代理店は多様性とカルチャーという概念に敏感でありながらも、採用するとなると、応募者にはしばしば単一的で共通した価値観や素養にフィットしてもらうことを求める。そのことが、企業カルチャーとして、ビジネスや人材採用面でライバルとの差別化に用いられている。果たしてそこに価値はあるのか。排他的な習慣を招いているのではないか。
あるコピーライターが西海岸の大手エージェンシーの求人に応募したとき、面接で奇妙な質問をされた。「君の好きなテレビ番組は何だ?」。
「『スキャンダル』か、(有名TVプロデューサーである)ションダ・ライムズのドラマなら何でも」と、彼は応えた。しかし、面接をしたクリエイティブディレクターが好きなテレビ番組は「ブレーキングバッド」だったため、微妙な間が生まれたという。そのコピーライターはそこでの職を得ることはできなかったようだ。
ほかにもこんな例がある。あるストラテジストは面接で、ショッピングはどこでしたいか尋ねられた。その答えが、大きくて高価なデパートでなければ、彼女は落第だったという。
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表面上はこういった質問は無害に思えるかもしれない。エージェンシーでの仕事は常にプレッシャーと戦いながらチームで取り組むものだ。そんな状況で一緒に働く人材を探しているのだから、共通の趣味や好みがある人材の方が良いに決まっている。
エージェンシーにとっての唯一の資源は人材であり、オフィスのカルチャーを形成する、こういった要素を重要視するのは理に適っているといえる。グローバルマネジメント誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』を一冊丸々読んでも、企業カルチャーについて一度も言及されないことはまずない。
カルチャーと多様性の矛盾
しかし、会社のカルチャーにフォーカスし過ぎることで、雇う側の人間たちと違った人材を見つけることができなくなっていることが良くある。そもそも、ひとつの組織にカルチャーが存在するということ自体、必然的に誰かを排他することにつながるだろう。
多様性をエージェンシーが追求しているこの時代において、自分たちのオフィスのカルチャーというものに注目することに意義はあるが、単一のカルチャーしか存在していないことに対する便利な言い訳になってはいないだろうか。
米DIGIDAYのこれまでのレポートでも、エージェンシーは新しい考え方やこれまでと違った方法を提唱する人材を罰することが良くあることが知られている。民主党支持者が多いこの業界で、なぜ共和党支持者たちはしばしば目立たないようにするのかはこういった理由からだ。
見過ごされているふたつの要素
匿名での掲載を希望した、ある黒人のコピーライターがいる。「会社のカルチャーに合う人材」という表現はよく使われるものの、彼によるとこの表現が何を本当に意味しているのか、エージェンシーは大雑把にしか、もしくは粗悪にしか定義付けていないと批判する。
そういった場所では、次のふたつがカルチャーという名のもとに見過ごされていると彼は語る。ひとつは人事部がリクルーティング作業をしないという点。というのも、カルチャーに合う人材を探すという名目のもと、過去に一緒に働いたことのある人材か、すでに知っている人材を紹介するというのが採用の経路だからだ。
ふたつ目は「コンプライアンス」だ。会社のカルチャーに合う人材だけを雇えばいいので、大多数とは異なる性格や性質をもつ少数者に合わせるため、努力する必要がなくなる。少数者というのは人種という点でかもしれないし、性別かもしれないし、ほかの何かかもしれない。
社内の「雰囲気」形成に役立つ
一方、J.ウォルター・トンプソンNY(J. Walter Thompson New York)のプレジデントであるリン・パワー氏は、「(人材が)会社のカルチャーに合っていることは非常に重要だ。クリエイティブであるということには脆さがついて回る。そのため、お互いの信頼が必要となるのだ。また一緒に働く同僚たちを尊敬しないといけない。しかし一方で、カルチャーに馴染んでいるということは、すべてに同意するというわけではない」と、主張する。
同じミッションに取り組む人々が、物事に関して同じ理解をもっている場合、一緒に働くことがより容易になる。「企業のカルチャーに適した人材」を求めるのには、そのような価値観が底流にある。
エージェンシーは「カルチャー」という考えが本当に大好きだ。自分たちが誰であって、何をしているのか、を流動的に表す概念がエージェンシーを魅了する。何カ月もかけて、自社カルチャーとはどんなものであるべきかを決めたり、マニフェストに声明として載せたりすることはよくある。
多くのエージェンシーは自社のカルチャーを、競争優位を得るポイントのひとつとして見なしている。競合他社よりも、ひとつでも多くビジネスを得るため、ほかから抜きん出るためのツールでもあるのだ。
