私はビジネスにおけるナラティブとは、企業と生活者とのあいだの物語的な共創構造だと考えています。そしてナラティブを生み出し、その構造のなかでマーケティングや広告・PR活動を行うことで業績や企業価値の向上を果たしている企業のことを、「ナラティブカンパニー」と定義しました。ーー本田哲也氏による寄稿第3回。
本記事は、書籍『ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力』を上梓したPR専門家、本田哲也氏による短期連載「ナラティブカンパニーのつくり方」の第3回となります。
ニューノーマル時代のいまは、「社会的な共創」を実践するナラティブカンパニーが多数出現する、社会的変化のときだと私は考えます。
社会のさまざまなレイヤーで起こっている変化のなかでも、とりわけ企業と社会の関係性を広告やPR、マーケティングの視点で考察すると、3つの変化に集約されます。
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今回は3つの変化、①共体験価値の高まり、②社会的距離の見極め、③自分らしさが問われる、の最後のパート、③自分らしさが問われるについて解説します。
「本当の姿をさらけ出す」という選択
そもそも「自分らしさ」とはなんでしょうか?
私が定義したい企業の「自分らしさ」とは「オーセンティシティ(authenticity)」と呼ばれるものです。辞書で引くと「信頼のおけること、確実性、真実性、信憑性、真正性」といった訳語が出てきます。マーケティングやPR、広告の業界では、正統性、真正性という意味で使うことが多いワードです。
ここ数年、オーセンティシティはアメリカや欧州で「個人の在り方」を問う際によく言及されます。たとえば、米ペンシルベニア大学ウォートン校で心理学を教えるアダム・グラント教授は、ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)に次のような趣旨のコラムを載せました。
「我々はオーセンティシティの時代を生きています。多くの人生や恋愛や仕事について、私があなたにしてあげられるアドバイスは、あなた自身でありなさい、ということ。なぜならオーセンティシティ とは、あなたが自分のなかで強く信じていることと、外側に見せる姿、この両者のギャップをなくすことだから。つまりオーセンティシティとは、あなたの本当の姿をさらけ出すという選択のことなのです」。
日本語でひと言でまとめると「人間として、裏表がない」という表現が近いでしょう。
その発信は、企業の本当の中身や姿とマッチしているか
では、企業やブランドにとってのオーセンティシティとはどういうことかというと、自分たち(企業)が信じていることと行動が一貫しているかどうかです。コミュニケーションの話でいうと、世の中に向けて発信したり表現していることが、自分たち(企業)の本当の中身や姿とマッチしているかどうか。
これをごく単純化して説明すると、広告や企業スローガンでは「自然を守ろう」と標榜しているのにもかかわらず、社内では紙やプラスチックカップを無駄遣いしていたり、工場排水を川に排出していたら、それはオーセンティック(信頼できるさま)ではない、ということです。
つまり企業やブランドにとってのオーセンティシティとは、企業やブランドが裏表なしに、自分らしくあることを指しています。
そして危機的状況の時に人間の本性がさらけ出されるように、企業やブランドも危機に直面しているときに、本当の姿が現れるものです。今回のコロナ禍では、企業やブランドのオーセンティシティが問われるような場面も多々ありました。多くの素晴らしいアクションが生まれた反面、残念な出来事も散見されました。
「信念と行動の一貫性」と「Do Your Part.」
オーセンティシティをもっと掘り下げると、ふたつの方向性があります。ひとつは「信念と行動の一貫性」。つまり「言っているだけでなく、行動せよ」といういこと。もうひとつは、「自分たちの持ち場で、それができているか」。自分たちの持ち場とは、企業やブランドが平時にビジネスとしている領域や、自分たちがやらなければならないことです。
コロナ禍において、とくに北米で盛んに言われたワードに「Do Your Part.」があります。「自分の持ち場でやりなさい」という意味ですが、エッセンシャルワーカーや医療従事者、さらには一般市民も含め、「自分たちができることを、自分たちができる範囲内でしっかりやろう」というスローガンのようなものです。裏を返せば「余計なことはするな」とも受け取れますが、ともあれ、このように企業やブランドも、自分の持ち場でそれができているかどうか、が重要になってきています。
ナイキも「オーセンティシティ」で失敗する
世界的企業であっても「一貫性がない」ことによる失敗をすることがあります。ここでナイキ(Nike)のBML(Black Lives Matter)をめぐる残念な事例を紹介しましょう。
2020年5月、ナイキはSNSにひとつの投稿をしました。メッセージは「For once, Donʼt Do It.(今度こそは、やめよう)」。ナイキといえば「Just Do It.」というコピーが有名ですが、それを「Donʼt Do It.」に変えたことで、人種差別問題に反対するという本気の表明を表現しました。
広告コピーという視点で見ると、これは唸るほどに完璧に計算されたコピーワークです。それゆえ、このメッセージの投稿は、広告業界内では大変に称賛されました。同時に、その頃最もシェアされたSNS投稿のひとつでもあり、6月10日時点でインスタグラムの投稿に540万以上の「いいね」がつくほどに世界中に行き渡ったメッセージでした。
