「ソーシャルもインフルエンサーもまやかしだ」:ある金融サービス企業CMOの告白

マーケターはよく、指標やデータという霧のなかを苦労して進んでいると感じることがある。

今回の「告白」シリーズにご登場いただくのは、ある大手金融サービス企業のマーケティング責任者だ。そうした五里霧中の状況が、どのようにまやかしを生み出し、多くの重大な意思決定の裏で、「乗り遅れへの不安」が働くかについて、匿名を条件に赤裸々に語ってもらった。

発言は、内容を明確にするために若干編集してある。

――マーケティング業界の人々が、現在犯している最大の失敗は?

この業界にはMBAの保有者が大勢いるが、私が思うに、広告における破壊的創造という与太話を学校で教えられてきたのだろう。そうした学位の取得者は、マーケティングは人々の生活を破壊することではない、という事実に気づいていない。マーケティングは社会的あるいは文化的な現象に人々を関わらせていくことだ。彼らの誤解は、消費者が自社のブランドを本気で気にかけていると思い込んでいることだ。

――消費者はブランドなど気にしていない?

そうだ。マーケターが考えるほど、人はブランドメッセージに関心をもっていない。たまたま目にしているだけだ。たとえば、人が全米大学体育協会(NCAA)の試合を観ているのは、スポーツが大好きだからだ。そこで広告も目にすることがあるだろう。実際はそんなものだ。

――インフルエンサーマーケティングが出る幕はない?

(笑いながら)ふざけた話だ。インフルエンサーについて最悪なのは、彼らがインフルエンサーであるというのが、仮定でしかないこと。彼らはインフルエンサーという印象を与えるわけではない。ただ、特定の知識にフォーカスされた傾向があるというだけのこと。それなのに、誰もそのことをわかっていない。

――ブランドはインフルエンサーを好んで起用しているが、バブルははじけてしまったのだろうか?

まだ、はじけてはいない。みんなインフルエンサーが大好きだ。それがブランドに良い影響をもたらすなら、彼らにとって良いことだろうとは思う。だが、我々の役には立たない。費用は高くつくし、時間を浪費するのはごめんだ。かつては、インフルエンサーが先駆けになり、ほかの大勢が真似をしていた。だが、時代はめぐる。誰もが目新しいものに一斉に飛びつく。かつては、ネイティブなコンテンツが人気で、大勢が真似をした。つまるところ、核心は決して変わらないのだ。

――ここ最近で過大評価されていると思うものは?

Snapchat(スナップチャット)。客観的にいって、我々の商品は高価で複雑なため、Snapchat向きではない。ともかく、Snapchatは評価されすぎだ。ほとぼりがさめるとき我々は誰が生き残っているかを知るだろう。もちろん、あらゆることを試してみるのは結構。しかし、すべてを試すべきだと思って有り金を全部つぎ込み、目的を見失うようではいけないのだ。それでも、一般にソーシャルには人々が盲信してしまう要素がある。Facebookの「いいね!」がその例だ。いまだに、16万7000「いいね!」をゲットしたと自慢してくる連中がいる。それがどうした?

――組織内に「乗り遅れへの不安」があるのでは?

確かにある。何年か前、我々のCEOが私に、うちにもFacebookのページが必要だといった。娘にそういわれたからだそうだ。私は「なぜ?」と問い続けた。ソーシャルはインチキだ。まやかしがあふれている。近ごろの最大の食わせ者は、ソーシャルメディアをやっている連中や、「聞いたことがある」とうそぶく連中だ。私がある男に、無料で使えるものになぜ金を払うのかと尋ねたら、彼は私と話さなくなった。とんでもない話が山ほどあるのに、聞き入れない連中も大勢いるのだ。

――そういう話を耳にするたび、マーケター同士がお互いの話をよく聞いていないように感じるが……。

ブランド内部では間違いなく、その点に苦労している。どこのブランドも同じだ。いま起きていることは、デジタルが多くの若者にもたらした結果である。彼らはそうした環境で生きてきたのだから結構。だが、そうした若者は結局おとなしいままだ。そして、企業内の誰ひとりとして若者に歩み寄ろうとはしない。というのも、企業側は「お前たちに何がわかる?」と考えているからだ。問題はここにある。意欲のある若者には、企業がやっていることを教えてやるべきだ。一方でたとえば、我が社のCFOは若者のあいだで何が起こっているのかまったく理解していない。だから、若者が企業について学ぶことで、CFOが理解できる言葉で話せるようになったらいいと、願っている。

Shareen Pathak(原文 / 訳:ガリレオ)
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