次なる大変革、「マス1to1マーケティング」を実現せよ:デジタル業界の新ビジョン

本記事は、WPPグループ最大のデジタルエージェンシー、VMLの日本法人の代表と、株式会社FICCの代表取締役を兼務する、荻野英希氏による寄稿コラムとなります。

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広告主はいまのデジタル広告の効果に満足していません。消費者の個体識別データの充実により、マーケターは広告ROIを可視化することができるようになりました。しかし、皮肉にもデータによってその非効率性が明らかとなったのはデジタル広告であり、昨年はP&Gのマーク・プリチャード氏に、業界全体の未熟さを指摘されてしまいました。P&Gは、デジタル広告のターゲティング手法を見直し、マス的なアプローチを採用することで、デジタル広告費の削減と、ROIの改善を実現しています。

より広く、無差別的に配信され、ますます侵入的になるデジタル広告に、消費者は強い不快感を感じ、その視聴を拒み続けています。このままでは、消費者データが十分に活用されることはなく、デジタル広告が高い効果を発揮することはありません。

一方で、データの充実は、個々のカスタマージャーニーの分析や、一対一でのエンゲージメント(反応の喚起)を可能にしています。それぞれのジャーニーに合わせて、特定の人物や状況に最適化されたコミュニケーションが、マス広告よりも効果的であることは間違いありません。しかし現状では、私たちのマーケティングプランの精度や、マーケティング業務の効率がデータやテクノロジーの進歩に追いついていないのです。

プリチャード氏は、デジタル広告のパーソナライゼーションとスケールの両立を「マス1to1マーケティング」と称し、ブランドマーケティングの次なる大変革であると述べています。その実現に向けて、私たちは効果測定に真剣に取り組み、精度向上と効率改善を追求する必要があるのです。

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マス1to1マーケティングの実現には、マーケティング、メディア、クリエイティブ、そしてテクノロジーの提供者が一丸となり、その知識やスキルをアップデートしなければなりません。マーケティングの精度を向上するために、マーケターは、消費者が求める情緒的なジョブを満たすコミュニケーションを設計し、メディアエージェンシーは広告が受容され、その価値が最大化されるモーメントをターゲティングしなければなりません。マーケティング業務の効率化には、クリエイティブエージェンシーが継続的に使い続けられるエバーグリーンコンテンツを開発し、テクノロジーベンダーがオペレーション業務の自動化を行う必要があります。

情緒的なジョブを満たすコミュニケーション

マーケティングコミュニケーションは、主にデモグラフィック属性に基づくターゲットのペルソナから設計されます。マスマーケティングの時代では、セグメントごとの消費者の性質が似ていたため、デモグラフィック属性がマーケティング効果に決定的な影響を与えました。しかし、現在は個々のライフスタイルが大きく異なり、消費者のニーズとデモグラフィック属性の相関性が無くなりつつあるのです。

マーケティングコミュニケーションは、高いLTV(生涯顧客価値)により、十分なROIが見込める人物に向けて設計する必要があります。高いLTVを生み出すブランドロイヤルティは、消費者が求めるジョブへの満足から生まれます。ジョブには機能的な側面と、情緒的な側面があり、現代の消費者は機能的ジョブを満たす豊富な選択肢を持っています。つまり、情緒的なジョブを満たすことこそが、確実にロイヤルティを獲得する方法であり、マーケティングコミュニケーションの設計に欠かせないものなのです。

私たちが商品を購入する際は、その商品が如何に自身のイメージに合うかということだけでなく、その購入・所有・使用に対する他者の影響を考慮します。これらの影響要因は、自己概念と社会的自己の一貫性の維持、または自己承認や社会的承認の獲得という4つの情緒的ジョブに分類することができます。この情緒的ジョブの分類は万能かつ網羅的ではないかもしれません。しかし、大半のコミュニケーション設計の起点として活用することができるはずです。

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マーケターは、情緒的ジョブに応えるコミュニケーションを設計するために無関係なデモグラフィック属性に基づくペルソナを捨て、情緒的ジョブの基となる不安や不満、そして、競合商品がジョブを満たしていない理由を明文化すべきです。現代のマーケターには、情緒的なジョブに応じた消費者の識別、適切なメッセージの配信と、心理的な態度変容の測定を行う能力が求められます。しかし、まず学ばなければならないのは、情緒的なジョブに応えるコミュニケーションの設計です。

モーメントのターゲティング

デジタル広告の視聴に対する主導権は消費者が握っているため、適切な状況で接触をしなければ、受け入れられることはありません。消費者が広告を受容し、その情報に価値を感じる状況を「モーメント」と言います。モーメントは時間軸におけるタイミングではなく、広告がその効果をもっとも発揮する状況を示します。

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膨大な消費者データを保有し、その解析能力を持つメディアエージェンシーは、広告接触に適したモーメントを発見、または予測できなければなりません。マーケターが提供するコミュニケーション設計を、アドレス可能なデータやKPIに変換するだけでなく、データのなかから、モーメントという広告効果を最大化する機会を見つけ出す必要があるのです。

エバーグリーンコンテンツの開発

消費者のモーメントに合わせて配信されるデジタル広告は、ここに最適化されたタイミングで配信されるため、一斉に潜在顧客にリーチすることはありません。そのため、コンテンツの開発費を含めたROIの回収には、ある程度の期間を要します。クリエイティブエージェンシーは、短期間で消耗される広告クリエイティブではなく、恒常的な配信が可能なエバーグリーンコンテンツの開発を行わなければなりません。

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エバーグリーンコンテンツのリーチは極めて限定的なものですが、消費者の情緒的ジョブを満たすコミュニケーションと、モーメントのターゲティングが行われていれば、広いリーチは不要なはずです。また、その有効性とROIは、PDCAサイクルの頻度と、配信期間に応じて向上し続けます。エバーグリーンコンテンツに投資することにより、ブランドは枯渇することのない資源を生み出すことができるのです。クリエイティブエージェンシーは、モーメントにおける消費者の心理状況に適したコンテンツの開発と、コンテンツごとのROIや損益分岐点の計算を行えるようにならなければなりません。

オペレーション業務の自動化

デジタル広告の効率化を阻むのは、高い精度の追求に伴う、オペレーション業務の肥大化です。企画立案、施策実施、効果測定におけるルーチンワークの多くは、すでにテクノロジーによる自動化が可能です。また、特化型人工知能の発展により、業務の自動化だけでなく飛躍的な高速化が可能になりつつあります。

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問題は、定量化がされていない業務をテクノロジーが自動化できないことです。テクノロジーベンダーは、オペレーション業務を網羅的に把握し、業務プロセスの定量化と、指標やデータ構造の統一化をサポートしなければなりません。自動化により、オペレーション上の障害がなくなれば、パーソナライゼーションとスケールの両立が可能となり、マス1to1マーケティングが現実のものとなるのです。

Written by 荻野英希
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