エージェンシーのM&A、組織瓦解に至る失敗例:バーバリアングループの困難

バーバリアングループ(The Barbarian Group)の象徴であるスーパーデスクにはたくさんの空席がある。かつては活気のあったデジタルスタジオも、今は昔の面影すらない。

バーバリアングループはこの数カ月間で最高幹部のほぼすべてを失った。この1年間で3人目のCEOとして就任したのはアロン・ラウ氏。その前任は、マーケティング企業シェイル(Cheil)の幹部だったピーター・キム氏。そのキム氏の前任は、長年にわたりバーバリアンのCEOを務め、12月に追放されたソフィー・ケリー氏だ。

さらに、14年前に自らのアパートでバーバリアングループを設立した会長、ベンジャミン・パルマー氏が今年3月に退社すると、それから2カ月足らずで、最高クリエイティブ責任者のエドゥ・ポウ氏も会社を去った。もはや、バーバリアングループの創設者6人は誰も残っていない。オフィスを1カ所に縮小され、従業員数はピーク時から約40%減少している。

バーバリアン退社組は多く、元バーバリアンのFacebookグループまで存在するほどだ。バーバリアンが2012年に気まぐれに商標登録した「すごいことになる(It’s gonna be awesome)」というフレーズにちなみ、「かつてはすごかった(It was awesome)」というグループ名がつけられている。

元従業員と現在の従業員である6人に話を聞くと、経営陣が入れ替わり、創設者がすべていなくなって経営方針がふらついた結果、社風が衝突する企業によく見られる状況が浮かび上がった。バーバリアンの共同創設者のひとりであるリック・ウェッブ氏は、「いまでもバーバリアンがやっていけているのは、これまで築いた遺産のおかげだ。いまは文字通り瓦解しているからね」と語った。

バーバリアンが歩んできた道

パルマー氏のアパートで2001年につつましくはじまったバーバリアングループは当時、「インターネットファーストのエージェンシー」のまさにモデルのような会社だった。というより、単なるエージェンシーではないことが誇りだった。インタラクティブな体験を構築する専門家がいない広告エージェンシーに代わって、制作の仕事も請け負っていた。ボストンを拠点とする同社は、従業員は全員「バーバリアン(Barbarian: 未開人、野蛮人)」という考え方から、肩書きを用いてこなかった。創設者のウェッブ氏は著書「エージェンシー」で、バーバリアンではインターネットが顧客でありオーディエンスであると考えていたと語っている。

プロジェクトには真摯に取り組んできた。広告エージェンシーのクリスピン・ポーター+ボガスキー (Crispin Porter + Bogusky:CP+B)およびバーガーキング(Burger King)と共同で制作した2014年の「従順なニワトリ(The Subservient Chicken)」キャンペーンは、利益をもたらすことは出来なかったが、バーバリアングループの名をたしかなものにした。ニワトリのコスチュームを着た人物が、訪問者のあらゆる指示に従う。当時としては、まだ新興分野だったインタラクティブマーケティングと謳われたキャンペーンであった。

ほかにも、CNNの記事の見出しがプリントされたTシャツを購入できるCNNとのプロジェクトや、AR(拡張現実)を特集を制作担当した男性メディア「エスクワイア(Esquire)」とのプロジェクトがある。

しかし、バーバリアングループの名声は、大部分が広報活動が実を結んだものだ。ボストンの本部の屋上でミュージシャンが演奏するパーティーを定期的に夏に開催。その後「ルーフィーズ」としてシリーズ化した。パーティーはそれだけではなかった。年1回のバーバリアンのパーティーは、SXSWで定番になった。「あの(ジュリアン)アサンジをSXSWに連れてきた」と元ストラテジストが語るように、2014年のSXSWで、バーバリアングループはウィキリークス(Wikileaks)の創設者をオースティンの映画館に登場させた。それにちなんで、バーバリアンたちは毎週金曜、「フォーマルフライデー」として正装をした。

