「レガシーの連中はデジタルの失敗を喜ぶ」:レガシー企業 デジタル責任者の告白

レガシーメディアを手がける企業がデジタル環境に適応する場合、困難な取り組みになる可能性がある。

匿名で内部事情を正直に語ってもらう「告白」シリーズ。今回は、あるレガシーパブリッシャーのデジタル責任者を迎え、従来メディア企業の一部がデジタルの未来について「否定的」である理由や、パブリッシャーの売上減少の原因をプラットフォームに求めるのは怠慢だと考える理由などを聞いた。

わかりやすくするために、発言の内容を抜粋して少し編集した。

――あなたが抱えている最大の重圧は?

レガシーメディア企業の上級管理職にとっての試練は、まったく異なる運営モデルのふたつの事業を展開しなければならないことだ。レガシーメディア事業はゆっくりと、しかし確実に衰退していく運命にあり、その管理とはすなわち、コストと投資をあらゆる分野で抑制し、マイナス成長を遅らせることに等しい。これはきわめて漸進的(緩やか)な仕事だ。

――その一方、デジタル事業は?

急成長するデジタル事業の管理は、まったく性質が異なる。売上は指数関数的に伸びているので、実際にやるべきことは、資金を投入して成長曲線を維持すること。小規模な事業から利益を出そうとしてもたかが知れているからだ。投資によってビジネスを拡大し、黒字化する際には、それを意味のある金額にしなければならない。

――そこで緊張関係が生まれる。

こうした企業で、トップは例外なく、もっとも勤続期間の長いレガシー事業の人間だ。たいていのレガシーメディア企業には、経営幹部にデジタルの人間がひとりもいない。これは深刻な問題だ。レガシーとデジタルでは運営モデルがまったく異なるのだから。

――具体的にはどう違う?

デジタルの収益と紙媒体の収益を比較すると、必ずデジタルが大幅に下回る。これは、成長を促進するために収益を再投資しているからだ。しかし、たいていの場合、経営陣は、「なぜ我々はデジタルで大損している? このデジタルとやらは大失敗だ」と批判する。彼らは何も分かっていない。

――では、より良いアプローチとは?

社内で問題解決を図る方法としては、ふたつの事業を個別に運営するというものがある。だが、もしそうするなら、社内に(デジタル)事業をもつ利点であるさまざまな連携を失うことになる。本質的にはふたつの別々の企業と変わらなくなってしまう。

――企業文化にはどんな影響が?

日常的に起きるビジネスモデルの競合があまりにも強いせいで、実際に衝突が生じている。賃金格差から、スペースやリソースの配分まで、何もかもだ。ある課題の解決を急ぐためにリソースを投入すると、損失を抑えるためにリソースを減らされた連中からの大きな反発を招く。「彼らと我々」という対抗意識が生じていて、企業文化に悪い影響がある。

――アドバイイングや測定指標の問題が噴出した2016年、デジタルメディアに希望を見いだせる点は?

レガシーメディアの業界人は、デジタルで何か問題が起こるたびほくそ笑むようなふしがある。しかし、彼らが見落としているのは、大局的にはこうしたつまづきや変化が些末なことにすぎないという点だ。何日かその話題でもちきりになったとしても、ニュースのサイクルは移り変わる。デジタルでのコンテンツ消費が主流になりつつあるのが世界の趨勢で、それに疑問の余地はない。失敗を喜んでいても、自分自身の死亡記事を書くときを早めるだけだ。

――プラットフォームはよく、収益化を難しくしていると批判される。

プラットフォームを責めるのは怠慢だ。F1レース中に雨で車がコースアウトしたとしても、雨を責めたりはしない。運転にミスがあったか、足回りに強いメカニックチームを集められなかったかだ。

――レガシーメディアを保有する企業にデジタルの才能を雇い入れ、留保しておくのはどのくらい難しい?

きわめて難しい。近年、レガシーメディア企業にテック業界の著名人がやってきては、1年いただけでまた去っていく事例が相次いでいる。私がいつも言っていることに、彼らも気づくからだ。「電球を交換するのに精神科医は何人必要?」というジョークのようなもの。そう、電球自身が変わりたいと思う必要がある。つまり、レガシーメディア企業自身が変わりたいと望む必要があるのだ。それに、給料もFacebookのような企業のエンジニアに比べて低い。

――結局、状況は改善できるか?

できる。こうしたさまざまな状況には信じがたいほど苦労が多く、不満もたまるが、取り組みを続けるほかに解決の方法はない。やり方には正解も不正解もなく、苦労の配分方法が違うだけだ。

Jessica Davies(原文 / 訳:ガリレオ)
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