「デジタル組織」作りにおいて、経営者は何を成すべきか?:未来派マーケティング戦略の本質

本記事は、WPPグループ最大のデジタルエージェンシー、VMLの日本法人の代表と、株式会社FICCの代表取締役を兼務する、荻野英希氏による寄稿コラムとなります。

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理由なく新しいものを取り入れることを英語で、”Innovation for innovation’s sake”(イノベーションのためのイノベーション)といいます。経営者がトップダウンでデジタル化を推進するような企業でも、デジタル化そのものが目的化してしまうことは決して珍しいことではありません。デジタル推進の御旗を掲げる経営者の多くは、自身が専門家でないことを理由に、その目的や戦略を定義していないのです。その結果、目的が不明瞭なまま、戦略から実行までが、社内で十分な影響力や連携体制を持たない専門部署などに丸投げされてしまいます。

マーケティングにおいて、デジタルという言葉はもはやPOE(ペイド、オウンド、アーンド)などのデジタルメディアの枠に収まらず、調査から購買まで、マーケティングプロセス全体に深く関わっています。これは小さな部署がカバーするにはあまりにも広い領域であり、優先課題を絞り込まなければ、いくら投資をしても成果を得ることができません。

しかし、幸いなことに、マーケティング組織が抱えている課題や、適応すべき環境変化の多くは共通しています。経営者は「デジタルの専門家ではないから」という言い訳を捨て、まずはマーケティング組織のいまと未来のあるべき姿について、方針を決めるべきでしょう。

デジタルメディアの重要性が高まっているとはいえ、一般消費財メーカーなどの投資額は、せいぜいマーケティング予算の1割程度に留まり、いわゆる「デジタル施策」はマスブランドのマーケティングを大きく左右するものではありません。また、いまやデジタル施策を滞りなく実行できる人材やベンダーは多く、その体制構築が大きな競合優位性に繋がることも考えにくい状況です。

デジタルの専門家や専門部署が担うべき役割は、デジタルメディアのマーケティング活用という限定的なものではなく、マーケティング組織全体のパフォーマンスを向上させるものであるべきではないでしょうか。

現状の優先課題:インサイトの発掘体制

マーケティングは本来、セリング(売る行為)を不要にする仕組みを作り、ブランドの継続的な需要を創出する役割を担います。そのためには生活者のニーズと、ブランドが提供する便益を合致させる必要があり、生活者が本当に求めていることの理解、すなわち「インサイト」の発掘が欠かせません。すべてのマーケティング施策の起点となる、インサイト発掘はマーケターのもっとも重要な仕事であるといえます。

しかし、その発掘には、常に発想の転換や、本質を問い続ける根気が求められ、ほとんどのマーケターにその余裕がないのです。上司へのレポーティングや、他部署との調整に忙殺され、彼らが実際にマーケティングの仕事を行う時間は決して多くはありません。

また、確立されたブランドを担当するマーケターは、その歴史や既存のブランドイメージなど、さまざまな制約を抱えながら仕事を推し進めています。習慣化された業務に追われ、ブランドの固定概念に囚われたマーケターが、十分にインサイトを発掘することができない状況は、どのマーケティング組織にとっても解決すべき優先課題のひとつと言えるのではないでしょうか。

インサイトの発掘には従来、座談会やグループインタビューなど、生活者の声を直接聞く手法が用いられてきました。しかし、それでは得られる情報が少人数の意見に限定され、発言の内容も、場の雰囲気や他人の意見に流されてしまいます。また、そもそも内向的な人物は、そのような場に足を運んでくれないという可能性も否めません。

ネット調査の普及に伴い、さまざまな生活者の声を低コストで集められるようにはなりましたが、ポイントなどのインセンティブが存在し、一方的に回答を得るだけのオンラインアンケートでは、回答内容の正確性だけでなく、インサイトに近づくための思考の深さが期待できません。現在ではオンラインで不特定多数のユーザーと、継続的な対話が行えるMROC*を通じて、この課題を解決することができます。

