THE CONFESSIONS

「米議会襲撃があっても、我々はプロでなければならない」: あるデジタルエージェンシー幹部の告白

今月6日、米連邦議会議事堂でトランプ大統領の支持者による乱入事件が起きた際、エージェンシーの幹部やマーケターたちは、特にソーシャルを中心として、有料広告に待ったをかけた。広告の一時停止という措置は、危機に直面したマーケターたちにとって、いまや教科書的な手続きの一部となっている。新型コロナウイルス感染症の大流行と昨夏の社会不安から学んだ教訓のひとつだ。

エージェンシーで働く者たちにとって、ソーシャルメディアや仕事中のパソコン画面の片隅で、ぞっとするような危機的情況がリアルタイムで展開されるなか、クライアントの案件に集中し、成果を挙げつづけるのは厳しいことかもしれない。匿名を条件に本音を語ってもらうDIGIDAYの「告白」シリーズ。本記事では、外部的な混乱に気を取られながら、クライアントの期待を管理することが日常化しつつある現状について、あるデジタルエージェンシーの幹部が語ってくれた。

なお、読みやすさを考慮して、掲載内容には若干の編集を加えている。

−−日々の業務に支障は出ているか?

明らかに、たいへんな毎日だ。目がまわるほど忙しい。やるべきことがたくさんあって、それは良いことでもあり、仕事に没頭していれば気もまぎれる。だが、難しい側面もある。というのも、私の仕事の大半は、人の創造性を喚起することであり、創造性を司る脳の部位をぞんぶんに使うことだというのに、その脳の大部分が「新しい政権はちゃんと機能するのだろうか?」という疑問で占められている。容易にはいかないこともある。私はチームをひとつ任されているが、チームに所属する部下たちには、クリエイティブな仕事をしているという自覚がある。それでも、この混乱に対して抱く感情と、[自分たちに何ができるかという]現実の狭間で、なんとか折り合いをつけながら、日々の仕事をこなしている。

−−部下と語り合っているか?

皆、この問題について語りたがらない。傷つきやすくて特に気遣いが必要な人物と思われるのは嫌なのだろう。スタートアップの世界にルーツを持つ会社で働いているならなおさらだ。私はこちらから積極的に、「こういう状況だから、(いまの作業に)もうちょっと時間がかかりそうなのは分かっているよ」と言ったりしている。そうすることで、彼らに寄り添う気持ちが伝わればよいと思う。

−−従業員が仕事に集中できず、作業にいつもより時間がかかるとして、クライアントの理解は得られるか?

得られるとは思えない。そう考えると、私たちの扱う分野がソーシャルであることは、まだしも救いだ。ソーシャルは時代の空気に左右されやすい環境にあり、それはスケジュールにも反映される。現状では、[ソーシャルで新しい企画を打ち出すのは]タイミングが良くない反面、見方を変えれば、「もう2、3日様子を見ましょう、何事も拙速に進めてよいことはありません」と言うこともできる。

「こういう状況だから、いつもより時間がかかる」という言い分が、必ずしも正しいとは思わない。私たちは常にプロ意識を持っていなければならない。それが現実だ。ビジネスでは、人の心の健康は必ずしも最優先事項とは見なされない。誰もが私たちと同じ意識を持っているとは限らないことを認識する必要がある。

−−議事堂での暴動は支離滅裂だったが、昨年はコロナ禍や社会不安が蔓延し、従業員が危機のなかで働くことが普通になりつつある。これは新たな日常となるのだろうか?

カオス時計の目盛りが11時まで進んだら、それが5時に戻ることはあるのだろうか? あるいは、11時が新しい5時になるのだろうか? 答えは「分からない」だ。昨年3月、あらゆる物事が変化したことによって、私たち自身の物事の進め方にも変化が迫られた。そのような混乱のさなかで生産性を維持するのは本当に大変だった。9月とか10月になる頃には、口にするのも厭わしいが、ある意味、新型コロナウイルスはもはや未知の脅威ではなくなり、いわば日常の背景になってしまった。そして政情不安もまた、規則正しく鳴り響く太鼓の音のように、やがて慣れれば気づかなくなるものなのだろうか。そうでないことを願うばかりだ。だが、私たちがその音に対して耳を塞ぎ、民主主義の崩れゆく音さえも、日常的な雑音に成り果てるという暗い可能性も常に存在している。

−−あなたはソーシャルメディア業界で仕事をしている。ソーシャルメディアは今回の事件で大きな役割を果たした。それはあなた自身やあなたの同僚に、どのような影響を与えているか?

プラットフォームのリーチやパワーが拡大するに伴って、ソーシャルの世界に常に存在していた問題の種も拡大している。そしてプラットフォームは、その問題を見て見ぬふりをしたり、あるいは積極的な対処を怠っている。ほんとうにがっかりだ。私には、プラットフォームで働く多くの友人や知人がいる。彼らは、今回の結果を招くまでに、自分たちの会社が、あるいは自分たち自身が果たしてきた役割に心を痛めている。その痛みは察するにあまりある。ある友人たちは「Facebookで長年働いている」と誇らしげに言っていたのに、いまでは「石油会社で働いている」というのと同じ気分だろう。それは大きな変化だ。彼らにとっては、この問題と向き合う良い機会かもしれないが、自分たちの責任については、どうか現実的に見てほしい。

−−彼らにどのような変化を望むか?

私はけっこうな年齢で、ソーシャルの仕事を始めた当時、掲示板もまだ存在していたし、そこでのコミュニケーションはしっかり管理され、節度が保たれていた。管理がコミュニティ任せになることもあったが、管理されていたことは確かだ。一定のルールがあって、チャットで不適切な発言があれば、鉄槌がくだる。もしかしたら、悪いモデルではなかったかもしれない。そんな古い話を持ち出すなと言われるだろうか。広く採用するのは難しいだろうか。一考に値すると思うのだが。

[原文:‘The reality is we have to be professional’: Confessions of an ad exec on working amid the chaos at the Capitol

KRISTINA MONLLOS(翻訳:英じゅんこ、編集:長田真)