エルベエジェ(Hervé Léger)にとって、2000年代初頭の、そしてセレブ主導のPRモーメントが戻ってきた。
エルベエジェ部門責任者のメリッサ・レフェレ=コブ氏は、Glossyポッドキャストで、「アス誌(Us Magazine)にまた掲載されたかった」と言い、ブランドの復活計画について語った。同氏は、パリス・ヒルトン氏からブリトニー・スピアーズ氏まですべての「イット」ガールにとって同社のシグネチャーのバンデージドレスがスタイルの定番だった、エルベエジェの全盛期について言及しているのだ。2021年、レフェレ=コブ氏がこの役職を担い、ブランドの新製品がスタイリストのロー・ローチ氏やファッションに影響力を持つ人々の手に渡ってから3年が経ち、彼女の願いは実現した。ジェニファー・ロペス氏をはじめとするセレブらにエルベエジェは再び愛されるようになり、アス誌をはじめとする出版物から注目されるようになったのだった。
レフェレ=コブ氏により、6月にクリエイティブディレクターとしてエルベエジェに加わったミシェル・オクス氏は、「バンデージレスは常に中心であり続ける」と言う。オクス氏は、ファッションブランドのクシュニー・エ・オクス(Cushnie et Ochs)のクリエイティブペアの1人だったが、2021年にエ・オクス(Et Ochs)ブランドでソロとして活動を開始した。
しかし、現在、オクス氏がコレクションにもたらしている新鮮な視点のおかげで、エルベエジェはボディコンのミニドレスをはるかに超えた存在となっており、成長モードにある。レフェレ=コブ氏とオクス氏は、このブランドの次の偉大な時代に向けて製品カテゴリーと国際的拡大の計画を共に策定中である。
エンパイアステートビルにあるエルベエジェのショールームで行われたGlossy+メンバーイベントの際に録音したポッドキャストから、ほかのハイライトを以下に紹介する。
エルベエジェ(Hervé Léger)にとって、2000年代初頭の、そしてセレブ主導のPRモーメントが戻ってきた。
エルベエジェ部門責任者のメリッサ・レフェレ=コブ氏は、Glossyポッドキャストで、「アス誌(Us Magazine)にまた掲載されたかった」と言い、ブランドの復活計画について語った。同氏は、パリス・ヒルトン氏からブリトニー・スピアーズ氏まですべての「イット」ガールにとって同社のシグネチャーのバンデージドレスがスタイルの定番だった、エルベエジェの全盛期について言及しているのだ。2021年、レフェレ=コブ氏がこの役職を担い、ブランドの新製品がスタイリストのロー・ローチ氏やファッションに影響力を持つ人々の手に渡ってから3年が経ち、彼女の願いは実現した。ジェニファー・ロペス氏をはじめとするセレブらにエルベエジェは再び愛されるようになり、アス誌をはじめとする出版物から注目されるようになったのだった。
レフェレ=コブ氏により、6月にクリエイティブディレクターとしてエルベエジェに加わったミシェル・オクス氏は、「バンデージレスは常に中心であり続ける」と言う。オクス氏は、ファッションブランドのクシュニー・エ・オクス(Cushnie et Ochs)のクリエイティブペアの1人だったが、2021年にエ・オクス(Et Ochs)ブランドでソロとして活動を開始した。
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しかし、現在、オクス氏がコレクションにもたらしている新鮮な視点のおかげで、エルベエジェはボディコンのミニドレスをはるかに超えた存在となっており、成長モードにある。レフェレ=コブ氏とオクス氏は、このブランドの次の偉大な時代に向けて製品カテゴリーと国際的拡大の計画を共に策定中である。
エンパイアステートビルにあるエルベエジェのショールームで行われたGlossy+メンバーイベントの際に録音したポッドキャストから、ほかのハイライトを以下に紹介する。
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エルベエジェの復活について
レフェレ=コブ氏:「すっかり静かになってしまってはいたが、それでもまだ関連性の高いブランドだった。だが、新鮮な視点が必要だった。そこで3年間の再生計画を立てて、製品、価格、PRに注力した。製品については、重複が多くて、実際には進化していなかったので、新しいシルエットを加えてもっとモダンにできないかと考えた。体にぴったりフィットするバンデージドレスを纏い、高いヒールのルブタン(Louboutins)を履いていた時代から、空気感と流れのあるジマーマン(Zimmermann)のような着こなしへと移行していた。なので、当社は新しい顧客について考えなければならなかった。価格については、市場で多くの変化が起こっていた。(当社は)オープン価格ポイントをいくつか提供し始めたが、同時にもっと高い価格ポイントも設定した。これは、優れた戦略からさらに優れたものへ、そして最良の戦略への移行であり、市場での価格設定を意識することだった。PRについては、いつもレッドカーペットに存在していたブランドだったが、もっと熱気が必要だった。なかなか大変だった。…結局、エージェンシーを業界のパワーハウスのカーラオットー(Karla Otto)に変えることになったが、カーラオットーは我々を心から信じてくれた。我々は協力して、『どうすればうまく進められるだろうか?』と話し合った」。
ビジネスとデザインのバランスを取ること
オクス氏:「メリッサ(・レフェレ=コブ氏)の経歴と私の経歴に基づいて、我々はユニークな立場にあり、お互いへの敬意がある。彼女はクリエイティブな要素を完全に理解してくれ、私に自由とスペースを与えてくれている。だが、私はゼロからビジネスを立ち上げて収支を細かく確認した経験があるので、一日中デザインばかりしているわけにはいかないことを理解している。我々は歩み寄って理解し合い、お互いが必要なものをわかっており、同時にそれぞれが自分のことをするのに十分な余地も与え合っている。これはとても独特なことだ。(ビジネスとクリエイティブの)衝突というのは、お互いの間に壁があって、コミュニケーションやスペースがないときに起こる」。
経験豊かなクリエイティブディレクターのパワー
レフェレ=コブ氏:「ミシェル(・オクス氏)は自分でビジネスをしていたので、すぐに当社にインパクトをもたらしてくれた。彼女からはリストサイズや製品の発送方法などあらゆる細かい点について質問されている。彼女はビジネスオーナーなので、それらの経験がある。そのおかげで、我々は非常に迅速に行動して、インパクトのある変更を加えることができた。…毎月、我々はEメールを確認する。メールによって生み出された収益はどれくらいなのか?クリックスルー率はどれくらいだったのか?ミシェルが入社したときにメールを送ったが、それは、その月のメールの中でもっとも収益が高く、クリック率も最高だった。ミシェルが何をしているのか、何をブランドにもたらしてくれるのか、人々から関心が寄せられている」。
JILL MANOFF(翻訳:ぬえよしこ、編集:山岸祐加子)