それが日が経つにつれて、この投稿にじわじわとネガティブなコメントがつくようになります。それは広告業界の人ではない一般の人からでした。「メッセージだけでなく、具体的な支援を」。このようなコメントが、数多くつくようになったのです。極め付けはワシントン・ポスト(The Washington Post)の記事でした。同紙がナイキの役員が白人ばかりであると報道したことにより、このメッセージが大企業の欺瞞であることがあらわになりました。
この失敗事例の根底には、広告コピーの限界があると思います。「For once, Donʼt Do It.」は広告コピーとしては本当に素晴らしいものです。しかし、オーセンティシティかと問われれば、そうではありません。ここで問題になっているのは、「かっこいいメッセージを出す前に、役員構成をどうにかしろ」という話です。つまりナイキは生活者に、メッセージと行動に一貫性がないと捉えられてしまったのです。
「一貫性」が功を奏したワールドの事例
次はオーセンティシティにより、新たなナラティブを生み出した事例を紹介しましょう。大手アパレル(既製服)会社の株式会社ワールド(以下、ワールド)の試みです。
日本のファッション業界は今、大きな転換期にあり、大手メーカーによる大量生産・大量消費が前提のビジネスモデルは、消費者の思考多様化への対応を迫られています。コロナ禍も業界不振に追い討ちをかけました。
ワールドは、そのような大量生産時代を代表する大企業ですが、実はここ数年B2B事業にも力を入れてきました。B2B事業とは、空間・店舗デザインや、什器・家具の製造販売、配送資材などのコスト削減コンサルティング、催事の企画運営、QRコード活用などのデジタル分野といった、同社がこれまで培ってきたノウハウやシステムを提供するサービスです。

『ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力』(東洋経済新報社)
そして、B2B事業に集約されているノウハウやシステムを解放する「ワールド・ファッション・エコ・システム(WFES)」と呼ばれる新ビジネスモデルを構築し、若い才能やD2Cブランドの支援も始めました。これにより、ファッション業界全体の活性化を目指しています。
その具体的な施策が、同社の北青山ビルで2019年9月に期間限定でオープンした「246st.MARKET(ニイヨンロク ストリートマーケット)」という「ポップアップ型」と呼ばれる実験店舗でした。ポップアップ型とは、小さなブースが集まる形式の店舗で、世界のファッション業界でも、新しいマーケットの形として注目されています。ここに「サスティナブル」をテーマとして、ファッション業界で今もっとも注目される実店舗を持たない「D2Cブランド」を集めたのです。
この試みは、その先見性からファッション業界だけでなく、ビジネスやライフスタイルメディアで広く報道されたほか、SNSでも多く拡散され、同社のB2B事業におけるステークホルダーの強い関心を得ることに成功したのです。
これによりワールドは、アパレルから「エコシステムを解放する総合ファッションサービスグループ」という認識を得ることができたうえに、このイベントを継続することで、サーキュレーション・ライフスタイルやサスティナブルといったトピックに関心の高いミレニアム世代が共感するD2Cブランドをまとめている会社、というナラティブを生み出すことにも成功しました。
オーセンティシティであることが、企業の資産になる
ここで少し目線を、コロナ禍以前に言われていた社会の大きな流れ「分散化型社会」に向けたいと思います。これはブロックチェーンと呼ばれる技術で実現されるもので、数年前から言われているように、これからは中央集権型から分散型の社会に変化していくというものです。そして分散化型社会のひとつの特徴として注目されるのが「偽物の淘汰」です。
ブロックチェーン技術についてここでは深く掘り下げることはしませんが、ごく簡単にいうとブロックチェーンとは、「改竄しにくい、公開型の取引台帳」のことです。
何が言いたいかというと、コロナ禍で私たちは人間の本性が浮き彫りになるさまを体験し、これからは企業もオーセンティシティ(本当の意味での自分らしさ)が問われるようになったということです。そもそもコロナ禍が起きる前から、世の中は分散化型社会へ向かい、偽物が淘汰されていくという流れがありました。
つまりその分、自分らしく本物の企業やブランドが生き残っていくという流れが、より一層強化されていくでしょう。
これに関しては、マーケティングの神様と言われるフィリップ・コトラーが、『コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則』(朝日新聞出版)という著書のなかで、「人間中心のマーケティング」と提唱しています。「ブランドの本物の個性がかつてないほどに重要になってくる」「ますます透明性が高まる世界では、オーセンティシティ (真正性)がもっとも重要な資産になる」のです。
企業やブランドの観点からいうと、オーセンティシティ があること、自分らしくあることそのものが、企業やブランドの重要な見えない資産になります。コトラーの提言のなかでも「資産になる」というワードが、これからの企業やブランドにとって、非常に重要なポイントになると思います。
Written by 本田哲也
Photo by SHUTTERSTOCK