「このデジタル時代にブランドを構築するために、マス広告は必要か?」。先日、自分のSNSでこんな問いかけをしてみた。これは本連載の冒頭に取り上げた、あるクライアントからの「デジタルだけでブランドを構築することは可能か」という質問につながる。ーーI&CO(アイ・アンド・コー)共同創業者のレイ・イナモト氏による寄稿。
本記事は、ニューヨークを拠点に世界で活躍するクリエイティブ・ディレクターであり、ビジネスインベンションファーム「I&CO(アイ・アンド・コー)」共同創業者のレイ・イナモト氏による寄稿となります。
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「このデジタル時代にブランドを構築するために、マス広告は必要か?」。先日、自分のSNSでこんな問いかけをしてみた。これは本連載の冒頭に取り上げた、あるクライアントからの「デジタルだけでブランドを構築することは可能か」という質問につながる。
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デジタルメディアが影響力を持ち始め、多くのマーケターがその効率性とコストパフォーマンスに惹かれ、メディアミックスの中心をデジタルに移行して久しい。そして2019年には初めてテレビ広告費をインターネット広告費が超えたという事実もある。だとするともうマス広告の時代は終わり、デジタルだけでブランドを構築できる時代になったのではないか。
しかし、この問いかけに対し、ほぼ半分の人はマス広告を肯定する答えを選択した。
Googleやインスタグラムのようにデジタルサービスだけを提供しているブランドはマス広告に頼らず成長できるかも知れないが、たとえば洋服、シューズ、食べ物、飲料、そして自動車など、物理的な商品を売る場合、デジタルだけでの売り上げでは限界があるのだろう。その証拠に、アウェイトラベル(AwayTravel:スーツケース)、キャスパー(Casper:マットレス)、オールバーズ(Allbirds:スニーカー)、エバーレーン(Everlane:アパレル)といった、近年流行りの「D2Cブランド」も、ほぼ例外なくマス広告を使っている。
なぜ企業はいまだに「マス広告依存症」から抜けられないのか? そして今、ブランド構築はデジタル上だけで出来るのか?
捨てるべき考え方
結論を言おう。これからの時代にブランドが強くなるためには、「ブランドはコミュニケーションによって構築される」という考え方を捨てる必要がある。そして強いブランドは、マス広告にあまり頼っていないという事実を理解する必要がある。
では21世紀、そしてポストコロナ時代に強いブランドは、どう構築していけば良いのか?
それを紐解くために「購買の時計(Purchase Clock Model)」というフレームワークを紹介したい。これはニューヨーク大学院・スターン経営学部のスコット・ギャロウェイ教授が考案したブランド戦略のフレームワークだ。従来のマーケティングで盛んに使われてきた「パーチェス(購買)ファネル」に置きかわる概念として捉えていただくとよいだろう。
「パーチェスファネル」が消費者の認知から購入までの意識の遷移を図化したものだったのに対し、「購買の時計」モデルは購買までの遷移に加え、購買中と購買後にも顧客との関係を保つ必要があるという考えに基づいている。
今までのブランド構築は「購入してもらうこと」に注力していたため、そこに至るまでの「購買前」のフェーズ、つまり購買時計でいう0時から4時の部分に多くの予算が当てられていた。その役割の大半を担っていたのがマス広告を含む顧客とのコミュニケーションもしくはマーケティングであり、そこに膨大な予算が使われてきたわけだ。
デジタル以前は、こうしたマス広告で企業に都合のよいイメージを作り上げ、仮に嘘や誇張が含まれていたとしてもそれを隠すのは難しいことではなかった。しかし透明性が非常に高い今の世の中、質の悪い商品やサービスはユーザー間の情報共有によってすぐバレてしまい、拡散・炎上してしまうケースも珍しくない。そしてそれがブランドにとって致命的な痛手であることは、皆さんもよくご存知の通りだ。
デジタルの台頭にともなう新たなリスクが広く認識され始めた今、21世紀のブランドを見てみると、「購買前」よりも「購買中」「購買後」に注力しているのがよく分かる。顧客の目線では、いかに「購買中」の摩擦やストレスがないか、そして「購買後」のケアやサポートがいかに充実しているかによって、そのブランドに対する信頼度が変わってくる。
「購買の時計」モデルの実践
たとえば本連載の第2回でも引用したApple。多くの企業がブランド力を羨ましく思う筆頭株だ。一見広告に多くの予算を投資しているように見えるAppleだが、実はその広告予算は他社に比べてかなり少ない。それにも関わらずAppleのブランドの力が強いことは、誰もが認めるだろう。
ではAppleは、コミュニケーションだけに頼らず、どうブランド構築をしているのか? その戦略をギャロウェイ教授はこう説明する。
