新聞社から「デジタルメディア企業」へと進化するNYT :有料購読者100万人までの道のり

この記事は、メディア業界に一目置かれる、海外メディア情報専門ブログ「メディアの輪郭」の著者で、講談社「現代ビジネス」の編集者でもある佐藤慶一さんによる寄稿です。

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トラディショナルメディアは、激変するメディア環境のなかで生き抜くことができるのでしょうか? メディアの未来を占う試金石となるのが、ニューヨーク・タイムズのチャレンジだと思います。この2015年10月にはデジタル版の有料購読者が100万人を突破し、紙よりもデジタルの数字が順調に伸びています。9月に日本記者クラブで講演したニューヨーク・タイムズ社長兼CEOのマーク・トンプソン氏は、今後の施策について以下のように語りました。

「デジタルの有料購読者を増やすため、グローバルなオーディエンス(聴衆)を増やしたい。デジタル広告も増やしたい。ライフスタイル分野でクッキングアプリを開発しているが、さらにこういうものの開発も増やしたい。あと、イベントのビジネスも増やしたい。ビジネス界向けの事業も検討している。過去5年間でデジタル収入は倍増しており、さらに倍になればティッピング・ポイント(臨界点)を超え、デジタル収入が紙の収入を大幅に超えてくる」(毎日新聞「NYT:CEO講演…報道プラス聴衆との新たな関係がいる」より)

米国だけでなく世界を見据え、報道だけでなくサービスやイベントも提供していく……150年以上の歴史をもつメディアとして、非常に積極的な姿勢だと捉えることができるでしょう。筆者は、同社トップがこのように発言できる背景には、2014年5月にリークされた96ページにも及ぶ「イノベーション・レポート」の存在があると考え、レポートの簡単なおさらいと、この1年半の歩みを振り返りたいと思います。

リークされた「イノベーション・レポート」の中身

約6カ月の調査期間の末に漏れ出てしまったこのレポートでは、メディアをとりまく環境の激変を詳細に記したうえで、特に新規読者の開発とデジタル時代に向けた組織改革の重要性を訴えています。

まず、現状については破壊的イノベーションの理論に触れながら、コンテンツ流通に大きく影響・貢献するソーシャルメディア全盛時代における「BuzzFeed」の登場なども紹介されています。この流れで競合が挙げられているのも興味深いです(BuzzFeed、Circa、ESPN、First Look Media、Flipboard、The Guardian、The Huffington Post、Linkedin、Medium、Quartz、Vox、Yahoo Newsという12の競合メディア。ニュースアプリやネットメディア、プラットフォーム、ウェブサービスなど競合の存在を幅広く捉えているようです)。

本題は二章から成り、第一章は「読者を増加させよ(Growing Our Audience)」、第二章は「ニュースルームを強化せよ(Strengthening Our Newsroom)」というものです。第一章では、Discovery(発見)とPromotion(拡散)、Connection(つながり)の重要性から新しい読者の開発について提言。検索エンジン最適化(SEO)やコンテンツの再パッケージ化、ソーシャルメディアの活用、パーソナライゼーションの必要性や徹底について、第二章では、ビジネス部門とさらに接近・協業することや戦略に特化したチームを立ち上げることについて書かれています。

この1年半、ニューヨーク・タイムズがやってきたこと

新旧のメディアに衝撃を与えつつも、参考になることが多かった「イノベーション・レポート」。この1年半、ニューヨーク・タイムズはどんな施策をおこなってきたのでしょうか。

まず、2014年8月に、読者開発チームのリーダーにアレクサンドラ・マカラム氏を任命。同氏は「ハフィントンポスト」の最初のニュースエディターで、検索やソーシャルなどの環境変化におけるニュース配信の経験をもっています。ニューヨーク・タイムズでは料理アプリ「NYT Cooking」の開発にかかわっていたことから、新しい読者との接点を探ることができる人物だったのでしょう。

ちなみに読者開発チームには2015年5月、新しいスタッフ3名(それぞれ「ワシントン・ポスト」から2名と「Slate」から1名)が、グロース・エディターやソーシャルメディアチームとして参画しています。

たとえば、ソーシャルチームではこれまで通り、TwitterやFacebook、YouTubeなどの運用はもちろん、インスタグラムやSnapchatのアカウント開設、Facebookによるコンテンツのホスティングサービス「Instant Articles」への参加など新興プラットフォームの活用を進めてきました。

読者開発に関する取り組みは、ほかにも見られます。たとえば2015年1月には「Year’s Most Visited of 2014」というページを開設し、2014年に最も訪問数が多かった記事を紹介。2015年9月には「50 of Our Best」と題し、これまでのベスト記事50本を紹介するページを制作しています。この動きはレポートにも書かれていた過去記事の再パッケージ化を実践したものでしょう。

モバイルアクセス50%増、デジタル有料購読者25万人増

読者開発の成果なのか、この1年で数字が急伸。米DIGIDAYでは、トラフィック、採用、トップページへのトラフィック、エンゲージメント、ワークフローの観点から評価しています。

たとえばトラフィックは、2014年4月と比べて月間訪問数が5900万(28%増)、特にモバイルは3600万(52%増)を記録(調査会社comScoreデータ)。エンゲージメントに関しては、Newswhipのデータをもとに、2015年5月にはFacebookで1630 万のエンゲージメントがあったと紹介しています(2014年から2倍)。

そして先述のとおり、デジタルの有料購読者が100万人を突破。その際には、「読者のみなさんのおかげで、マイルストーンを達成した」という記事が配信されました。デジタル以外にも新聞の購読者は110万人おり、ニューヨーク・タイムズの歴史上、もっとも購読者が多い状況になっているとのことです。

ニューヨーク・タイムズのデジタル版が有料購読制をはじめたのは2011年。毎年25万人ほど増えている計算になります。実際、2014年の「イノベーション・レポート」の時点ではデジタルの有料購読者が76万人でしたから、この1年強のうちに約25万人増加しました。

2015年10月には「Our Path Forward」という文書を公開し、2020年までにデジタル売上を現在の2倍(8億ドル)にする計画を発表しました。このなかでは、たった12%の読者がデジタル売上の90%に貢献していることや、100万人のデジタル有料購読者のうち10%が米国外といった情報なども紹介されています。これから売上の倍増にあたっては、デジタル有料購読者を増やすとともに、広告制作部署「T Brand Studio」による効果的なネイティブ広告の開発が期待されます。

デジタル時代に向けたニュースルーム強化についても、読者開発チームの立ち上げ、追加の採用に加えて、プロダクトテクノロジー担当バイスプレジデントに公共ラジオ局「NPR」からキンジー・ウィルソン氏を獲得するなど、徐々に戦略的な採用・配置も見られます。

この1年半の取り組みを簡潔に紹介してきましたが、もっとも象徴的だったのは「1面会議」を廃止したことだと思います。新聞社に深く根付く慣習を絶ったことこそ、新時代に向かう姿勢の表れでしょう。新聞社からデジタルメディア企業へとシフトを進めるニューヨーク・タイムズ。スマホ・デジタル・ソーシャル時代の競合たちに対してどのような戦略で向かっていくのか、これからも楽しみです。

written by 佐藤慶一
photo by Thinkstock / Getty Images