メディア幹部に訊いた、自身のキャリアにおける最悪の時期:「芸を覚えなければならない老犬同様だった」

デジタルメディアや広告の世界で成功するのは簡単ではない。

過酷で、競争が激しく、物事が計画どおりに進むとは限らないからだ。業界の幹部ともなれば、自分にとって輝かしいキャリアパスを描くことができるかもしれないが、相応の失敗を経験せずに、そこまでたどり着いた人はいないだろう。

こういった幹部たちも、倒産や解雇など、自分自身について、またキャリアに関する決断について、真剣に疑問を抱いた時期を経験している。米DIGIDAYはそんな彼らに取材し、自身のキャリアで最悪だった時期について、またそのような時期をどうやって乗り越えたのかについて振り返ってもらった。

出資取りやめ:リッチ・アントニエロ氏

コンプレックス・メディア(Complex Media)の創設者でCEO

私にとってもっとも困難だった時期のひとつは、雑誌からデジタルパブリッシングに軸足を移した2008年で、その頃はちょうど世界が崩壊する真っ只中にあった。この年に我々ははじめてデジタルの世界に進出したのだが、耳にしたくないような後ろ向きの反応が多く、とてつもない困難に直面しているように思えた。

2008年8月、我々は資本の調達に奔走し、あるベンチャーキャピタルから出資の申し出を受けた。しかし、9月になって、この申し出は取り下げられたのだ。最悪の日とは、銀行にお金があると思っていたのに、そのお金が突然なくなってしまうような日のことだ。あのときに実施できたもっとも簡単なことは、会社を畳むことだっただろう。たとえ自分にとって最大の敵であっても、あのような目には遭ってほしくない。

契約破棄:ニック・ゴドフリー氏

レイン(Rain)のCOO

我々にとってはじめてとなる大口の取引を獲得してから1週間と経たないうちに、そのクライアントが最後の打ち合わせのために顔を出したのだが、外出中のために出席できなかった。我々はその場で契約を破棄されてしまった。これはとてもショックな出来事だった。なぜなら、代わりの人間はいくらでもおり、仕事は決して保証されておらず、契約は反故にされる場合があるということを悟ったからだ。

設立間もないエージェンシーと27歳の若者にとっては、厳しいレッスンだった。だが、話はこれで終わらない。数週間後、我々は形勢を逆転させる取引を勝ち取った。その夜、我々は外出し、お祝いに豪華なディナーを食べた。翌日、前の晩のお祝いの影響もあって少し遅目に出社すると、その新しいクライアントから電話があり、彼らのミスで今回の案件について、誤ったエージェンシーに連絡してしまったと言われた。我々は勝利したのではなく、二番手だったのだ。私はまるで、詐欺に遭ったかのような気持ちになった。

間違った会社への入社:ジュリー・ハンセン氏

ビジネス・インサイダー(Business Insider)のCOO兼プレジデント

2007年、私はコンデナスト(Condé Nast)を離れ、とてもエキサイティングな機会だと考えていた仕事に就いた。それは、全米大学体育協会(NCAA)のサイトをCBSスポーツ(CBS Sports)向けにリニューアルすることだった。目指したのは、一般向けの大規模な専用サイトを立ち上げ、全米プロバスケットボール協会(NBA)や全米フットボール連盟(NFL)と同じくらい素晴らしいものにすることにあった。

ところが、3カ月も経たないうちに、私の上司が解雇された。私も6カ月と持たなかった。会計用語で言えば、私は間違いなくLIFO(後入れ先出し)だったのだ。私は、自分が誤った時期に間違った場所におり、個人的な問題でないことはわかっていたが、このような経験は常に痛みを伴うものだ。それでも、思い返せば、この出来事は自分のキャリアの目標を見直す機会となり、自分が昔ながらのメディア企業ではなく、もっと新しい事業に取り組みたいのだということを悟った。

キャリアシフト:パム・シードラー氏

ドイッチュ L.A.(Deutsch L.A.)の最高デジタル責任者

私は、経営コンサルティングとソフトウェア開発の分野でキャリアを築いてきた。これらの業界では、対象を設定し、仕様に従って製品を作ることがすべてであり、製品の品質や効果や実用性、使いやすさがどうであれ、時間と予算の範囲内で製品を提供することが基準となる。

エージェンシーのビジネスに移ったとき、私は30代半ばですでに成功を収めており、自分には答えられない質問などないと考えていた。私はボールダーにあるクリスピンポーター+ボガスキー(Crispin Porter + Bogusky)で、ある大手ドットコム企業の案件を担当することになり、「広告界のスティーブ・ジョブズ」と呼ばれるアレックス・ボガスキー氏とはじめての(かつめったにない)打ち合わせをした。

彼は、このサイトをどうすべきかについて自分の考えを説明し始めたが、私は彼の話をさえぎってこう言ったのだ。「いえ、そのようなことは無理です。あまりに複雑で、十分な時間もなく、対象から外れています」と。この発言に、その場にいた全員が固まった。これは私にとってターニングポイントだった。なぜなら、私は知識があまりに不足しており、新米社員に戻らなければいけないことを認めざるを得なかったからだ。私は、新しい芸を覚えなければならない老犬同様だった。

起業時の体験:トニー・キング

キング・アンド・パートナーズ(King & Partners)の創設者でCEO

私のキャリアで最悪の瞬間は、高級ブランド向けデジタルデザインエージェンシーの責任者という高収入で安定した仕事を辞め、友人のソファに座っていたときだった。私は、グッチ(Gucci)やアレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)のはじめてのWebサイトをデザインした男から、カウチに座っているだけの男になったのだ。

