2016年2月、私は電通役員の方々の前でプレゼンしていた。その2カ月ほど前の2015年12月、高橋まつりさんの過労死自殺事件があった。時期的に、電通が私を呼んだ理由は明らかだ。「あのタイミングで、電通の役員の方々に、何を語るべきだったのか?」。ーー有園雄一氏による寄稿。
本記事は、zonari合同会社 代表執行役社長/アタラ合同会社 フェローの有園雄一氏による寄稿コラムとなります。
「もういい。すべてが疲れた。飛び降りよう」。夏の夜の蠍座が、妖艶、かつ、鮮明だった。その刹那、私の身体のなかで、プチっと何かが切れたようだった。意識と魂をつなぐ糸のような何か。凧糸が切れて空を漂うように、ふわふわと私の魂が、意識から遊離した。
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私の脳内で、鹿児島市立病院の5階のベランダから飛び降りた。だが、車椅子と一体化した身体が、意識と魂との遊離に抵抗する。両脚がギプスで固定され動けない。飛び降りかけた束の間、私の魂は、我に返った。「いまの自分は、自力で立って、ここから飛び降りることすら、できない」と自虐的に冷笑した。19歳の夏の思い出だ。
石油を運ぶタンクローリーとの交通事故で入院した私。手術直前に、「左脚の血管をつなぐ手術をします。万が一の場合、膝から下に血が流れなくなる。そのときは、切断します」。そんな感じの説明を医師から受けた。そして、手術後に、「手術はうまく行きました! でも、すぐに歩けるか、分かりません。リハビリ、頑張りましょうね」と。
もう二度と…魂が願う
あれから25年以上、2016年2月、私は、電通の山本敏博社長(当時、常務執行役員)や大山俊哉氏(当時、デジタル担当執行役員)、その他7〜8名の電通役員の方々の前でプレゼンしていた。
お題は「有園さんから見た、電通の悪いところをすべて教えてください」だった。私はGoogleなどに在籍し、かつ、電通・博報堂やネット専業代理店とも仕事をしてきた。その経験から、電通のデジタル領域を、どのように改革すべきか、意見を聞きたいとのことだった。
その2カ月ほど前、2015年12月、高橋まつりさんの事件があった。時期的に、電通が私を呼んだ理由は明らかだ。だが、その時点では、つまり、私が電通の改革案を山本社長にプレゼンした時点では、私の耳には、事件の情報は入っていなかった。
私は、しばらくしてから、高橋まつりさんのことを知った。そして、「そうだったか。あのタイミングで、電通の役員の方々に、何を語るべきだったのか?」と自問しつつ、私の脳裏には、自殺しようとした瞬間の、すべての苦悩から解放されるような、幻想的な蠍座が投射されていた。
「もういい。飛び降りよう」と思ったとき、たしかに、私は、一瞬、楽になった。「飛び降りよう」と思っても、飛べなかった自分。飛び降りてしまった、高橋まつりさん。同列に扱うこともできないし、高橋まつりさんの気持ちが分かるとか、言うつもりもない。
ただ、事件をきっかけに、電通から意見を求められた。この偶然は、私の魂に、何かを刻み込んだ。自分の自殺未遂体験を勝手に重ね合わせて、もう二度と、電通から過労死を出したくないと、魂が願う。
「電通を変えたい」
2016年6月、電通の山本社長と大山俊哉氏と3人で会食し、電通デジタル(2016年7月設立)で「何らかの役割を担って欲しい」と打診され、「はい」と即答した。
この会食の席で、事件のことは一切、話題になっていない。ただ、「電通を変えなければならない」というふたりの脳波が、私の脳波に伝播し、共鳴していたように思う。その結果、「電通デジタル客員エグゼクティブコンサルタント」という肩書きで、電通グループの支援をすることになった。「外部の人の目を入れないといけない。電通の外の人からみて、適切かどうか」。そういう判断基準を、少しでも導入したいということだったと思う。
2018年1月、私は、電通総研カウンセル兼フェローの一人になった(参考)。はじめに、フェロー全員が集まった場所で、山本社長から挨拶があった。フェローへの要望として、「できる限り、何でも自由に発言し書いて欲しい。電通のことを気にせず、電通の顔色を伺うことなく、自由に執筆・発言して欲しい」とのことだった。この電通総研のフェローも、電通の外部の人々を入れている。外部の目を入れて、外部の意見に耳を傾けていこう、という山本社長の意図が反映されていたと思う。
あれ以来、山本社長のお言葉通りに「電通の顔色を伺うことなく」自由に執筆する記事を書きたいと、私は思ってきた。それが、山本社長の「電通を変えたい」という思いに沿うこと、そして、私にできる恩返しでもある。
そこで、山本社長のお言葉から1年半以上経ってしまったのだが、きょうは、できる限り、自由に書いてみたいと思う。
新聞社役員たちの電通観