Eコマースが徐々に一般化し、実店舗の存在意義が疑われ始めた2000年代初期、スティーブ・ジョブズは時代の流れに逆らってApple独自の店舗を展開し始めた。それまでコンピューターのブランドが直営店を持つなどということは誰も考えていなかったうえ、当時存在していたコンピューターの販売店といえば、店舗は無機質で人が集まるような場所ではなかった。
だがバージニア州マクリーンに登場Apple Storeの1号店には、まるで劇場のようなスクリーンが配置されたり、「Genius Bar(ジーニアス・バー)」と名づけられたサポートデスクがお洒落なバーのカウンターのように設置されていた。それまでの常識とはかけ離れた形態の店舗だったため、当時「Appleの店舗展開は、高くつく失敗として2年ほどで終わるだろう」と批判されていたぐらいだ。
しかし、この動きを「購買の時計」モデルに当てはめてみると、それまでマス広告に使っていた予算を店舗の予算に回し始めたという、シンプルな事実が見えてくる。
つまりApple Storeが「購買中」の体験であり、Genius Barが「購買後」のAppleブランドと顧客をつなぐ役割を果たすのだ。ひと昔前のAppleは、テレビCMや白いイヤフォンをつけたシルエットのiPodの屋外広告などが印象的だったが、ここ数年のプロダクト広告はと聞かれるとパッと思いつかない。それにもかかわらず、Appleのブランドの価値は確実に上がっている。もっとも輝かしいブランドの構築を図ってきた成功の背景にあるのが「購買前」から「購買中」「購買後」の顧客体験へ、いち早く投資を移したことといえるだろう。
「ポストコロナのブランド」とは
冒頭の「デジタルだけでブランドを構築することは可能か」という質問を受ける頻度が増えてきた。同じ質問を、今日もまたあるクライアントから問いかけられた。
これはこの数年に始まったことではなく、2000年前後からほぼすべてのブランドが答えを探り続けている課題だ。インターネットがマスメディアを揺るがす存在になり、効率性とコストパフォーマンスの良さから多くの企業がその可能性に惹かれた。バイラルムービーやソーシャルメディアによって、マスメディアの力を借りなくとも情報が広まる時代になった。こうしたなかで高額な費用がかかる「マス広告」という方程式に代わるものを探し続けているのだが、いまだ誰もはっきりした答えは見つけていない。多くの企業がこの20年間抱えて続けている共通の課題だ。
私は2020年に始まったコロナ禍のなかで、いろいろなビジネスのあり方や振る舞いを見ながら、この課題に対するヒントを探ってきた。今回の連載では、ポストコロナのブランドはどうあるべきかを4つのパラダイムシフトにまとめた。
レイ・イナモト氏の連載:デジタル時代のブランド構築、4つの法則
「ブランド」は顧客が企業に対して抱くイメージであり、そのイメージを作るのはコミュニケーション、マーケティング、広告であるという概念を、今でも多くの企業が捨てられずにいる。つまり「デジタルでブランドを作れるのか」という問いかけの裏には、「デジタルでイメージを作れるか」そして「デジタルで人の心に刺さるブランド広告は作れるか」という、問いの設定を間違えた下心があったのではないかと思う。
2020年の春先から世界がパンデミックに襲われ、それまでのマーケティング活動が一気に停止しとき、多くの企業がいわゆる「ブランド広告」を打っていた。だがそのほとんどが空振りに終わり、ほとんど差別化につながっていない。この動画は複数の企業が去年打ち出した多くのコマーシャルをつなぎ合わせたものだが、内容、コピー、ムード、そして音楽もすべてがあまりにも酷似しているのに驚かされる。
ただ筆者はマス広告を完全に否定しているわけではない。商品の機能にフォーカスし「購買後」の顧客の信頼度を高めようとするマス広告をひとつ紹介しよう。
このマス広告はAppleというブランドを語るのではなく、機能をフィーチャーしている。個人データやプライバシーがビッグテックの会社に乱用され「人」が商材化する今、Appleがあえて個人データを売らない商売に舵を切り、その機能をユーザーに提供していることを、印象的に伝えている。信頼を築くことに重点を置いているのだ。
今までのブランド構築は、「購買前」の顧客に対する「ストーリーテリング」や「コミュニケーション」によって「ブランド=印象(イメージ)」を作ることが重要視されてきたが、これからのブランド構築は「購買中」そして「購買後」にいかに顧客の「信頼(トラスト)」を得ることができるかが鍵を握る。
ポストコロナ時代のブランドには、イメージを作るための「ストーリーテリング」よりも、顧客との信頼を築く「トラストビルディング」が不可欠となる。
つまり、そもそも問いかけるべきは「デジタルでブランドが作れるか」ではなく、「デジタルで信頼が築けるか」なのだ。「購買前」のブランド構築にこだわるのではなく、「購買中」「購買後」の信頼をいかに向上できるかが本当の勝負であり、これは当然、長期戦になってくる。そしてポストコロナのブランドは「イメージ」ではなく「信頼(トラスト)」がブランドを強くすることを忘れてはならない。
今回は5回にわたって連載にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。