コロナ不況と「仕事」の意味:電通・Google・カントに共通すること

本記事は、zonari合同会社代表執行役社長/電通総研パートナー・プロデューサーの有園雄一氏による寄稿コラムとなります。

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「世界で、いちばんクリエイティブな仕事は、なんだと思う?」。予想外の問いかけに、私の脳は、否応なく、回転する。だが、ただ回り続けるだけ、答えらしいものは出てこない。

25年以上前、「電通って、すごいな」と、はじめて思った瞬間だった。

学生時代、私は、アナウンス研究会というサークルで「スポット・アナウンス」を研究していた。「スポット・アナウンス」とは、テレビ・ラジオのCM原稿やスポットニュース原稿を読むことだった。それをプロのアナウンサーのように読む。私は、アナウンサー志望ではなかった。だから、どちらかといえば、CM原稿を書いて遊んでいた。

そのサークルのOBが、電通の人を紹介してくれた。おそらく、彼は、OB訪問の感覚で、私のために時間を割いていた。実は、私に就職希望はなく、大学院留学したのだが、それでも、それは、「仕事(仕える事)」の本来の意味を、私に気づかせた。

「正直いって、わかりません」と、私は答えた。

彼は言った。「世界で、いちばんクリエイティブな仕事。それはね、宇宙を創ることだよ」と。

私の心は、一瞬、距離をおいた。だが、彼の存在感は、その後、私を征圧した。

「宇宙を創った人がいるとして、それは神かもしれない。だが、その人は、なにも見返りを求めない。わかるか? たとえば、太陽はただひたすらに燦々と光を照らす。相手が善人でも悪人でも独裁者でも奴隷でも関係ない。なんの見返りもないのに、すべてを与えてくれる」。

自分のために働くのではない。他者のために全力を尽くす。仮に見返りがなかったとしても、他人のために、できることを見つけて、最善を尽くす。「創造する」とは、そういうこと。それが、もっともクリエイティブな仕事になる。その心構えがある限り、どんなことでも、クリエイティブな「仕事」になり得る。そういう話だった。

その語り口に偽善はなかった。彼の静かな熱意は、いままさに、目の前にいる私(他者)に向かって、全力を尽くしていた。

私は思った。「電通、そこには偉大な人がいる」と。

「自分の創りたいものを、創るんじゃない」

あれから四半世紀、書籍『すべての仕事はクリエイティブディレクションである。』が、私に刺さった。

クリエイティビティを必要としない仕事なんか、この世にない。それは、ビジネスに限らない。人生における多くのことが、この原理に基づいているのではないだろうか。子どもをつくり、育てること。家庭をマネージすること。年老いて心身にいくつかの問題を抱えている両親と暮らすことなど。これらはどれも、人間にとって、いちばんクリエイティブな仕事だ。それは、最初はなんだか茫漠としている。けれど、その中から、いちばん本質的で実際にできることを発見し、ひとつずつ、丁寧に解決し、形にしていく。

この本の著者、電通の古川裕也さんとは、2018年の視察ツアーで一緒だった。GDPRの施行日に合わせて、フィンランドとエストニアを視察した。古川さんは広告業界では有名なクリエイターで、カンヌの広告祭などで審査員を務めていた。ツアーの最後の夜に、フィンランドの首都、ヘルシンキで会食させていただくチャンスがあった。私は、ここぞとばかりに、いろいろと、質問をした。

そして、思い切って、聞いてみた。「どうやったら、カンヌで賞を獲れるんですか? 何かコツとかあるんですかね?」。

古川さんは、ワインを飲みながら、独自の方法論を話してくれた。それは私にはもったいない、貴重な話だった。でも、自分はクリエイターではない。実践できることは少ない。最初はそう思った。しかし、それは間違いだった。

彼の次のような言葉で、遠い学生時代の記憶が蘇った。彼は言った。

「必ずしも、自分の創りたいものを、創るんじゃないんだよ」。

クライアント(他者)のために、その課題を解決する目的で、仕事をする。古川さんは、暗示的に、他者のために仕える事、それが「人間にとって、いちばんクリエイティブな仕事だ」と語った。

「そうか、それが、コツなんだ」。カンヌで賞を獲る人は、他者のために仕事をする。そこが、試される。

自分のために、自己中心的な心構えで、クリエイティブを創っても、独りよがりになる。そんなもの、面白いはずがない。電通の本物のクリエイターに、脈々と受け継がれるもの。そのDNAを、ヘルシンキの夜風に、感じた。