ルーフィーズへの招待状

ルーフィーズへの招待状

創始者たちが思い描いていたもの

1991年、偶然にも、ボストンにあるゴスナイトクラブで出会ったパルマー氏と共同創始者のリック・ウェッブ氏は、ただ自分たちが働きたいような職場を作りたかったと語る。元従業員はこれを、「彼らはほかのどこにも雇われそうにないと気付いたため、自らが雇う側になる必要があったのだ」と表現する。スタッフらによると、クライアントとなるインターネットを相手に「立派に戦う」というのが社内スローガンだった。

無念にもバーバリアンのこの試みは会社に利益を生み出せなかった。とりわけデジタルスタジオのマージンが圧縮されていくなか、バーバリアングループは時代の犠牲者のようなものだった。制作会社としてはじまった会社は、その当時から状況は苦しかった。

情報筋によると、バーバリアングループがある期間、成功し続けたのは、デジタルクリエイティブを得意としていたことで、商品に高い価格をつけることができていたからだという。バーバリアングループはまた、クライアントのWebサイト制作以外にも手を伸ばし、コンテンツ制作スタジオを作るなど、ほかの手も打っていた。こうしてクライアントにはペプシ、GE、サムスンなどが名を連ねた(サムスンは、バーバリアンの株を所有するシェイルの株を所有)。

韓国企業シェイルへの売却

いつ状況が変わりはじめたのかを判断するのは難しいと従業員たちは語るが、バーバリアングループの低迷の大きな理由にしてターニングポイントだったのは、韓国の持株会社シェイルへの売却だった。シェイルは2009年にバーバリアングループの株式の47%を取得すると、その後75.5%へと買い増し、2014年には持ち株比率が100%になった。

この買収の理由はいくつかある。表向きは、シェイルが米国の拠点を欲しかったためだ。しかし、バーバリアンにも文化があった。シェイルを傘下に置くサムスンは、レオ・ブルネット(Leo Burnett)など、シェイル以外のエージェンシーに米国のプロジェクトを多数依頼していた。そのため、その一部を担える米国のクリエイティブスタジオが欲しかったのだ。

「ビジネスの観点から見れば、我々は成功しているとはいえなかった」とバーバリアングループの元従業員。「しかし現実には、我々の文化が才能を引き寄せ、会社をなんとか成り立たせていた」と語った。バーバリアン側としては、そこに利益を見い出すチャンスがあった。

リーダーシップの崩壊のはじまり

シェイルが実権を握ると、物事が変わりはじめた。2011年、創設者のひとりであるウェッブ氏が会社を去ったことが、その後5年間に渡るリーダーシップの崩壊のはじまりだったとある従業員は語る。2016年に入り、共同創設者であるケイス・バターズ氏とパルマー氏が退職。企業文化が強いエージェンシーの場合、創設者の退社は終焉の前兆となることが多い。

「創設者が去るとつらいことになる」と、シェイルによる買収後にバーバリアングループに入った従業員は語った。バーバリアンはさっそく、マンハッタンのトライベカにある新しい賃貸オフィスに引っ越した。そして人員の一時解雇が行われた。「自らを瓦解させるような行為だった」と先ほどの従業員は語った。

事業はそこそこだった。シェイルの傘下で、バーバリアングループはエティハド航空(Etihad Airways)と健康食品のカインド・スナックス(Kind Snacks)との取引をものにしたが、この件に詳しい情報筋によると、エティハド航空には売り込みを繰り返した結果の取引獲得であったが、その取引を持続できるほどのマージンは確保できなかった。カインド・スナックスは、広告の量が多くないことから、プラスにもマイナスにもなりようがなかった。

少しずつ露呈する組織のほつれ

とはいえ、2010年にはじまったインタラクティブなオンライン動画シリーズ「GEショー(GE Show)」や、旧式携帯電話を使った2015年の「カンヌライオンズ(Cannes Lions)」の宣伝など、バーバリアングループはカテゴリーに囚われない仕事をいくつか成し遂げている。バーバリアングループは、一時期は3カ所のオフィスで総勢約160人が働いていた。しかし、2012年にボストンのオフィスを閉鎖し、その後、サンフランシスコのオフィスも閉鎖。現在の従業員数は「約100人」だという。

