この10年で、デジタルネイティブブランドをターゲットに、スタートアップ特有のニーズに応えるエージェンシーが増加した。スタートアップ企業は、確立されたブランドよりも緊密な関係を望み、業務慣行も異なる。そのため、彼らと組むエージェンシー側も、彼らのビジネスのニュアンスを理解する必要がある。
2012年、クリエイティブエージェンシーのジンレーン(Gin Lane)が、男性用ひげ剃りブランド、ハリーズ(Harry’s)の商品を世に出したとき、成功の新たな方程式が誕生した。
ジンレーンの創業者2人、CEOのニック・リン氏とクリエイティブディレクターのエメット・シャイン氏は、ハリーズの創業者ジェフ・レイダー氏とアンディ・カッツ=メイフィールド氏と顔を突き合わせ、彼らの存在理由を尋ねた。当時DTC(ネット直販)ブランドだったハリーズにとって、その問いの意味は、彼らがどんな問題を解決しようとしているのか、どんな消費者をターゲットにしているのかだった。
ハリーズは、ジンレーンにとって典型的なクライアントではなかった。ジンレーンの当時の得意先は、AOLなどのテックプラットフォームや、ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)などのファッションブランドだったのだ。ハリーズの仕事は、唯一無二の挑戦だった。リン氏とシャイン氏は、まったくの白紙状態から、創業者の頭のなかにあるブランドのビジョンに耳を傾け、それを体現するデジタルブランドプラットフォームを創造する必要があった。
Advertisement
「(ハリーズの)創業者たちが携えていたのは、ブランドではなく、プレゼン資料ひとつだった。我々の仕事は、そこからブランドを抽出することだった」と、リン氏はいう。「我々は、彼らのブランドDNAをコード化する手助けをした形だ。彼らのアイデアの前に鏡を掲げたと言ってもいい」。
ジンレーンは、ハリーズのブランディングを、すべての新規クライアントが経験する8週間のプロセスを凝縮し、クリエイティブアイデンティティの形成を行った。この経験が、以後ヒムズ(Hims)、エアー(Ayr)、ロケッツ・オブ・オウサム(Rockets of Awesome)などのDTCブランドと仕事をする際の雛形になった。いまでは、ジンレーンはスタートアップブランド専門のエージェンシーだ。
この10年で、デジタルネイティブブランドをターゲットに、メディアバイイングやパフォーマンスマーケティング、戦略設計、コミュニケーションサービスを手がけ、スタートアップ特有のニーズに応えるエージェンシーが増加した。スタートアップ企業は、確立されたブランドよりも緊密な関係を望み、業務慣行も異なる。そのため、彼らと組むエージェンシー側も、彼らのビジネスのニュアンスを理解する必要がある。
消費財、アパレル、美容など、スタートアップブランドの業界はさまざまだが、いくつかの共通点がある。顧客のファーストパーティデータを保有していること、長いつきあいのエージェンシーと折り合いをつける必要がないこと、そして、デジタルでのブランディング、ストーリー、パフォーマンスマーケティングがビジネスの生命線であることだ。また、彼らは仲介業者を嫌い、外注よりもインハウス操業を優先する。昔ながらのブランドとエージェンシーの取引関係に、彼らは魅力を感じていないのだ。
しかし、彼らとてすべてを自前で済ませることはできない。そのため、DTC小売の時代にブランドの味方として自身を売り込むことに成功したエージェンシーは、業界の成長とともに、確固たる地位を手に入れた。
船頭は少なく
なかにはエージェンシーとの関係を完全に絶ったブランドもあるが、すべてのDTCブランドがこれに続くわけではない。彼らは単に、従来のビジネスモデルに魅力を感じていないのだ。
