先行きが不透明な時は往々にして、プライベートエクイティ(未上場企業の株式)投資家にはチャンスの時だ。そんな、彼らが広告業界に目を付けているのもうなずける。その標的は、エージェンシー持株会社だ。
先行きが不透明な時は往々にして、プライベートエクイティ(未上場企業の株式)投資家にはチャンスの時だ。そんな、彼らが広告業界に目を付けているのもうなずける。
その標的は、エージェンシー持株会社だ。
最大手のひとつ、ピュブリシス(Publicis)は、同グループがとあるプライベートエクイティ投資家と取引の可能性について話したとするキャンペーン(Campaign)の報道を否定したかもしれないが、こうした会話はいま、当然のように行なわれている。
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「その手の会話は、持株グループと同じ状況に置かれている大企業にしてみれば、通常業務だ」と、M&Aアドバイザー、ウェイポイント(Waypoint)のパートナー、ジム・ホフトン氏は言う。
エージェンシー持株グループは、図体の大きな、古色蒼然とした企業集団かもしれない。だが、エクイティインベスターにとっては、言うなれば、猫にとってのマタタビ的存在にほかならない。つまり、サヤ取りの恰好の標的なのだ。
ピュブリシスだろうが、IPG(インターパブリックグループ)だろうが、エクイティインベスターにしてみれば同じであり、まずは比較的安値で買い、続いて資金を大量に動かし、マージン率を可能な限り上げておいて、頃合いを見計らって売り払う対象でしかない。割安な資産のうまみを味わうのは、プライベートエクイティ投資家の常道だ。
確かに、いま現在、エージェンシー持株会社の業績は芳しくない。だが、抜け出せないほどの苦境に陥っているわけでもない。もしそうであれば、エージェンシー持株会社の最大手上場企業4社のオーガニックグロースは、発表されている1桁台前半の数字をはるかに下回っているはずだ。
この先必ず、勝者と敗者を生む
では、視点を変えてみよう――エージェンシー勢がいま強いられている苦難は、この先必ず、勝者と敗者を生むことになる。そしてどちらにせよ、プライベートエクイティ投資家はそれを金に換えられる、というわけだ。
「この手の取引は未曾有ではあるが、借入費用が低く、プライベートエクイティ投資家に動かせる資金が潤沢にある現況に鑑みれば、あり得ない話ではない」と、ハンブルクに拠点を置く投資銀行ベレンベルク(Berenberg)のアナリスト、サラ・サイモン氏は言う。「こうした取引の場合、エージェンシー持株会社は株式市場を一時離れ、再び戻ってくる公算が大きい――買収されなければ、の話だが」。
プライベートエクイティ投資家への接近を報じられたエージェンシー持株グループは、いまのところピュブリシスだけかもしれないが、どのグループにも、こうした取引に賛成および反対するそれぞれの理由がある。
分析の概要は以下のとおりだ――ピュブリシスは競合他社よりも安く買えるうえ、再建計画をかなり真剣に考えていると言われているが、データ分析の推進を狙ったイプシロン(Epsilon)の買収と、業務改革を図るためのAI、マルセル(Marcel)への投資の妥当性については、いまだ疑問が残る。WPPの成功は、その大半がライバルを蹴落として新たな買収対象を手に入れる能力によるものだが、彼らには世界最大のメディアバイイングエージェンシー、グループエム(GroupM)のおかげで、潤沢なキャッシュフローを生める。オムニコム(Omnicom)とIPGの後継者育成計画にはいくつもの疑問があり、そこにプライベートエクイティ投資家が付け入る隙が生じる可能性はある。だがその一方、彼らを買収するには、ヨーロッパにおけるカウンターパートと少なくとも同程度のコストがかかると思われ、それゆえ、サヤ取りの対象として魅力に欠けるとも言える。
「プライベートエクイティ(未公開株式)を扱う大手は、大企業の周りを常にうろつき、探りを入れ、煽り立て、ここぞというタイミングで飛びかかれるよう、体勢を整えている」と、M&Aアドバイザー、グリーン・スクエア(Green Square)のパートナー、 バリー・ダドリー氏は言う。
ダンスはひとりでは踊れない
だが、よく言われるように、ダンスはひとりでは踊れない。つまり、取引の成立には、エージェンシーCEO側の強い思いも欠かせない。プライベートエクイティ投資家はきっと、いまの株式市場における動きを越えた、早期の建て直しに寄与してくれる、という希望的観測だ。実際、四半期ごとに目標を達成し、オーガニックグロースを株主に示す必要があるなかでの再建は、容易ではない。
この規模での取引には前例こそないが、プライベートエクイティ投資家は以前から同分野に目を付けている。WPPのCEOマーク・リード氏は2019年、カンター(Kantar)株の60%をベイン・キャピタル(Bain Capital)に31億ポンド(約4635億円)で売却する取引にゴーサインを出した。ベイン・キャピタルは2017年、日本で当時、電通、博報堂に次ぐ第3位のエージェンシーグループだったアサツー・ディー・ケイ(ADK)も買収している。
注目すべき要素はほかにもある――エージェンシーの価値はあくまで、そこで働く人間にある、という点だ。彼らのビジネスモデルは総じて、従業員と個々の専門知識/技術の上に成り立っている。このモデルでは(適切な運営が前提だが)、たとえばインベントリ(在庫)の保管や物流管理が必要とされる製造業などと比べて、見通しを立てるのも、健全なキャッシュフローの維持も、はるかに容易になる。すべてのマーケティングサービス企業がそうだとは言わないが、適正に運営されているエージェンシーは、クライアントおよび業界の観点からも、投資対象としても、優れた分散型と見なされうる。
「一般論だが、プライベートエクイティ投資家にとって、いまは広告/マーケティング業界に目を向ける絶好の時だ」と、マーケティングエージェンシー持株グループ、ステイディアムレッド・グループ(Stadiumred Group)のCEOクロード・ヅダナウ氏は言う。
大手エージェンシー持株グループには、強力なキャッシュフロー以外にも、中小同業社の苦境から利益を得られるという強みがあると、ヅダナウ氏は言い添える。「事実として、より大きなエージェンシーはより多くのビジネスを勝ち取り、新規事業を囲い込む手段として、破綻リスクの高いエージェンシーを買収できる」。
広告業界の構図は一変する
この先、エージェンシー持株グループへのプライベートエクイティ投資がなされた場合、投資先の別に関わらず、広告業界の構図は一変するだろう。持株グループはさらなるスリム化を進めるはずだ。理論上、いくつかの事業は整理統合され、いくつかはオフショア(海外企業/子会社に委託/移管)される。エージェンシーの収益モデルは変わることになる。
ただし、そうした長期計画には短期的実利主義が必要とされる。オムニコム、WPP, ピュブリシス、IPGはいずれも、急成長中の新事業を徹底的に推進する一方、いわゆるレガシー部門への依存度を下げている。とはいえ、選択肢は詰まるところ、投資家の資金だけなのかもしれないが。
SEB JOSEPH(翻訳:SI Japan、編集:長田真)
Illustration by IVY LIU