今年5月、日本新聞協会から依頼があり、私は、内幸町の日本プレスセンタービルで講演を行った。タイトルは「情報銀行とメディアビジネス」、日本全国の新聞・通信55社の電子メディア担当の役員などが聴講者だった。講演後に、10名前後の方と意見交換をしたのだが、そのなかの数人が異口同音に言った。「電通さんも、変わりましたよね」と。私が、電通デジタルの肩書きを持っているので、電通のことが話題になった。
「えっ、電通の何が変わったと思っていらっしゃいます?」と、私が聞き返す。すると、「いやー、働き方改革の影響で、みんな夜10時に帰るじゃないですか。昔の電通とは大違いですよね」と。
高橋まつりさんの不幸の後、電通本社ビルの電気は毎日、夜10時には消えている。たしか、夜10時から朝5時まで業務は禁止だ。
そして、年配の新聞社の方々が、饒舌にいろいろと話してくれた。
「昔は、スゴかったですよ。いろんな意味で。夜中の12時ごろまでお酒を一緒に飲んでいたのに、その後、電通の人はオフィスに戻って、朝まで仕事しているなんて、よくありましたから」。
「それに、いまより、もっと恐かった。枠の料金交渉をしようとしたら、『電通と交渉するなんて、お前も偉くなったものだな。お前のところの、役員に言っとくぞ』とか言われて、その圧力が半端なくて、ビビってました(笑)」。
「でも、電通の人は、みんないい人なんですよね。心根は優しい、親分みたいな。昔は、電通に頼っていれば、心配しなくても、新聞広告は売れたんですよ」。
その一方で、ある人が言った。「ただ、新聞社は電通に見放された。電通は、昔みたいには、もう売ってくれない。本当は、電通に新聞社のデジタル化を助けて欲しいんですけど、ね」。
私は答えた。「いえ、電通は新聞社を見捨てないと思います。新聞社は、電通の黎明期からお世話になった方々。それに、新聞が、日本の、言論の自由とジャーナリズムを支えてきた。だからこそ、私は、皆さんのところに足を運んだのです。まだ時間はかかると思います。でも、必ず、電通は変わります。新聞社やテレビ局のデジタル化の支援ができるようになります。デジタルの分かる若い優秀な人材が、どんどん入社していますよ。私は、『山本社長が電通を変える』と信じています」。
意見を言い合える文化
YouTubeに山本社長の記者会見の様子が載っている。この会見の数日後に、私は、電通本社のエレベーターホールで山本社長にバッタリ会った。山本社長の顔には疲れが見えた。私は「会社のためとはいえ、大変なお仕事、ご苦労様です」と挨拶をした。山本社長は、「いえいえ、皆さんにもご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」と言った。
私は、その時の山本社長の眼光が忘れられない。顔は明らかに疲れていたが、彼の眼差しは、泰然自若としつつも、信念が煥発していた。その瞬間、「この男は、絶対にやるな」と私は直感した。
新聞社の方々が言うように、電通は、明らかに変わった。少なくとも、労働時間は変化した。だが、いま、山本社長は、高橋まつりさんの墓前で、何を語れるだろうか? 「長時間労働は少し改善されたと思います。でも、まだまだ、道半ばです」という感じではないか?
まず、電通の企業文化は、私の目線では、あまり変化していない。企業文化というと、いろいろな観点があるが、私が問題だと思っているのは、自由で闊達な意見を忌憚なく言い合える文化が、電通には、あまりないということだ。
私は、2012年と13年、博報堂/博報堂DYメディアパートナーズと契約していた。赤坂の博報堂に私の席もあり、毎日のように通っていた。また、2005年と06年は、オーバーチュア(現、Yahoo! Japan)の社員として博報堂に常駐し、このときも、毎日通っていた。
その博報堂と電通を比較して、もっとも違うと思うのは、やはり、自由度だ。博報堂の方が、自由な雰囲気がある。おそらく、博報堂は「2番ぐらいがいい」という意見の人が多いので、気が軽いのではないか。電通の汐留本社は、エレベーターホールに入った瞬間から、空気が鈍よりとして重い。会社全体に流れる「気の流れ」が、博報堂より重いのだ。
さらに、私はGoogleにいたのでシリコンバレーの文化に触れてきた。そこと比較すると、電通は、典型的な日本企業で、上下関係と緊張感がある。
もちろん、電通のなかでも、上司に意見をする人がいる。だが、それは、比較的、気の強い人にみえる。たとえば、私の感覚でいえば、電通は10人のうち2人が自由に意見を言う、博報堂は10人のうち5人、そして、Googleは10人のうち8人が、自由に意見する。そんな感じだ。
電通のなかには、この息苦しさを当然と思っている人、あるいは、息苦しさに気づいていない社員が多いようだ。そこに悪意はないのだが、この息苦しさが、高橋まつりさんの不幸などにもつながったのではないか。だから、この企業文化にも、必ず、メスを入れて変えていくべきだ。
1位への強いこだわり