「食物連鎖が大きく変化した。着想から消費までの間に、プロダクトやブランドに関与するプレーヤーは、以前よりずっと少なくなった」と、アパレルブランド、エアー(AYR)の創業者、マギー・ウィンター氏はいう。「エコシステムのなかの誰もがそうであるように、すぐれたエージェンシーは適応し、進化した。彼らは伝統にとらわれない。小規模で、専門に特化している。没個性的な、顔のないエージェンシーとは違うのだ。従来型のエージェンシーと組めば、洗練は手に入っても、巨大な機械で加工されている気分になるし、料金も莫大だ」。
小規模ビジネスは予算も限られている。だが、そのおかげで持ち株会社の傘下の巨大エージェンシーに目をつけられずにやっていける。
「大手エージェンシーのビジネスモデルは、DTCブランドに適していない。彼らは大きすぎ、組織的すぎる。あまりにエージェンシー的なのだ」と、中小企業に出資する未公開株式投資会社オーガストスパーク(August Spark)のパートナー、マイク・キャシディ氏はいう。「革新的ブランドからみると、大規模エージェンシーは必ずしも適切なスキルを備えていない。たとえばShopify(ショッピファイ)の知識などがそうだ。それにブランドの予算規模が小さいため、大手にとって魅力的ではない」。
だが、小規模ビジネスへの投資は利益を生む。eコマース専門エージェンシーのディフ(Diff)のCEO、ベン・クルード氏は、Shopifyでのブランドのスケール化を得意とする。Shopifyは、さまざまなネットストアの設立と運営を圧倒的に容易にした。だが、売上がはじめて1000万ドル(約11億円)を超えたあたりから、事態が複雑になりはじめる。
「Shopifyはテクノロジーへのアクセスをコモディティ化し、プラットフォーム利用者が自由に使えるようにした。だが、マーチャントが一定の規模を超えると、いろいろと複雑になってくる」と、クルード氏はいう。「そこで我々の出番だ。我々は、さまざまな組織体系のなかから、もっとも効率的なものを適用し、ビジネスをひとつ上のレベルに成長させる」。
クルード氏は、月5万ドル(約560万円)の報酬を払えない企業のために、別のサービスも提供している。たとえば、発送に関する問題を解決する、専門家によるコンサルティングだ。早いうちに有効性を実証すれば、ブランドはエージェンシーへの依頼を増やす傾向にあると、クルード氏はいう。Shopifyは急成長中であり、かつ操作性にクセがあるプラットフォームなので、インハウスチームを設立するよりも、必要に応じて小規模なチームに外注するほうが理にかなっている。
ジンレーン、デリス(Derris)、イエローハンマー(YellowHammer)、エイジオン(Azione)といった、デジタルネイティブブランドと組むエージェンシーは、報酬やコンサルタント料といった従来の業務体系を見直し、より柔軟に、新興ブランドのニーズに合致した形に変化させてきた。アパレルスタートアップのエーデイ(Aday)は、インハウスに投資すべきことと外注すべきことを見定めるべく、エージェンシーとの新たな関係を常に模索している。現段階では、同社のテック部門は長期契約の外注だが、PRは最近になってインハウス化された。ペイドマーケティングについては、プロジェクト単位で判断が下される。オーガニックマーケティングはインハウスだ。エーデイの共同創業者であるニナ・ファウルハーベル氏は、従来型エージェンシーはこういった不規則性を嫌うが、小回りの利く新しいエージェンシーならば問題ないという。
「ブランドと長期的関係を構築しつつ、柔軟性を残すことは可能だ」と、ファウルハーベル氏は話す。
エージェンシー側も、若いブランドのスケール化にメリットを見出している。PR企業エイジオンは、スーツケースブランドのアウェイ(Away)、アパレルブランドのエアー、アウターウェアブランドのアライバルズ(The Arrivals)などのクライアントを抱え、スタートアップのニーズに機敏に対応することで、発展的な関係を構築している。各クライアントの要望により柔軟になったのは、腰を据えて業界にコミットした結果だ。
