「忍耐力が成功へのカギだ」:BBH ジョン・パトローリス氏の広告マン半生

ジョン・パトローリス氏は、18年に渡って広告に携わってきた。

そのあいだ、エージェンシーのN.W.エーア、TBWA/シャイアット/デイ、そしてT.A.Gサンフランシスコで勤務している。現在48歳のパトローリス氏は、2011年5月にBBHのチーフクリエイティブオフィサー(Cheif Creative Officer:CCO)になって以降、幅広い仕事を手掛けてきた。そして2015年、同エージェンシー初のクリエイティブチェアマンへと昇進する。

本記事では、同氏が自らの言葉でこの業界に入った経緯や、これまでの道のりで学んできた大きな教訓を紹介。以下、一人称でお届けする。

「広告のことなど、真剣に考えたこともなかった」

私は広告のことなど、真剣に考えたこともなかったが、文章を書くことには常に興味をもっていた。オハイオ州立大学卒業後の数年間はシカゴ、そのあとニューヨークでバーテンダーとして働き、その傍らで短い物語や劇を書いて過ごしていた。

ある夜、店の常連客と映画や本、そして文学作品についての会話のなかで、私は彼に自分が作家であることを伝えた。すると、彼は作品を見せてくれという。この男は映画『サイドウォークストーリー』のチャールズ・レーン監督で、私にライティングパートナーとしての仕事をくれたのだ。

チャールズとともに脚本を書いている頃、いつだったか、もしこの仕事で儲けたいなら、広告に挑戦するべきだと、誰かが私に言った。そこで、スクール・オブ・ビジュアル・アーツの夜間クラスに通い、広告について学んだ。そのあと、資金をかき集めて自分のポートフォリオを作り上げた。

その頃は本当に苦労した。私は20代後半で、金もあまりなく、業界に知り合いもおらず、ただバーテンダーをやりつつ、執筆活動をしていた。しかし、それでも私は大丈夫だった。自分は好きなことを追いかけていると思ったからだ。

「己のガッツを信じたときに、創造性は生まれる」

広告の世界に足を踏み入れたとき、すでに自分が何をすべきかは分かっていた。一度アイデアが浮かんだら創作を開始し、そこに現実味を作り上げていくのは、非常に心地よかった。私の性に合っていたのだろう。

私のキャリアで大きな転機のひとつとなったのは、シャイアットにゲリー・グラフが現れたときだ。彼は非常に情熱的で、広告を愛する男だった。おかげで私は、心の底から何かに自分の身を捧げることの大切さを学んだ。

ゲリー氏が私に教えてくれた、もっとも重要なことは、自分のガッツを信じる、ということだ。賢く、戦略的であることも重要だが、偉大なクリエイティビティというのは、往々にして自分のガッツを信じたときに生まれるものだ。それがもっともユニークな考えやもっともユニークなアイデア、そしてもっともユニークな表現を生み出すのだ。

彼は私に「もっとも信頼できるもの」というのは「信頼できないものであること」だと教えてくれた。クライアントは信用に足るアイデアを求めるが、同時にクリエイティビティに関してはでたらめなものを求められる。

私にとって広告とは、物事を差別化したアイデアで下塗りし、それをシンプルで、人間らしく、普遍的なものにしていくことだ。物語や感情を引き起こすことで人々をそのアイデアへと導くため、アイデアを説明するのではなく自由に表現するのだ。

「偉大なアイデアへの道のりは、一本道ではない」

この仕事で一番辛いのはクライアントを失うことだ。そういうときは、ただクライアントが去っていった、ということでは済まない。手にしていた希望や楽観が一緒に去っていく。これは人的損失でもあり、どんなときにも一番辛いことだ。

この業界の唯一の難点は持続性の欠如で、成長と縮小が同時に起きる。私がBBHに来た最初の1年でGoogleやスプライトなど大手クライアントが去り、まだ足場が固まっていなかった私にとっては、かなりの難題だった。

忍耐力、つまり自分が何を成し遂げたいのか、ということを知り、そしてそれを成すまでは決して立ち止まらないことが成功へのカギだ。この仕事に成功している人は誰もがその資質をもっている。偉大なアイデアへの道は決して一本道ではない。停止点や開始点、転換点がある。

さらに、とてつもない労働意欲をもつことも必要だ。人と働くこと、チームで働くことを愛さなくてはならない。好奇心もなくてはだめだ。コンスタントに異なる物事やさまざまな人たちと仕事をするのだから。そして、絶え間なく自分の作品に取り組まなくてはならない。

Tanya Dua(原文 / 翻訳:Conyac