「そして、周囲の人を幸せにすること」

実は、Googleでも似たような経験をしたことがある。それは、マリッサ・メイヤー(Yahoo!の元CEO、Googleの元VP)と話したときだった。

プロダクトおよびユーザーエクスペリエンス担当のVPだったマリッサは、その当時、新しく入社したプロダクト担当社員を20人ほど連れて、毎年、ワールドツアーをしていた。海外のGoogle支社を回るのだ。その一環で、ちょうどその頃、来日していた。

たしか、2007年だ。Google Japanのカフェでマリッサは、「May I …?」と私に言った。私は「Sure, take the seat!」と返した。彼女は、目の前に座った。マリッサと話したのは、それが最初で最後だ。

彼女は自己紹介した。当然、私も「My name is ….」と答えた。が、その後、会話が続かない。どうしよう。微妙な沈黙のあと、私は適当に質問をした。

「ところで、Googleのマネジャーにとって、もっとも重要なことは何でしょうか?」(What is the most important thing for us, the managers of Google ?)。

すると、彼女は、少し間を置いて、真剣に話しかけてきた。彼女は言った。

「Be Happy, Make Happy」。
(まず、あなた自身が幸せであること。そして、周囲の人を幸せにすること)

『1兆ドルコーチ』のビル・キャンベル

Googleの元CEO、エリック・シュミットらの著書『1兆ドルコーチ』に、マネジャーの最優先課題が書いてある。

すぐれたコーチは選手をどうやってよくするかを、夜も眠らずに考える。選手がもっと力を出せるような環境をつくることに喜びを感じる。<中略>ふつうの人は、他人をよくする方法を考えるのに時間をかけたりしない。だが、コーチはそれをやる。<中略>ビルの答えはいつも同じ、部下のしあわせと成功だった。あらゆるマネジャーの最優先課題は、部下のしあわせと成功だ。

『1兆ドルコーチ』はビル・キャンベルについて書いた本だ。ビル・キャンベルは、スティーブ・ジョブズ、エリック・シュミット、ラリー・ペイジなどのコーチだった。シリコン・バレーで「師匠」と仰がれた人だ。この本のなかには、マリッサ・メイヤーとビル・キャンベルのエピソードも出てくる。

「マネジャーの最優先課題は、部下のしあわせと成功だ」というとき、部下とは他者である。他者の幸せのために全力を尽くす。そして、その成功を一緒に喜ぶ。他者の喜びを、自らの喜びとするとき、マネジャー自身も幸せを感じる。「Be Happy, Make Happy」で、マリッサが私に教えてくれたことだった。

マリッサ・メイヤーはきっと、ビル・キャンベルの成功の教えを、私にも伝授しようとした。Googleの初期の幹部は、部下(他者)の幸せを目的に仕事をしていた。だから、急成長したのだと思う。

昨年(2019年11月)、電通グループの山本敏博社長に、この『1兆ドルコーチ』を手渡した。もともとは、電通総研に関する相談の場だったのだが、電通のホールティングス体制発表直後だったため、その体制移行の狙いなどが話題の中心になった。

「今回のホールディングス化は、電通の歴史に残りますね」と生意気にも、私の意見を述べた。そこでの山本社長の言葉を書くことは避ける。ただ、新体制の目的は、未来の電通グループの社員(他者)のため、メディアと広告業界で働く人々(他者)のため、そして、日本経済(他者)を支えるためだ、と私は解釈していた。

『1兆ドルコーチ』を渡したのは、電通にもGoogleにも、他者の幸せを目的に生きる人がいる。その姿勢は共通している、と感じるからだ。

電通とGoogleの仕事観が大切

ところで、いま、世の中は、コロナ不況に突入したといわれている。私は、この不況の世界では、電通とGoogleの「他者の幸せを目的にする」という仕事観が必須であると考えている。それが、世界を平和にするはずなのだ。

コロナの影響で、中国に対する社会的批判、国際社会の圧力が高まった。それ以前から、米中は激しい貿易戦争を展開していた。

そのような不穏な空気に、戦争の気配を感じる人もいる。たとえば、私のGoogle時代の上司、村上憲郎さん(元Google米国本社副社長兼Google Japan代表取締役社長)は、電通総研インタビューで次のように話していた。

僕からは、第三次世界大戦のプレーヤーがそろってきているようにも見える。世界大戦を避けるためには、原因となっている食料とエネルギーをなんとかしないといけない、と思っています。

