広告業界の伝説として知られる、リッチ・シルバースタイン氏。消費財ブランドにおいて、もっと影響力のある広告キャンペーンのひとつ「Got Milk?(牛乳飲んだ?)」を生んだ同氏が、広告業界に入った経緯と、その過程で学んだ重要な教訓を、今回は自らの言葉で米DIGITDAYに語ってくれた。
リッチ・シルバースタイン氏は広告業界の伝説だ。しかし、伝説とは作られるもので、自然に生まれるわけではない。
消費財ブランドにおいて、もっと影響力のある広告キャンペーンのひとつとして知られる「Got Milk?(牛乳飲んだ?)」。カリフォルニア牛乳加工業委員会(California Milk Processor Board)によって、20年以上愛用されているこのコピーを、1993年にパートナーのジェフ・グッビー氏とともに生み出した同氏も、学生のころはエージェンシーの世界に入るつもりはまったくなかったという。グラフィックデザインでキャリアをスタートさせて、たまたま広告の道に進むことになったのだ。
今回、グッビー・シルバースタイン&パートナーズ(Goodby Silverstein & Partners)の共同会長にしてクリエイティブディレクターであるシルバースタイン氏が、広告業界に入った経緯と、その過程で学んだ重要な教訓を、自らの言葉で米DIGITDAYに語ってくれた。
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最初の仕事
最初に仕事をしたのはまだ高校生のころ。ニューヨークのヨークタウンハイツにあるハードウェアショップで働き、しょっちゅう間違った道具を渡していた。ネジが違う、クギが違うといった具合に。当時は高校2年生で、あまりうまくこなせなかった。
広告業界に入ったきっかけ
私はパーソンズ美術大学に進み、グラフィックデザイナーになりたいと思っていた。そのころのヒーローは、グラフィックデザイン集団プッシュピン・スタジオ(Push Pin Studios)のミルトン・グレイザー氏と、『エスクァイア(Esquire)』の編集デザイナーたちだった。そうした人々にあこがれていた。
広告業界に入ったのは偶然だ。美大に通いながら、当時プッシュピン・スタジオにいたデザイナーのディック・ヘス氏のもとでインターンとして働いた。それからサンフランシスコに移り、『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』ではディレクター兼デザイナーに、『サンフランシスコ(San Francisco)』ではアートディレクターになった。
当時わかりはじめたことがある。それは、雑誌には広告が付き物だということ。そして、「なんだかかなり面白そうだぞ」と思ったのだ。それに、記事よりも広告の方により多くのお金が使われている気がした。ただし、広告の訓練を受けたことはなかった。当時は広告の学校がなかったのだ。そこで、サンフランシスコの広告代理店ボーゼル&ジェイコブズ(Bozell & Jacobs)で6カ月間のプログラムを受けることに決めた。
メンターのハル・ライニー氏について
ボーゼル&ジェイコブズで初めて広告の仕事を経験したあと、サンフランシスコの代理店を1年半ごとに移り、ついにバランスのとれたところを見つけた。広告代理店を5年間渡り歩いた末に、ハル・ライニー氏に出会ったのだ。
彼は、私が広告業界で会ったなかで、広告を本当にわかっている最初の人物だった。ストーリーテリングを理解し、制作の腕前も確かだが、気むずかしい部分もあった。要求がとても厳しかったが、制作について、才能の重要性について、スポットに誰を起用すべきかについて、ペース配分についてなど、あらゆることを私に教えてくれた。私は主に、ライニー氏と彼のアートディレクターだったジェリー・アンデリン氏の働き方を吸収することで多くを学んだ。ライニー氏は「神は細部に宿る」と教えてくれたが、私はいまもこれを信じている。
パートナーのジェフ・グッビー氏について
ライニー氏が引き合わせてくれた縁で、結局、私たちは一緒に経営をすることになった。ジェフとはウマが合った。タイプは大いに異なるが、本当に相性が良かったのだ。私が何かを言うと、彼が別のことを言い、互いに相手のアイデアを取り入れることが簡単にできた。
ライターとパートナーになったのは、これがはじめてだった。私はコピーを書くのがあまり得意ではないので、絵を交えてアイデアをジェフに伝えると、彼はものの30分でコピーを書き上げたものだ。いまでも、一緒にランチに出かけ、話しはじめると、数分でアイデアがまとまる。まるでコメディのコンビのように。私たちは陰と陽の関係で、彼が言葉を掴み、私が視線をつかむのだ。
シルバースタイン氏による広告の定義
私は広告というものを、ひとつのまとまった概念としてとらえたことはない。私にとって、広告はストーリーテリングであり、グラフィックデザインであり、優れたコピーライティングだ。私のルーツである『エスクァイア』やプッシュピン・スタジオのころを振り返ると、そうした美学を広告に反映させていた。いまでも私は、駆け出しのころのように、デザイナーでありエディトリアルアートディレクターだと自認している。広告を作るというよりも、ストーリーを伝えるという意識が強いように思う。
広告という職業の「豊かさ」
広告は、とかく批判されるビジネスではあるが、テクノロジーが実現し、我々にもたらした可能性により、ますます面白くなってきている。我々はあらゆる分野に関わり、それがまた圧倒的に興味深いのだ。私が駆け出しのころはそうではなかった。当時作れるものといったら、印刷広告に、テレビのコマーシャル、ラジオのスポット広告しかなかった。現在は、巨大なサンドボックスで遊んでいるようなものだ。
広告で成功するための心構え
毎日頭を使う仕事に就いている我々はラッキーだ。広告業界が非常に困難なのは、人々を喜ばせるのがとても難しいからだ。しかし、良い仕事ができれば、人は観たいと思ってくれる。逆に、下手な仕事をすると、受け入れてもらえないだろう。
私は努力する人が大好きだ。といっても、努力にかける時間の長さではなく、どれだけ気を配るかということ。一定の緊張感が不可欠で、それがフォーカスをもたらす。闘犬のような強さと集中力をもつべきだ。あきらめてはいけない。何かを掴んだら、しっかりと取り組んで形にするのだ。
それから、アイデアは必死にひねり出すものではない。散歩したり、自転車に乗ったりして気分転換をすれば、アイデアは自然にわいてくる。
Tanya Dua (原文 / 訳:ガリレオ)