電通のエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター、古川裕也さんという業界では超有名な人がいる。昨年、フィンランドとエストニアへの視察ツアーで彼と一緒だった。彼とは、フランス・カンヌの広告祭で挨拶した程度の関係だったが、この視察ツアーは5泊ほど一緒で、ランチや夕食の折に話を聞くチャンスがあった。彼の著書『すべての仕事はクリエイティブディレクションである。』を拝読していたので、フィンランドでお酒を飲みながら、本の内容について質問し、彼の仕事の仕方やスタイルについても質問させて頂いた。
古川さんと話して、私なりに分かったことは、この人は、突き抜けているということだ。でも、おそらく、努力の人だ。たとえば、「カンヌで賞を取るにはどうすればいいか?」と、私は質問した。
古川さんは、過去の作品にすべて目を通し、毎年の傾向を独自に分析し、今後の流れを読む、ということを長年やっているようだ。すると、その流れに対して、どんな要素を付加すると賞を取れるかが分かると。分かったら、あとは、自分の個性を信じて、「そうきたか!」と世界に言わせるか。彼の話は、予想以上にロジカルで、かつ、最後の最後で、「自分の魂を信じて」いた。世界を相手に、自分の魂で突き抜ける。だからこそ、カンヌの審査員にもなるのだろう。
私は、この古川さんのスタイルにヒントがあると思った。なぜなら、Googleも突き抜けた人が多かったからだ。本社のマウンテン・ビューに行くと、ディスラプター(Disrupter:破壊者)であろうとするGooglerで溢れている。彼らは、「世界は本来、どうあるべきか」を自問し、世界を「あっ!」と言わせるプロダクトを作ろうと、楽しみながら仕事をしている。世界を相手に、「自分の魂を信じて」仕事をすると、徹夜でプログラミングをしても、ストレスがあまりないのではないか?
世界的なファッション・デザイナー山本耀司氏の著書『服を作る モードを超えて』に、私の好きなフレーズがある。
僕は職人です。クラフツマンです。楽しんでいます。自分の手から出ていく魂を信じています。<中略> そういう僕が対抗しようと思っているのは、たとえば、法隆寺の五重塔。職人が木を見定めて、何百年ももつ建物を建てる。それと同じ感覚です。(p181-182)
私の知る限り、電通には1位に対する強いこだわりがある。博報堂との大きな違いはここだ。もちろん、だからこそ、業界1位なのだと思う。しかし、1位になるためには手段は選ばない。若い社員が長時間労働で鬱病になろうとも、とにかく1位になればいい。極端にいうと、そんな感じが否めない。
だけど、そこには、魂がない。
「靴でビールを飲む」
博報堂との比較の問題だが、電通の仕事には、虚勢は感じても魂を感じないことがある。あるいは、Googleには、「テクノロジーで世界を革新する」という信念を持っている人はいても、「売上1位になれ!」という人はいなかった。
そもそも、2009年まで、Googleには正式な予算がなかった。2009年にCFOがはじめて入ってきて、「みなさん、Googleにも予算を導入します!」と宣言したのだ。だから、それまでは、売上目標は目安に過ぎなかった。
電通の場合、山本耀司氏のいう「自分の手から出ていく魂を信じて」という感覚がない(組織として感じないが、個人的に持っている人はいる)。
どっちかというと、1位になるためには、自らの「魂を売り渡して」でも、目的完遂する。でも、そうすると、仕事は楽しくなくなる。
1位のために魂を売る。だから、新聞社の人から「電通に見放された」と言われてしまう。業界1位になるためなら、成長するデジタル領域を優先し、新聞社のことは見捨てるのか?
「靴でビールを飲む」という伝説があるが、自らの「魂を売り渡す」からできるのだ。
自分の魂を大事にしながら、仕事を楽しんで、かつ、世界をあっと言わせる五重塔を建てようと努力する。「自分の手から出ていく魂を信じて」全力を尽くす、そして、あとから、1位という結果がついてくる。その方が、仕事は楽しいと思う。山本耀司氏の「楽しんでいます」という言葉、溌剌颯爽として格好良い。
電通なら、絶対に、変われる
ソクラテスは、「人生の目的は魂の世話をすること」と言った。1位じゃないと魂が満足しないというタイプはいいが、すべての電通社員が、そういうタイプでもないだろう。社員一人ひとりが自分の魂の世話をする。その結果、たまたま、1位が転がり込んでくればいい。それが、社員の命を大事にすることではないか?
「革新の鍵は、捨てることにある」と、ピーター・ドラッカーは言った。電通は何を捨てるべきなのか。そのひとつは、「業界1位の脅迫観念」ではないか。そして、ほかにも捨てるものがありそうな気がする。
私は、「電通なら、絶対に、変われる」と思っている。社員一人ひとりは、性格もいいし頭もいい。やれば、できる。社員を幸せにし、そして、社会も幸せにする会社に、きっとなれる。だから、次回も、書いてみたいと思っている。
Written by 有園雄一
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