私はビジネスにおけるナラティブとは、企業と生活者とのあいだの物語的な共創構造だと考えています。そしてナラティブを生み出し、その構造のなかでマーケティングや広告・PR活動を行うことで業績や企業価値の向上を果たしている企業のことを、「ナラティブカンパニー」と定義しました。ーー本田哲也氏による寄稿第2回。
本記事は、書籍『ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力』を上梓したPR専門家、本田哲也氏による短期連載「ナラティブカンパニーのつくり方」の第2回となります。
ナラティブとは、企業と生活者とのあいだの物語的な共創構造です。そして、ニューノーマル時代には、共創構造のなかでマーケティングや広告・PR活動を行うことで、業績や企業価値の向上を果たしている企業=ナラティブカンパニーが多数出現するでしょう。
今回は、「社会的な共創」が可能になったニューノーマル時代の3つの変化、①共体験価値の高まり、②社会的距離の見極め、③自分らしさが問われるのなかから、②社会的距離の見極めについて解説します。
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SNSが人々のつながりをミルフィーユ化させる
2020年以降、「ソーシャルディスタンス」(社会的距離)という言葉は、新型コロナウィルスの拡散を止めたり、減速させたりするために必要な感染抑制手段として認識されました。しかし「ソーシャルディスタンス」という言葉は、もともと社会学の概念でもあります。それをつまびらかにする前に、「情報環境の変化」がもたらした、人々のつながりの「多層化」について触れましょう。
前回、この数年の情報環境の変化として、SNSの浸透とスマートフォンの普及が大きく関与していることに触れました。SNSは同じ興味、関心を持つ人たちが集まりやすく、強く結びつく手段でもあります。加えて、情報入手がパーソナライズされ、情報流通が限定的になりました。自分ではいろいろなニュースを見ているつもりでも、そもそも個々人にカスタマイズされた情報に接しているのですから、私たちは実は偏ったニュースを摂取していると考えていいでしょう。

『ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力』(東洋経済新報社)
SNSのこのような作用は、同じ興味、関心を持つ人たちを「関心のグループ」で分け、人々を多層化、ミルフィーユ化させました。普段の生活のなかでは出会うことのなかった人々が、同じ興味や関心を持つ人とSNSのなかで出会い結びつき、そのなかで「共体験」が生まれるようになったのです。
このような前提を踏まえたうえで、SNSを企業の顧客接点という観点でみると、これは企業にとって非常に便利なツールだということがわかります。
実際、個人が友だちや知り合いとつながるように、企業やブランドもひとつの人格としてTwitterやインスタグラム、TikTokなどの公式アカウントを開設し、顧客接点として扱うようになりました。そのため、企業は生活者と直接に顔を合わせることなく、ダイレクトにやり取りができるようになったのです。その代わり、テレビCMや店頭など限られた接点しかなかった頃と比べて顧客接点は増加、複雑化しました。
「リアルの価値」の向上
一方で、実は相対的に「リアルの価値」も上がっています。わかりやすい例だと、音楽フェスのチケット販売額が、ここ数年増えていることが挙げられます。ぴあ総研が2018年1〜12月に開催されたイベントを対象に推計したところ、2018年の音楽フェスの動員数は前年3.9%減の272万人となったものの、平均単価の上昇により、市場規模は前年比3.9%増の294億円になりました。
また、ライブ・エンタテインメント全体の市場規模についても、統計を開始した2000年以降、最高額を記録したのは2019年の6295億円(前年比7.4%増)。公演回数は前年比0.5%増。公演あたりの動員数も増加し、前年比8.3%増の8283万円となったそうです。
いまはコロナ禍によりライブ・エンタテインメント市場は非常に苦しい状況に追い込まれていますが、少なくとも2019年まではずっとプラス成長を続けていました。つまり法人格も、実際に顔を合わせないSNSなどのネット上での接点が増えると、その揺り戻しのように、リアルの価値が再認識されるようになったのです。
これはコロナ禍でステイホームを余儀なくされた私たちにも心当たりがあるのではないでしょうか? 顔を表示させてはいても、リモート会議では、その場の雰囲気やちょっとしたニュアンスの違いを感じとることは少し困難です。リモート飲み会は楽しいけれど、気のおけない友人と一緒にレストランで食事をして得られる寛ろいだ雰囲気は再現できません。
「体感」を軸として顧客接点を設計する
「リアルの価値」が再認識されたことで、リアルな接点を顧客とのエンゲージメントの核に据えた企業やブランドもあります。このようなリアル志向は、2010年代の顧客接点設計の潮流のひとつです。
