「パブリッシャーたちは、烏合の衆と化している」:英全国紙幹部の告白

メディアオーナーの仲間内では、デジタル広告市場におけるFacebookとGoogleの圧倒的なシェアを嘆く姿をよく見かける。一方で、パブリッシャーは自らの足場をもっと固める必要があると感じている人たちもいる。

匿名で本音を語ってもらう「告白」シリーズ。今回は英全国紙に所属するパブリッシング担当の幹部に話を聞いた。プラットフォームへの対応や、アドテクが生み出すとされている収益の「幻影」を信じていることなど、デジタルメディアの巨大な脅威に対しパブリッシャー(出版)側の反応が相変わらず遅れていることに、この幹部はいら立っている。

わかりやすくするために、発言の内容を抜粋して少し編集した。

――いちばん心配しているのは?

パブリッシャーは、ジャーナリズムと直接的なマネタイズという最高の資産を、規模と引き換えに譲り渡すのをやめなければならない。Facebookは質の高いジャーナリズムを尊重しているのだろうか? そんな形跡はほとんどない。虚偽ニュースがこれだけ問題になっているのに、取り締まることができていない状況を見るがいい。

パブリッシャーには、「お前のジャーナリズムを全部ダダでよこせ。そうしたら、オーディエンスのデータを収集し、ウォールド・ガーデン(塀に囲まれた庭)に保護してやる」ともちかけている。これがどれほどよいオファーに思えるというのだろうか? 約束されているのは、広告売上として生み出される小銭は全部もらえるということだ。これが魅力的な提案に見えるのなら、かなり悲惨な状態にあるということだ。

――つまり、プラットフォームへの記事配信で意味のある収益を得るのは夢物語だと?

「意味のある」というのがキーワードだ。質の高いジャーナリズムの費用を広告だけで賄えると考える時代はとっくに過ぎている。あなたたちは小銭に飛びついているのだ。アドテクのベンダーがやってきて収益を10~30%増やすと約束するのに私はうんざりしている。そもそもできない約束だし、仮に可能だとしても、小さな額の話のため、意味はない。

そして、Facebookはアドテクだ。あなたたちは他社のプラットフォーム上でジャーナリズムを消費してもらうことを勧められている。見返りはというと、小銭だ。誰にでもできる最高にバカげた取引だ。それがなんだか魅力的に思えるほど、パブリッシャーがあまりに自暴自棄になっている。

――とはいえ、Facebookはオーディエンスを開拓に役立つのでは?

ハマる人がいる理由はわかる。規模が約束の地に導びいてくれると、いまだに考えているのだ。しかし、規模が供給の増加につながり、供給が価格をゼロに向かわせる。だからパブリッシングの場合、私は規模の経済に抗う。それは人々を袋小路へと、崖っぷちへと導くものだ。

Facebookは素晴らしいマーケティングマシンだ。クリエイティブエージェンシーもメディアエージェンシーもパブリッシャーも、クライアントが成し遂げようとするものにぴったりあてはまるビジネスモデルをもっていない。しかし、Facebookにはそれがある。Facebookはデータ中心で、とんでもない規模があり、クリエイティブは明快で、メディアバイイングはボタンひとつで済む。

クリエイティブエージェンシーやメデイアエージェンシーやパブリッシャーのビジネスモデルは、古くから継承された体系だ。クライアント利益ではなく、個々の構成要素の損益が判断の中心にある。率直にいって、はなはだしい非効率性とパフォーマンスの欠如が避けられない。

――なぜそんなことになるのだろうか?

大まかに言うと、パブリッシャーは実に仕事をしにくい相手なのだ。独立していて、バラバラで、まとまりがない。テクノロジーも、レポーティングも、分析も、市場に提供する機会も、すべてが独特で違いがある。

かつてはそれが利点だったが、現在の世界では、キャンペーンをどれだけ効率的に実施できるかのほうが重要であり、みんなが違うことは突如としてよくないことになった。つまり、我々は摩擦点を生み出すのだ。そして、大きなテクノロジー企業との仕事のやりやすさが1%上がると、我々との仕事のやりやすさは5%下がる。バランスの取れない影響が存在している。

――実施されている対応策は?

パブリッシャーがまとまることができていない。デジタルマーケットプレイスへのこれまでの対応は、通貨も価格設定もオファーもバラバラで、パブリッシャーが過剰に複雑化している。ある程度の標準化はあるが、十分ではない。

ネイティブアドの契約はいい。それぞれのブランドが象徴しているものの本質をまとめ、それを広告主のブランドがやりたがっているものへと作り込むことが可能だ。しかし、パブリッシャーは過剰な複雑化によってデジタル世界に対応した。

分析が追いついておらず、業界で採用されている本当に効果的な方法で、デジタルをテレビや印刷媒体と比較できる測定方法がいまだにない。つまり、パブリッシャーのせいで、広告主とエージェンシーにとって事態は困難になるばかりであり、両者の損益にほかと同じくらいストレスがかかっている。

――何かよい動きは?

メディアオーナーはいまも並外れて革新的だ。業界からイノベーションを締め出そうとすれば、我々はあっという間につまらないものになり、コモディティ化するだろう。だから、人々がジャーナリズムの価値を認識しはじめ、規模の価値に誘惑されてその価値を譲り渡そうとはしていないのを目にして、私は勇気づけられている。

ただ、気がかりなのはあまりに動きが遅すぎることだ。印刷物の凋落に気づくのも、デジタル広告の約束が果たされないことに気づくのも、アドテクの約束がだいたいにおいて夢物語であることに気づくのも遅かった。ビジネスモデルを変えるのも、パブリッシャーがグループとしてまとまるのも動きが遅い。戦う相手は無駄がなく、卑劣で、動きの速いマシンなのだ。我々は力を合わせて対処しなければならない。

Jessica Davies (原文 / 訳:ガリレオ)
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