*MROC・・・Market Research Online Communityの略。生活者の声を傾聴したり、観察をしたりすることで気づきを得るという手法。

MROCの活用は、日本でもインサイトの発掘と、数々のブレークスルーの成功事例を生み出しています。Blabo!*というサービスを活用した「ガリバー」のショッピングモール出店計画もそのひとつです。

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*Blabo!は、「企業と生活者の“重なり”をつくる」をモットーとし、全国に1万4000人のユーザーに、企業が直接問いかけることができる「アイディア共創プラットフォーム」です。コミュニティとのオンラインでの対話をベースに、企業と生活者の本音を重ね合わせることで、インサイトの発掘からコンセプトの開発までを実現するサービスを提供しています。

ガリバーは、中古車の販売台数を伸ばすために、家族連れが多く訪問するショッピングモールへの出店を計画していました。しかし、Blabo!を通じて生活者のニーズを調べた結果、ショッピングに行くことが目的なのではなく、「週末どこに行っていいのかわからないから、とりあえずショッピングモールに行っている」という本音を見つけることができました。そして、Blabo!によって開発された”おでかけのきっかけを提供する”というコンセプトとともに、キャンピングカーやバイクのレンタル、おでかけに持って行きたい雑貨の販売など、まったく新しい施策を打ち出し、多くの家族連れの獲得に成功したのです。

Blabo!では、回答に金銭的なインセンティブが発生しないため、「自分の話を企業が直接聞いてくれる」「自分のアイディアが世の中に出るかもしれない」という純粋な期待を持ったユーザーが、企業の課題に真摯に向き合ってくれます。ユーザーがひとつの回答に何時間もかけることも珍しくなく、深い洞察に基づいた回答が多く得られることがポイントです。ほかのBlabo!の事例では、生活者がシチューを買わない背景に「ごはんに合わないから」という理由が挙げられ、ほかのユーザーとのやりとりのなかで具体的な解決策までも浮かび上がっています。

テクノロジーを活用し、低コスト・短期間でインサイトの発掘ができれば、マーケティング効果は飛躍的に向上します。最新のマーケティングトレンドを取り入れた、場当たり的なデジタル施策よりも、はるかに優れた投資先であると言えるでしょう。すべてのマーケティング施策において、確実に、そして継続的にインサイト発掘が行われる体制は、どのマーケティング組織にとっても大きな価値があるはずです。

未来の優先課題:アドレサブルTVの到来

アメリカではすでに、ケーブル・サテライトTV契約者の半数、約5000万世帯がリアルタイムの世帯別TVCM配信、”アドレサブルTV”に対応しています。テレビとスマートフォンのマッチングも進んでおり、ひとりのユーザーに向けて複数の端末で広告を配信するクロスチャネルターゲティングも可能になりつつあります。

数年以内には、日本でもターゲティングされたTVCMの配信が開始され、2020年の東京オリンピックを機に、テレビの買い替えや、新しい通信サービスの加入など、ハードウェアとデータのインフラ整備が一気に進むはずです。他国に比べて圧倒的にテレビの影響力が強く、2020年以降もその維持が見込まれる日本において、アドレサブルTVが広告市場に与えるインパクトは計り知れません。

アドレサブルTVにより、広告主はターゲットごとに最適なメッセージを届けることができるようになります。また、商品やサービスに有用性を感じない生活者への広告配信を減らすことで、費用対効果の向上や、ブランド毀損を抑制することができます。広告主のメリットがとても多いことから、最初は少ないアドレサブルTVのインベントリも、いずれすべてのTVCM枠へと広がり、現在のデジタル広告のような細かいターゲティングや、厳密な効果測定がTVCMにも当たり前のように求められるようになるでしょう。