シリコンバレーをマネて、多くのエージェンシーが卓球台やハッピーアワーといったカルチャー的な要素を取り組もうとしてきたのは、そんな背景がある。実際にはそのような資金的余裕はないのに、だ。それが目的ではないにしても、カルチャーは会社が滲ませたい「雰囲気」を形成するのに役立つ。
学歴ではなく考え方を重視
エージェンシーの仕組みを考えても、雰囲気というのがいかに重要かが分かる。長時間のチーム単位での仕事の結果、習慣、ユーモア、センスに基づいた共通のルールのようなものが形成されるのは決して驚きではない。
「仕事はストレスになることもある。仕事の困難さを理解して、楽なことばかりではないことを理解できる人材が求められる。もしも「カルチャーに合った人材の登用」が排他的なツールとして使われていたらそれは間違っている。とどのつまり、(一緒に働く人の)学歴ではなく物事の考え方が重要なのだ」とパワー氏は語った。
ハヴァス(Havas)の最高人事責任者であるパティ・クラーク氏も同様の意見を述べた。「カルチャーに適した人材の基盤になるのは、その組織における常識、価値観、言語だ」。
同組織でも地域差がある
しかし、こうして会社のリーダーたちによって、特定の価値観が特に強調されることは、ままある。クラーク氏によると、ハヴァスでは会社のなかにも複数の異なるカルチャーが存在する。シカゴのオフィスは「エッジが効いて」いるが、ボストンのオフィスはそれよりは伝統的なオフィス風土をもっているという。
シカゴオフィスのカルチャー、そこの最高クリエイティブ責任者であるジェイソン・ピーターソン氏に由来すると、クラーク氏は説明。ピーターソン氏は、インスタグラムに精通しており、大くのフォロワーを抱えているという。
「我々は皆、共通の価値観をもっている。その価値観はリーダーたちによって、それぞれのオフィスのアイデンティティへと進化させている」と、クラーク氏は語った。
問題は、「カルチャーに適した人材」を集めるとき、単に「企業が好きなタイプの人」という意味の隠語として使われてしまうことだ。実際に、そのせいで面接の場では趣味や住んでいる場所、学校といった単純な質問に陥ってしまっている。
結局は個人的な好みに偏る
では「ただ自分たちが好きな人間を雇ってしまう」という事態を避けるためにリーダーたちは何ができるのだろうか。この質問に対してクラーク氏は、「それは難しいことだ」と同調した。「カルチャーに適した人材がふたり存在としても、リーダーは自分がより気楽でいられる人間を選びがちだ」。こういった無意識のバイアスにリーダーたちが気づいていることが重要で、クラーク氏は常にそれが理解されているか確認するという。
新規雇用だけではない。雇用が決まったあとでも、カルチャーはそれぞれの従業員がどの案件を割り当てられるかを左右する。「キャスティング」と呼ばれるプロセスだ。英語に訛りがある人材は売り込み案件や、すごく「アメリカ的だ」と考えられる案件に採用されなかったりする。タンポンを扱う案件には女性が多く配置される。こういった意味では「キャスティング」という形で行われる「カルチャーに合った人材配置」は退屈な人材配置に結びつくし、慣習として良くない。
こういった話は広告業界だけではない。「ニューヨーク・タイムズ」によると、投資銀行や法律事務所の採用プロセスを調査したデータでは、採用担当がカルチャーを重視していると強調していながら、結局は個人的な好みに偏ってしまっているということが分かった。面接官と共通の趣味をもっていたり、出身が一緒だったり応援しているスポーツチームが同じだったりすると彼らが採用される可能性が高くなるのだ。
バイアスチェックを行う企業も
メディアエージェンシーであるMECでは無意識のバイアスに採用プロセスが影響されないためのトレーニングを行っているという。MECの人材とカルチャー責任者であるクリスティン・メッツガー氏は、エージェンシーのキャスティングにおいて、カルチャーを考慮することはないといった。
「クライアントが人を見て買うことは分かっている。けれど、私たちがビジネスを提案する際に気にするのはケミストリーだ。クルマの案件であれば、クルマに情熱をもった人材が欲しいと思うだろう」。
J.ウォルター・トンプソンでは、採用担当者全員にいつも頼りにしている同僚が誰かをリストアップさせ、そのリストを見てバイアスをチェックしているという。いつも頼りにしているのが全員同じ性別だったり人種だったりしないか、を確認するという具合だ。少なくとも性別や人種という点では多様性を確保しようとする試みだが、カルチャーという点では判別が一気に難しくなるだろう。
しかし、先に挙げた黒人のコピーライターはいう。「カルチャーという言葉は誰かを採用したくないときに使われる無定形の言葉だ。カルチャーという言葉には境界線がないため、誰であれ自分の思うがままに排他することができる」。
Shareen Pathak(原文 / 訳:塚本 紺)
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