人気が高かったもののマージンが少なかった制作物のよい例として、2013年に作られた「シンダー(Cinder)」がある。シンダーは「センスのいいプログラミング」のためのC++のオープンソース・ライブラリーだ。これがカンヌライオンズで受賞し、バーバリアングループはインターネットを得意とする企業としての地位を確立した。しかし、「シンダー(Cinder)」をオープンソースのプラットフォームとしてマネタイズするのは簡単ではなかった。

その後、あの机が登場した。ひとつの机をスタッフ全員が共用することを意図して作られた、クライブ・ウィルキンソン・アーキテクツ(Clive Wilkinson Architects)の波打つひと続きの机、スーパーデスクだ。これはバーバリアングループの文化の体現となった。大手の業界誌や建築雑誌にこぞって取り上げられ、オフィス家具として称賛されるなど、メディアに対しては大成功を収めた。しかし、内部では馬鹿にされることもあったようだ。あるスタッフは「ひどい言われようだった。あまりに突飛だったため、この机にしてこのエージェンシーありだと」いわれたこともあると語った。

クライブ・ウィルキンソン・アーキテクツ(Clive Wilkinson Architects)のスーパーデスク。

クライブ・ウィルキンソン・アーキテクツ(Clive Wilkinson Architects)のスーパーデスク。

クライアント離れ、最大の理由

不景気は生やさしいものではなかったものの、バーバリアングループはそこそこ儲かっていた。事情に詳しい情報筋によると、ケリー氏は2015年、売上を約3000万ドル(約30億円)に倍増させた(アド・エイジ・データセンター[Ad Age DataCenter]によれば、バーバリアングループの売上は2014年の2180万ドル[約21.8億円]から2015年は2280万ドル[約22.8億円]に増加した。これに対し、米国におけるシェイルの売上は、2014年に7840万ドル[約78.4億円]だったのが、2015年は7760万ドル[約77.6億円]に減少した)。

2015年12月、シェイルはCEOのケリー氏をクビにした。表向きはマージンが理由だったが、従業員たちは文化的に合わなかったことの方が大きいと語る。クライアントたちは、バーバリアングループの首脳陣のひとりが退社することを知らされておらず、ペプシコのブラッド・ジェイクマン氏ら大手クライアントは、ケリー氏の辞めさせ方について不満を表明した。ケリー氏の退職の直前には、シェイルのトップ幹部で、従業員の信頼も厚かったマイケル・キム氏も退任している。ケリー氏の退職後、クリエイティブディレクターのジル・アップルボーム氏、CTOのロバート・クリス氏、人材責任者のミシェル・プロタ氏など、人材の流出が続いた。

「すべての大手クライアントと個人的に関係を築いていたアカウント担当者(のケリー氏)を、事前にクライアントに話をすることなく突然クビにした時点で、運命は決まっていた。それ以降は芝居をしているだけであり、チャンスはニ度と訪れなかった」とウェッブ氏は語る。

あるサーチコンサルタントによると、「シェイルは米国という市場や文化について、まったくわかっていない」という。

現「暫定」CEOが抱える苦悩

シェイル側も間違いを認識している。自身のコンサルタント会社ブラボ・アジア(Bravo Asia)が買収されたことでシェイルに加わった今年3人目の暫定CEOのラウ氏は、起業家精神と楽しい環境というバーバリアングループの文化は、シェイルと大きく異なると語った。

今後については、「文化を健全に配慮」しながらバーバリアングループのこれからを方向付けるように取り組むと語る。ラウ氏は、自分が最優先でやらなくてはいけないのは、暫定ではないCEOを就任させ、かつての従業員に話を聞き、何が起きたのかを解明することだと話す。「私がこの職にあるのは、歴史を変えるためではない。未来を形づくるためだ」。

過去についてラウ氏は話したがらない。自分はいなかったときに起きたことにはコメントできないという。しかし、これからについては、バーバリアングループを「マーケティングコミュニティのニーズにもっと即した」スタジオへと進化させたいという。「バーバリアングループは改善され、新しくなる」と語った。

Shareen Pathak (原文 / 訳:ガリレオ)
Image via Clive Wilkinson Architects