デジタルの手法がテレビの世界に飛び出すアドレサブルTVの到来は、マスマーケティングの終焉とも言え、従来の広告やマーケティングの考え方を一変させるはずです。そんな、そう遠くない未来に向けてマーケティング組織はどのような対応を進めれば良いのでしょうか。

競合優位性となるデータ投資

アドレサブルTVの広告配信には、さまざまなオーディエンスデータが適用されます。年齢、性別、家族構成、居住地などの基本的なデモグラフィックデータは、現在でもサードパーティーによる提供が可能であり、どの企業もアクセスできるものです。

しかし、独自のターゲティングを可能にするデータ資源は、将来的な競合優位性となり得ます。また、広告反応率の高いターゲット属性を事前に分類し、事前に効果的なターゲティングのナレッジを貯めておくことも重要です。企業は現在のデジタル施策や、データへの投資を、将来的な競合優位性、そしてテレビとのインテグレーションの可能性を踏まえて、進める必要があります。

データドリブンなワークフロー

デジタル広告にはアドレサビリティ(オーディエンスデータに基づくターゲティング)に加え、相手の反応をリアルタイムに集計する、インタラクティブという特性があります。インタラクティブな広告は、視聴者の反応に基づき、配信期間中にその継続の有無を判断することが可能です。反応のボラティリティー(変動率)が高い、広告クリエイティブや配信条件のバリエーションのなかから、速やかに、効果的なものだけを選別し、広告費を集中させることがマーケティング効果の向上につながります。

もちろん、視聴者の反応に基づき、クリエイティブの内容や、ターゲティングの属性を調整することも重要です。マーケティング組織は、将来的に効果の高いTVCMが配信できるよう、オンライン動画などの施策を通じて、データドリブンなワークフローを確立すべきです。

効果測定・評価方法の統一

世帯ごとの視聴データが集計可能になれば、GRPという曖昧な指標は意味を持たなくなります。デジタル広告の評価に用いられる指標が加わり、より厳密な効果測定と評価方法が確立されていきます。リーチした人数に基づく量的指標、ブランドリフト調査から態度変容の度合いを示す質的指標、そして、ファネルの段階ごとのひとりあたりの獲得単価を示す価値指標。これらの指標を総合的に分析することにより、広告の投資対効果や、優先的に改善すべきマーケティング課題を明確化することができます。テレビとデジタルの融合に向けて、企業は部署やブランド横断的に、統一された効果測定・評価方法を確立しておくべきでしょう。

バリエーション制作ノウハウ

ターゲティングされた広告のクリエイティブに対する考え方は、現在のTVCMなどのマスマーケティング施策とは大きく異なります。大衆に向けてひとつのメッセージを発信するマスマーケティングでは、より多くの生活者との関連性を高めることが重要ですが、ターゲティングされた広告では、小さなニッチセグメントが持つピンポイントなニーズとの合致が重要になります。企業が生活者に提供できるメリットは、ターゲットの年代、性別、就業状況、家族構成などによって、大きく変わります。投資回収の見込みを計算し、異なるニーズを持った小さなセグメントごとに最適なクリエイティブを作成するのです。

広告クリエイティブのバリエーション制作にはそれなりのコストと時間がかかります。10のセグメントに向けた動画を作成するために10倍の制作予算をかけることはできません。アドレサブルTVの時代には、限られた予算と時間のなかで、さまざまなニッチセグメントのニーズに合致する、より多くのバリエーションを制作するノウハウが求められます。

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私たちはいま、マーケティング組織の現状と、未来のメディア環境変化に合わせて、戦略的な組織の改革を進める必要があります。理想の体制は、組織ごとに違うかもしれませんが、継続的にインサイトが発掘できる体制と、アドレサブルTVに対応できる体制はほとんどの広告主が必要とするものではないでしょうか。経営者はデジタルな施策を自ら実行する必要がなくても、その可能性と変化のスピードを理解し、有利な状況を創りだすマーケティング組織のビジョンを描かなければならないのです。

Written by 荻野英希
Image from Thinkstock / Getty Images