会社の資金繰りの足しにするために、私は車を売り、自転車を買った。また、その自転車に乗ってあちこちにいる昔のクライアントを訪れ、自分のアイデアについて意見をもらった。数カ月が過ぎたとき、私たちが立ち上げた新しいエージェンシーは従業員がわずか2名で、多少の仕事が見込まれているだけだった。

私は自分の決断を疑い始めた。考えが甘すぎたのだろうか。自信過剰になって、衝動的に行動してしまったのだろうか。請求書の支払いはどうすればよいだろうか。眠れぬ夜を何日も過ごした後、ようやく私たちは、ある高級ファッションブランドのクライアントとはじめて契約を交わし、大喜びした。

だが、「軌道に乗った」と感じられるようになるまでには、まだ長い期間がかかった。実際、自分の給料が払えない時期が2年ほど続いた後で、ようやく自分たちのエージェンシーが自立したと確信できるようになったのだ。

信頼を得られなかったこと:ドン・クルツ氏

オムレット(Omelet)の会長兼CEO

前の会社でCEOを務めていたとき、その会社の成長と市場トップの業績をもたらしているのは自分であり、私は確固たる地位を築いていると信じていた。だが2005年、上場企業としてのデメリットが大きくなり、メリットがほとんどなくなってしまった。私は、解決策を提案するために取締役会を開いた。その解決策とは、現在の株価に相当のプレミアムを上乗せしたうえで自社株を買い戻し、非公開企業になるというものだった。

私は、ある強力な金融機関の支援を取り付けていたため、すべての主要な利害関係者の利益になる形で取引を成立させる自信があった。しかし、取締役会の票は割れ、結局私の提案は否決された。つまり、私が会社のために思い描いていた将来の道筋も否決されたわけだ。そのため、ついに私は退職することをきっぱりと決断し、自分がキャリアで何を望んでいるのかを改めて考えた。

不幸なことに、私はその会社の筆頭株主であり、在職中に株を売ったことはほとんどなかったため、私が持っていたかなりの額の純資産はその会社の命運に左右された。そのため、退職とその後の会社の業績は、私に膨大な額の損失をもたらすことになったのだ。

この一連の出来事から学んだことは、信頼の力だ。私が持っている信頼の力が変わることはなかったが、私はいまもほとんど同じようなやり方で組織を率いることを選んでいる。私が教えてもらったことは、将来に影響を与える可能性がある業績以外のさまざまな要因にもっと意識を向け、より敏感になるということだ。

目標を見失ったこと:ジェイソン・ハリス氏

メカニズム(Mekanism)のCEO兼プレジデント

広告業界で最悪だった時期は、長期間ほとんど何も制作しないエージェンシーで働いていたときだった。私は目標も達成すべきこともなく、やる気を失って意気消沈していた。そもそも広告が自分にとって最適なキャリアなのかどうか、疑問に思い始めたりもした。私は若く、野心を持っていたが、それを世界に示すものが何もなかった。口先ばかりで行動が伴っていなかったのだ。

だが、キャリアを完全に転換する代わりに、私は制作会社を立ち上げ、何かを作り上げることに注力した。これでやる気を取り戻した私は、メカニズムに入社した。メカニズムは新興メディア向けの新しい制作会社だったが、その後あらゆるサービスを手がける広告エージェンシーとなった。私が得た教訓は、このビジネスには進む道があまりにもたくさんあるということだ。必要なことは、周りを見回し、自分が情熱を持てる正しい道を見つけ出すことだけだ。

バブルの崩壊:ショーン・コーコラン氏

マレンロー・メディアパブ(MullenLowe Mediahub)のエグゼクティブディレクター

私のキャリアにおける最大の挫折は、キャリアの非常に早い段階で訪れた。私は1999年にあるドットコム企業で働いていたが、その後バブルが崩壊し、事業が停止に追い込まれるなど思ってもいなかった。ある日、自分のポンコツ車に乗って仕事に行くと、私は解雇されていた。そんなことになると予想していなかった私は、これは世界の終わりだと思い、腹立ちのあまり車をヘンリー・デイビッド・ソローの出生地でクラッシュさせてしまう始末だった。

これは人生最悪の出来事で、私はいまでもみんなにこの話をする。ありがたいことに、この出来事は、人生の非常に早い段階で私にものの見方を教えてくれた。クライアントを失ったり、新しいビジネスチャンスを逃したりしたときにはいつも、私は状況を全体的な視点で眺め、「この時期は過ぎる」と自分に言い聞かせることができるようになった。この力は、私のキャリア全体で間違いなく役立っている。

部下を守れなかったこと:クリス・マクラフリン氏

リトルシング(LittleThings)の販売およびマーケティング担当シニアバイスプレジデント

私は、不況が始まったばかりの2007年から2008年にかけて、雑誌『Golf for Women』を手がけていたが、この時期はちょうど印刷広告が完全に下火になったときだった。コンデナストがこの雑誌を廃刊にしたときは最悪だった。なぜなら、その部署で働いていたのは、ほとんどが私の採用した人たちだったからだ。そのため、私は個人的に責任を感じ、彼らの期待を裏切ったと考えていた。

その後ほどなく、多くの人が素晴らしい仕事に移っていき、私はみながそれぞれ自分なりに明るい出口を見つけたのだと感じた。私自身は、デジタル専門の企業に移るまで5年かかった。キャリアを再形成するために、多くの時間が必要だったからだ。

Tanya Dua(原文 / 訳:ガリレオ)