「広告業界では、一番『まとも』でいれば成長できる」:グレイNY支部CEO デビー・レイナーの半生

デビー・レイナー氏がグレイアドバタイジング(Grey Advertising)に入社したのは、大学を卒業してから6週間後のことだった。レイナー氏は、ほとんどの時間をそこで過ごし、去る12月には同社初となるニューヨーク支部のCEOに就任した。この記事は、レイナー氏がトップにまで駆け上がった経緯を彼女自身の言葉で綴ったものだ。

◆ ◆ ◆

私はマンハッタン北東部の混沌としたアッパー・イーストサイドで育った。私の父はメイシーズ(Macy’s)の店舗で働いていた。父の仕事場はヘラルドスクエア(Herald Square)にあったので、そこで行われていたパレードを通じて、子供の頃からいわゆる「34丁目の奇跡」を目の当たりにしてきた。その世界は私の幼少期の大きな部分を占めていた。

家族のイベントごとは、そのせわしない小売店の世界の周りで起こっていて、私はそれが大好きだった。父は私を寝かしつけながら、アクセサリーのラインナップや、メイシーズがなぜベネトンを扱わないのかという話を毎晩のようにしてくれた。私はメイシーズの文化のあり方、活き活きとした小売店の様子や創造性に魅了されていた。創造性と商業が交わる部分にある何かに関わりたいと思っていた。

高校時代はずっとメイシーズで働いていた。配属された先は、商品を傷つけることのない、革製品を扱う売り場だった。私はその場の忙しさや賑やかさが大好きだった。メイシーズのヘラルドスクエア店は、大都市のなかにある「クレイジーな街」、いわば、ニューヨークという街を1区画に凝縮したような場所だった。

起業家精神に魅了されていた

正直に言って、私はいつも、将来は小売業に関わる仕事に就こうと考えていた。80年代当時、父と仕事をともにする女性は数多くいた。実業界には、それほど多く働く女性はいなかった。対して、小売業界はキャリアのある女性を昇進させるような場所だった。母は専業主婦だった。私は、のちに高級百貨店のサックス・フィフス・アベニュー(Saks Fifth Avenue)のCEOとなったローズ・マリー・ブラボー氏をはじめ、数多くの尊敬する女性を見てきた。私は、性別の壁などないということを実際に示してくれ、前向きでプロフェッショナルな、お手本となる人が数多く存在する環境で育った。メイシーズのような大企業に根づいていた起業家精神に魅了されていた。

私は歴史の勉強のためにハーバード大学に進学した。大学4年生のとき、周りは皆、銀行で働いたり、ロースクールに出願したりしていた。だが私は、自分のやりたいことは違うことを知っていた。そこで選んだのは出版業界。『エル(Elle)』で働いたあと、『ヴォーグ(Vogue)』の有名なローバープログラムの仕事に就いた。小売業が大好きだと思っていた私に、父はこう諭した。「家族がそうだから、という理由だけで仕事を決めるな。それから、小売業界の労働時間はひどいものだぞ」。結局、私が選んだのは、仕事とオフの時間のバランスの良い広告業界だった。

私がグレイで働き始めたのは22歳。卒業から6週間後のことだ。素晴らしいことに、食器洗剤のジョイ(Joy)のアカウントエグゼクティブのアシスタントを務めることになった。消費財関連に関わる働き詰めの毎日だったが、明らかに刺激を欠いていた。その後、パンテーン(Pantene)、そしてカバーガール(Covergirl)に移った。

どこかやりきれない気持ち

これまで「女性向けの商品に関わる仕事に就かない女性」についての複数の記事を読んだことがあるが、女性であるということに絶対に縛られるべきではない。それでも私は、自分が大好きなものに関わる仕事がしたかったし、そうすると決めたことを誰かに謝るつもりはない。

自分の家にはない商品に関わるならば、頭の使い方を変えなければならない。(カミソリ刃で有名な)ジレット(Gillete)の職場では、私は唯一の女性だったし、スポーツの話題ばかりでまったく会話に付いていくことができなかった。女性に関わる美容関連の職場に在籍することが多かった私は、話題といえばアメリカンフットボールという男だらけの場所にいなければならなくなった。よく私は男性陣のネタにされて笑われた。それは決して楽しい時間ではなかったが、覚悟していたことだった。

経理の人たちは、いつもクリエイティブまたはクライアントになりたがる。幸いなことに、私が担当したクリエイティブのパートナーとの関係で、クリエイティブな問題に遭遇したことは一度もなかった。私はサラ・リー時代のコーチ(Coach)の中枢部で働いていたことがあるが、そこでの仕事はとても魅力的なものだった。多くのファッションブランドはコーチのような製品を必要としていた。だが私はブランディングが鍵となるプロジェクトが恋しかった。エージェンシーとの打ち合わせでは、どこかやりきれない気持ちを抱えながら座っていなければならなかった。

一番「まともな」人間でいること

この業界は本当に狭い。常にコミュニティの一部にいたいと思っている。美容関連のビジネスを20年ものあいだ率いてきたECD(エグゼクティブクリエイティブディレクター)と仕事をともにした。このクレイジーな環境では、一番「まともな」人間でいることで成長できる。私のことを知っている人なら誰でも、私はベン図(複数の集合の関係や範囲を図式化したもの)が大好きなことを知っている。私は、ものごとが重なって影になっている部分に生きる喜びを見出したいと思っている。

JWT(J.Walter Thompson)で働いていたときは、白髪染めのクレイロール(Clairol)の仕事に取り組んでいたが、当時の私はグレイヘアが生えるには若すぎた。ところが私がグレイに戻ってきたとき、P&Gがクレイロールを買収したのだ。そのとき私は「この仕事がしたい」と名乗りを上げた。(この業界は)どこもかしこも似たり寄ったりだ。

Shareen Pathak (原文 / 翻訳:Conyac