さらに、新型コロナウイルスの流出元として武漢の研究所が疑われ、米国だけではなく、多くの国が中国との距離を置きはじめた。たとえば、日経の記事「『コロナ米欧連合軍』の幻におびえる中国の被害者意識」によれば、中国の流行初期段階の情報開示や損害賠償の請求などの具体的な動きが、西側諸国(自由主義陣営)から出てきているようだ。

ユヴァル・ノア・ハラリの懸念

また、今回のコロナ不況は、1929年の世界恐慌を超えるとの論調が多い。歴史を辿ると、世界恐慌、第二次世界大戦とつながった。

ユヴァル・ノア・ハラリは、「我々の世代の最大の危機」として、先日、Financial Timesに寄稿した。

その記事は、「Yuval Noah Harari: the world after coronavirus」だ。

ハラリは、「全体主義的監視と市民の権限強化」「国家主義的孤立とグローバルの連帯(国際協調)」を対立軸にあげ、ウイルスとの戦いで、人類が国家主義的な超監視社会に舵を切ることを懸念する。

ハラリの懸念はもっともだ。そして、大事なのは、全体主義的監視や国家主義的孤立は、過去の歴史では、ナチスドイツや戦前の日本に共通する道であり、戦争の導火線になってしまうことだ。

世界恐慌と第二次世界大戦の荒廃のあとで、新しい世界秩序構築の理念になったのは、ドイツの哲学者、イマニュエル・カントだった。カントは『永遠平和のために』(1795)で、国際連合の理論的根拠を論じた。国連構築の根拠は、カントの以下のような理念に求められていた。

人間および一般にすべての理性的存在者は、目的自体として存在し、誰かの意志の任意な使用のための手段としてのみ存在するのでなく、自己自身に対する行為においても、また他のすべての理性的存在者に対する行為においても、常に同時に目的として見られねばならない(『プロレゴーメナ 人倫の形而上学の基礎づけ』カント著/中公クラシックス)

これは、一般的に、「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」と表現される。

他者を監視の対象にする意味

たとえば、戦争で他国を侵略するとき、他国(他者)を単なる手段として扱った。攻撃し略奪する対象物とみなした。自国の利益や幸福(目的)のために利用する手段として他国を扱い、搾取する。他者の目的(他国の幸福)を考慮していない。それでは、世界は崩壊する。それがカントの言いたいことだ。

あるいは、ウイルスとの戦いで、他者を監視の対象にする。それは、他者を手段として使うことだ。それも、自分を目的とし、自分をウイルスから守るために。それではいけない。他者もウイルスから守ってあげる必要がある。つまり、もし、他者を監視の対象にするのであれば、それと同時に、自分も監視の対象にして、そして、その情報を相互に共有し、お互いがお互いを守ってあげられるようにする。

ここで大切なのは、「のみならず」ということだ。お互いを「手段」としながらも同時に「目的」とする。それが、相互の監視と相互の情報共有で重要なことだ。

世界恐慌、第二次世界大戦という激動の歴史のなかで、戦争の火蓋を切る前に、もし、国際世論が、このカントの理念に傾注していれば、と思う。そうすれば、あのヒロシマ・ナガサキのような結果をもたらす必要もなかったのではないか、と。

相互依存の世界に生きている

Google時代の同僚には、中国人の人もいた。彼らはみな、礼儀正しく、フレンドリーで、協調性のある人たちだった。中国共産党のイメージとは異なるのだ。決して力を誇示するような人々ではなかった。

だから、思うのだ。いま、中国を批判するのは簡単だ。もちろん、中国も情報開示やウイルスの管理責任などは問われるべきだとは思う。しかし、あくまでもそれは、中国の人々の幸せのためだ。そして、我々自身の為でもある。

我々は、相互依存・相互扶助の世界に生きている。

いま、あらためて、カントを思い出すのだ。世界平和のために、国際秩序としては、カントの理念「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」を再確認するときだ。そして、ビジネスにおいては、本物の電通人やGooglerに共通する価値観、「他者の幸せを目的に」仕事をするべきだ。

それが、コロナ恐慌を回避し、世界を救う道ではないか。

いま、我々に必要なこと

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、難聴に苦しみ、晩年は、自分の耳で演奏を楽しむことはできなくなった。だが、彼は、曲を書き続けた。そして、彼は言った。

人々のために、曲を書くときのほうが、そうでないときよりもずっと、美しい曲を書くことができる。(P74 『美しい絶景と勇気のことば』)

他者を目的とする、他者の幸せのために仕事をする、他者のために曲を書く。ここに真理があるように思えてならない。それが、いま、我々に必要だと思う。

Written by 有園雄一
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