「社内のマーケティングやクリエイティブ担当部署の延長のように仕事ができるエージェンシーをつくる、というのが我々の発想だ。スタートアップブランドは小回りが利くので、我々も仕事がしやすい」と、エイジオンの共同創業者兼プレジデント、レランド・ドラモンド氏はいう。「従来のブランドとの仕事では、エージェンシーは受動的だ。声がかかるのは、決断が下されたあとだ。両手を縛られた状態であり、替えのきく存在とみられている。仕事の進め方がまったく違う」。
事業の核心はファーストパーティデータ
こうしたエージェンシーは、デジタルネイティブスタートアップに特化することで、データ主導のパフォーマンスマーケティング戦略の最前線で研鑽を積んでいる。
「ファーストパーティデータこそがブランド事業全体の核心だ」と、パフォーマンスマーケティングに特化したデジタルエージェンシーのイエローハンマーでゼネラルマネジャーを務めるサム・アップルバウム氏はいう。そのため、エージェンシーが依拠するパフォーマンス指標にも本質的な変化が生じた。ブランドがキャンペーンのパフォーマンスをリアルタイムで確認でき、売上の50~75%がペイドマーケティング経由となれば、「インプレッション」や「エンゲージメント」といった曖昧な言葉で煙に巻くことはできない。
「我々がブランドに提供するサービス、報告、透明性のレベルは、ブランドが内部で実行している水準に見合ったものでなくてはならない。従来のエージェンシーとブランドの関係は、関係構築と価格効率によって決まっていた」と、アップルバウム氏はいう。「それらも依然として重要だが、DTCブランドの場合、数値がものをいう。そのため、我々には数値目標に責任をもつ覚悟が必要だ。小綺麗なパワーポイントのプレゼンや、ニューヨークでのディナーを用意しても、彼らが望む事業の成果を達成できないことの言い逃れにはならない」。
ブランド戦略やストーリーに特化したエージェンシーの場合も、同様の基準が適用される。ブランドマーケティングだけが特別扱いされることはないのだ。
「我々は、『インプレッション』などの言葉に意味があるとは考えていない。こうしたブランドはDTCの商売をしているため、個々のストーリー、広告掲載、コミュニケーションの効果は目に見える。効果のあったものを繰り返すだけだ」と、総合コミュニケーションエージェンシーであるデリスの創業者、ジェシー・デリス氏はいう。「以前のこの業界には透明性など存在しなかった」
地盤固め
新興ブランドのスケール化を支援するのは、エージェンシーにとってもやりがいのある仕事だ。アップルバウム氏もデリス氏も、初期段階でブランドに投資し、成長を見守るほうが達成感があると話す。リン氏は、メジャーブランドからの依頼は断るという。
「スタートアップブランドと仕事がしたいと思うようになったのは、既存ブランドの仕事の制約の多さに嫌気がさしたからだった。ひとつが成功したことで、皆の注目を浴びた。ハリーズが大当たりして、その直後のエバーレーン(Everlane)もうまくいき、いまではこのようなブランドを市場に送り出すことが我々の存在意義となった」と、リン氏はいう。「従来のブランドはベビーブーム世代の消費者向けにできていて、事業全体が彼らの価値観や考え方に合ったストーリーに縛られている」。
デリス、エイジオン、イエローハンマーなどの他のエージェンシーも、DTCブームがもたらす売上増加に期待を寄せている。たとえ多くのDTCブランドがエージェンシーから手を引き、ペイドマーケティングをすべてインハウス化したとしても、メジャーブランドの新たなマーケティング戦略を支援するというビジネスチャンスが生まれると見ているのだ。
「どんな分野であれ、実店舗売上の低迷を目の当たりにしている従来ブランドの多くは、DTCの強化を考えている」と、アップルバウム氏はいう。「そしてかれらは、従来型エージェンシーはこの新展開に適任ではないと考えている。つまり、我々に声がかかるということだ。彼らもDTCブランドのようなマーケティングを実施し、トレンドの恩恵にあずかりたいと考えていて、我々はそれを実現できる。我々は、これこそが業界の未来だと信じ、大きな自己投資をしているのだ」。
Hilary Milnes(原文 / 訳:ガリレオ)