米DIGIDAYの連載「広告後の人生」シリーズでは、広告業界を辞めた人々の新しいキャリアと、彼らの人生における新しい目標を追う。今回登場するのは、広告エージェンシーで食料関係の案件に関わって25年間働いたあと、児童向けの学習支援センターを開業したビル・グロース氏(64歳)だ。
DIGIDAYの連載シリーズ「広告後の人生(Life after Advertising)」では、業界で長い時間を過ごした元アドマンの話を共有している。彼らは、おそらく少しは摩耗しているが、大部分は無傷の新しい夢を抱き、新しいキャリアを築きはじめている。
64歳のビル・グロース氏はベントン・アンド・ボールズ(Benton & Bowles)、JWTといった広告エージェンシーでクールエイド(Kool-Aid)、ネスレ(Nestle)、ユニリーバ(Unilever)、ジェネラルフーズ(General Foods)といった食料関係の案件に関わって、25年間働いた。しかし、2011年の同時多発テロのあと、グロース氏は別の道を探しはじめた。コネチカット州へと引っ越し、ブルックフィールド・ラーニング・センター(Brookfield Learning Center)を開いたのだ。これは小学2年生から大学1〜2年生向けの学習指導、テスト指導のビジネスだ。
広告業界を去ってから14年が経ったあと、グロース氏はマラソンもはじめた。現在は102回目のマラソン参加を控えている。10月に出版された『50歳を過ぎてからのランニング:シニア・ランナーのためのアドバイスとインスピレーション(Running Past Fifty: Advice and Inspiration for Senior Runners)』という書籍にも登場した。
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――なぜ広告業界を去って学習指導センターを開いたのか?
25年間働いたあと、気づいたことがふたつあった。ひとつは自分のビジネスを持ちたいということ、そして自分が生み出すものが30秒のコマーシャル以上の利益を誰かに与えて欲しいということだった。誰かが言ってたのだが、人間は人生の半分を何かに費やし、後半を人生の前半にしたことを補うように費やすんだ。広告業務から学んだことを活かして、子供たちに清涼飲料水を売りつけるんじゃなくて、子供たちに教育を与えよう、と決めたんだ。
――広告業界で学んだスキルで今日も役立っているものは何か?
生徒や保護者たちと学習指導に取り組むとき、広告において自分がやったあらゆる種類のことを応用している。オーディエンスが違うだけだ。マーケットを見て、マーケット分析をして、新しいビジネスを売り込む。顧客は誰なのか? それが子どもなわけだ。誰が第二顧客なのか? それは彼らの親だ。情緒的価値は何か? 彼らの問題が解決することだ。
――学習指導センターに関する、あなたのビジョンとは何か?
テスト対策ビジネスを拡大するチャンスは非常に大きい。大学に行くことの経済的な、社会的な必要性とその深刻さは非常に大きいんだ。それがもたらす不安がどんなものか知りたければ、11年生(高校二年生)の目を見てみると良い。親なんてもっとひどい。このプロセスにおいて彼らをちゃんと、誠実な方法で助けることができるというビジネスこそが、私がもっと大きなスケールで関わっていきたいものだ。
――広告に関して何か懐かしくなることはあるか?
業界の人々だ。あの速さで動ける人々と会える業界はほかにはない。また良い広告は人々の習慣を変える力がある。しっかりと機能する広告には常に敬意を持っている。ただ、それは頻繁には起きない。
――逆にまったく懐かしく思わないことは?
正しくない物を売ろうとしている、という自覚だ。クライアントに会って、本心ではベストではないと分かっていながらも、売れるアイデアだということで売ることがあった。いまでは売っているものはすべて、自分がちゃんと信じているものだ。
――50歳でランニングをはじめたのはなぜか?
50歳の誕生日が近づいたときに、大きくなるのを見届けたいと思う小さい子どもがいたんだ。それでランニングをはじめてみたら、気に入ってしまった。いまでは14年で102回もマラソンを走ったことになる。これは異常な数だけど、広告人の性格という点では一致していると思う。何かを達成したいと思っている、興奮した人々が広告人なんだ。ゴールで倒れたらランニングは辞めにするよ。
――爆破事件が起きた年にボストン・マラソンに参加していた。そのときにゴールにはどれくらい近かったのか?
ゴールから半マイル離れた所にいた。爆発が起きたときにゴールにいなかった理由は、風に飛ばされてコースに入ってきたビニール袋で滑って大きく倒れてしまったからだ。立ち上がってまた走り始めるまで5分ほどかかってしまった。その日、誰かが見守っていたんじゃないかと思う。
Ilyse Liffreing(原文 / 訳:塚本 紺)