ここでいうエンゲージメントとは、一般的には企業や商品、ブランドと生活者との関係性のこと。エンゲージメントが取れていれば、生活者と企業の接点が何であれ、その接点にあるコンテンツや広告、PRメッセージなどに対してロイヤリティを感じたり、好感度が上がったりします。強い絆で結びついていると言ってもいいでしょう。
とはいえここで言いたいのは、デジタルかリアルかという二極対立の話ではなく、両者の融合です。実際、リアルイベントからインスタグラムへの投稿を促したり、Twitterに書き込んでもらう施策が盛んに行われています。リアルからSNSへという流れは、比較的最近のコミュニケーションデザインでありPR設計です。
それなのに、今回のコロナ禍で奪われたのがリアルイベントです。もっといえば、「体感」が奪われました。体感とは、体験よりももう少し感覚よりのもので、人間の五感で体全体を使って暑さや寒さ、「なんだか気持ちがいいな」といった感覚を感じとるものです。
対して体験は、体感をきっかけにいろいろと思考することです。CX(顧客体験)という言葉がよく聞かれるように、体験はリアルかオンラインかに関係なく設計できるものと認識されています。
しかし体感はそうはいきません。リアルイベントの価値は、顧客に体感を与えることに尽きます。体感を顧客のエンゲージメント醸成の核として重要視していた企業やブランドは、コロナ禍で非常に困ったことになりました。それを逆手に取り、生活者とのエンゲージメントを高めるSNS施策を打った事例のひとつが、アクションカメラ「GoPro」の「#HomeProチャレンジ」キャンペーンです。
ユーザーのクリエイティビティを引き出したGoPro「#HomeProチャレンジ」キャンペーン
動きのあるアクションシーンを臨場感たっぷりに撮影できるアメリカ生まれのアクションカメラ「GoPro」は、もともとエクストリームスポーツの撮影を目的とした製品です。
そのため、サーフィンイベントに協賛したり、GoProがハワイやコロラドなどの自然豊かな景勝地で開催するアウトドアイベントにインフルエンサーやメディアを招待するなど、体感させることで顧客のブランドエンゲージメントを高める施策を打ってきました。それがコロナ禍によって、世界中で外出制限という措置がとられてしまいます。
この事態に対しGoProは、世界中に向けて「#HomeProチャレンジ」というキャンペーンを始めました。自宅にいることが増える現状をポジティブにするために、家の中でクリエイティブな映像や画像を撮影し、「#GoPro」「#HomeProチャレンジ」というハッシュタグをつけて、Twitterやインスタグラム、Facebook、TikTokに投稿しようという内容です。さらに、GoPro社員が毎日、投稿作品のなかからお気に入りを選び、選ばれた人には同社のハイエンド製品などがプレゼントされるというものでした。
このキャンペーンのすごいところは、GoProユーザーでなくても、同社の無料GoProアプリを使えば、iPhoneやGoPro以外のカメラで撮影した映像でも応募できるとした点です。このキャンペーンは話題となり、世界中からクリエイティブでエキサイティングな作品が6万件以上も投稿されました。
GoProにとってはこのキャンペーンは、自分たちのブランドがコロナ禍でどうやってエンゲージメントを維持できるか、そして新しい顧客を捕まえられるかのチャレンジをした施策でもありました。
実はGoProは、スポーツやレジャーなどでの『いかにもGoProで撮影したくなるような』迫力のあるシーンでなくても、日常生活のなかでクリエイティブでエキサイティングな瞬間は切り取れる、と伝え続けていました。これまでも日常のリアルを重視していたからこそ、ブランドの大事な部分がこのキャンペーンでは活かされたのです。
平時からホスピタリティを重要視していたからこそ、臨時休業中にSNS施策を打っても、とってつけたようないやらしさがなく、ファンとのコミュニケーションが潤滑に行われたのだと思います。
生活者との「間合い」を見極める
冒頭で「ソーシャルディスタンス」(社会的距離)はもともと社会学の概念だと述べました。とくに欧州では歴然とした階級が存在しますが、この言葉はそのような社会的な階層や世代の心理的距離を意味しています。
よって実は、コロナ対応で用いられる「物理的に人との距離を取る」という意味よりは、人と人とのあいだや、その人が属するグループとグループの心理的な距離感、そして間隔などのニュアンスも含む、差別的な意味もある言葉です。社会学でいうソーシャルディスタンスを日本的に表現すると「間合い」という言葉に近いでしょう。
そして、リアルイベントができないという狭義の話から広げて考えると、ソーシャルディスタンスとは、物理的な距離や同じ空間を共有するところから一旦解放されて、企業やブランドと生活者との関係を見直し、新しいエンゲージの取り方を定義できる言葉なのではないでしょうか。
つまり、生活者との精神的な「間合い」を意識することで、新しいエンゲージメントの取り方を開発したり考えるチャンスが生まれる。そのような可能性があると私は思います。
Written by 本田哲也
Photo by SHUTTERSTOCK