#4 〜SNS氾濫期〜:マイノリティがメジャーになる時代
#5 〜AI 発展期〜:パーソナライズへ回帰する時代
#6 〜未来編〜:生活者がメディアになる時代
Written by 石井龍夫
Photo by gettyimages