「長文記事は『屋台骨』、読者は優れた記事を求めている」:「ニューヨーカー」編集長 D・レムニック氏

1998年にデイヴィッド・レムニック氏が「ニューヨーカー(The New Yorker)」の編集長に就任当時、同誌は紙媒体に特化した週刊誌だった。十分なWeb活用には時間がかかったが、デジタルに移行して以来、同誌はWebサイト、ソーシャルメディア、動画で存在感を強め続けている。1年前、同誌はラジオ番組「ザ・ニューヨーカー・ラジオ・アワー」も開始した。

ザ・ニューヨーカー・フェスティバル(「ニューヨーカー」発行元のコンデナスト主催の芸術イベント。17回目の今年は、10月7日〜9日に開催)に先んじて、レムニック氏はパブリケーションは手抜きをせずに新しいことにトライし続ける必要があること、「BuzzFeed」と「ニューヨーカー」の類似性について、そしてラジオ番組での困難について語った(※[日本版]編集部註:原文記事は9月19日に公開されている)。

インタビューは軽く要約してあり、編集したものを以下に紹介する。

――今年のフェスティバルの目玉は?

少しビビっている。自分はブルース・スプリングスティーンにインタビューをすることになっている。しかもそのチケットは6秒で完売してしまった。こんなに人気が出るとは思っていなかった。

――スプリングスティーンと一緒に、またジャムセッションをするの? (レムニック氏は2015年のフェスティバルで、パティ・スミスと一緒にセッションを行った)

とんでもない。いろいろな意味でひどい結果になってしまうだろう。

――今年、ほかに注目すべき点は?

今回はコメディと政治に特に力をいれている。11月8日(米大統領選挙日)を乗り切るためには、少し笑いも必要だ。

――かつて、「レガシー」という言葉には、ネガティブな意味合いがあった。今日、レガシーパブリケーションであり続けることを、どう見るか?

「ニューヨーカー」は創刊して約90年経つ。我々には長年培った価値があり、それは決して変わることはない。それと同時に、我々は現代社会に住んでいて、変化する可能性とその複雑さに非常に敏感だ。

私が同誌でエディターとして働きはじめたとき、毎週月曜日が発売日だった。変わったことは、「ニューヨーカー」をインターネット上でも届けることが可能になったことだ。公共ラジオやテレビと協業する可能性もある。我々の事業は変化しているのだ。

しかし、すでに述べたように、この長期に渡る歴史的な瞬間のなか、私の役割は、我々がもっている想いを失うことなく、テクノロジー革命を切り抜けることだ。我々のありたいように存在する、自らを安売りはしない。我々の読者は、中身の薄い、安っぽい、そしてくだらない「ニューヨーカー」を求めていない。

――ラジオの取り組みで驚いたことは?

すべてだ。ストーリーの組み立て方、求められる長さ、街頭レポートはオフィスでの仕事とは異なること。模範になるやり方と我々が望むやり方は異なっていた。だから、長期間試行錯誤した。

しかし同時に、のしかかってくる日々やるべきことも抱えている。それを気にせず、何かを試みることもないのであれば、生き残ることはできない。本質的に異なった仕事なのだ。いま懸命に努力をしている。しかし、2年目からは少しは改善されると思う。なにせ、我々はラジオ業界では新人だ。

――この変化に対するスタッフの適応方法に関して驚いたことは?

若い気力はより柔軟だ、しかし、それは年齢とは無関係だ。20代でインターネット用にたくさんの執筆を行っている人間がいるが、ロジャー・エンジェル氏(作家・コラムニスト)が執筆するニューヨーク・メッツについての記事だってある。

彼は9月で96歳になったが、新しいことに関心をもち、新たに自分のアイデアを表現する方法を見つけている。これは年齢の問題ではない。これは、自らのメディアに対する見方に融通が利くかどうかという問題だ。

――「ニューヨーカー」の長文特集をWeb上に掲載することについては?

インターネット革命の初期に、私が打ち合わせにいったら、「インターネットで長文記事は誰も読まない」と、人はいっただろう。しかし、それはまったくばかげた話であることがわかった。長文記事は我々の屋台骨であり、当社のWebサイト上のトラフィックによっても明らかだ。人々は深く切り込んだ、優れた記事を求めているのだと思う。

――Snapchat(スナップチャット)「ディスカバー」は「ニューヨーカー」が足を踏み入れにくい分野?

我々のデモグラフィックにとっては、少し若すぎるのかもしれない。それを利用しても我々に意義があるかはわからない。誰も見下しているわけではない。今日は打ち合わせにスタッフに来てもらう予定があったが、彼らはFacebookライブをやっていたので来ることができなかったようだ。このように我々も1週間に2回ほどならやっている。

――BuzzFeedが、海外ニュースを手掛けるのを見てどう思ったか?

興味はある。多くのリスティクルや軽い読みものがあることは知っている。しかし、彼らは詩人からジャーナリストまで非常に興味深い人間を採用している。調査ユニットをもっていることも、おもしろい。彼らは一度にたくさんのことをやっているのだと思う。

私には彼らのアイデンティティを言い当てることはできない。しかし、そこから彼らが何を作り出すのかを見届けたいと思う。それは、まるで1925年の「ニューヨーカー」のようだ。

――Gawker.comに関しては、パブリケーションの終わりを感じるか?

億万長者が次々と訴訟を起こしていくことは、良いこととは思わない。ちょうど9月初旬にゴーカー(Gawker)の訴訟に関わった弁護士が、ロジャー・エイルズに関して報道したゲイブ・シャーマンと「ニューヨーク・マガジン(New York magazine)」を追っていることをほのめかしていたのは、心配なことだ。

――先日、人々のメディアへの信頼度が過去最低水準まで達したとの別の報告があった。それが、「ニューヨーカー」のような個々の媒体に当てはまるわけではないが、何か問題はないか?

メディアは、複数の顔をもつモンスターだ。私はフォックスニュース(Fox News)や「ウォールストリートジャーナル(the Wall Street Journal)」や「L.Aタイムズ(L.A. Times)」に対して、読者がもつ信頼について代弁することはできない。私にできることは、ただ「ニューヨーカー」としての意見を述べることだけだ。

我々ができることは、自分たちの活動に対して読者の信用を得ることだけである。送られてきたEメールのすべてに礼儀として返信するようにしている。もし私がその内容に賛同できない場合は、その旨を伝えている。

Lucia Moses(原文 / 訳:Conyac)
Image: Brigitte Lacombe